中学受験をめぐる家族の物語〜朝比奈あすか『翼の翼』

中学受験をめぐる家族の物語〜朝比奈あすか『翼の翼』

 早い子では修学前からお受験があるわけだけれども、子どもに一定の学力が要求されて、かつ手続き関連やら学習面のサポートやら親の関わりが不可欠と思われる中学受験というのはとりわけキツいイメージがある(特に親にとって)。自分が手をかけることで、どうしてもその分だけ一生懸命になってしまうだろうし、そうするとそこに親の満足/不満足という評価軸も密接に絡んでくるのではないか。それが、受験期の家庭の問題を複雑にしてしまう一因のように思われる。本書の主人公・有泉円佳もまた、子どもの幸せのために迷い悩む親のひとりだ。物語は、ひとり息子の翼が小2の秋に「全国一斉実力テスト」を受けたことから始まる。

 円佳自身が通ってきたのは、公立の小中→地元で二番手の県立高校→指定校推薦で東京の女子大というルート。しかし、円佳は翼を生んだことをきっかけに、自分が子どもの教育に熱心になるタイプだということに気づいたのだった。翼の幼稚園を選ぶ際にも近さよりモンテッソーリ教育を採用しているという教育理念を優先させ、一方で「小学校受験より中学受験」という義母の意見を取り入れたこともあって小学校は地元の公立校に。そして、TVCMで見たのをきっかけに、翼は「全国一斉実力テスト」を受験。家電メーカー勤務の夫・真治は中学受験の経験者で、中学こそ第一志望ではなかったものの「大学受験で帳尻を合わせた」というケース。「低学年の子どもなんかさあ、野山を駆け回って遊んでればいいんだよ」と言いながら、息子の試験の結果は気になる様子。翼の将来を思うが故の教育熱心ぶりであり、また翼自身も聡明で親の期待に確実に応えるタイプであるからこそのがんばりをみせるのだが、それぞれが少しずつ平常心を失っていく。保護者同士の牽制によって、ぎくしゃくする子どもの交友関係。「子どものためを思って」という大義名分のもとに、かえって後回しにされる本人の意思。親の気持ちを慮るあまり発せられる、その場しのぎの偽りの言葉。疲弊しきった3人は、再びもとの温かい家族に戻れるのか…。

 翼の8歳から12歳までの日々を追い、大人になっていく姿を描いた作品である。でも、翼の両親である円佳と真治の成長小説でもあった。いや、むしろそちらの側面の方が大きい。どんどん加熱していく当事者たちの狂気にも似た強い思いを、外野が批判するのはたやすいことだ。部外者の視点で見れば、彼らの気持ちがすれ違っていることは容易に推測できる。いろんな選択肢があるでしょ、中学受験だけに囚われる必要なんてないんじゃないの、と耳打ちしたいとも思った。とはいえ、いわゆるいい学校に行くことで将来の選択肢が広がる、というのはだいたいにおいて正解であろう。”できることなら子どもの可能性を広げてやりたい”と思う気持ちは、子を持つ親のほとんどが持ち合わせているに違いない。もし円佳たちと同じような立場に置かれとしたら、私だって冷静な判断が下せなくなって同じように行動してしまうかもしれないのだ。「翼がただ生きて笑っていてくれればいいと思っていた頃の自分に戻りたい」という、円佳の悲痛な叫びが胸に迫った。

 子どもには子どもの人生がある。親はできる範囲で支えとなるのがせいいっぱいで、その道がどんなに困難にみえても我が子の人生はをかわりに生きることはできない。家族に心からの愛情を注ぐことと見守ること、究極的にはそれしかできないのだ。でも、それさえできたら他には何もいらないのかも。第一志望の学校に入学したにもかかわらず「こんなはずではなかった」と思うこともあれば、逆に不本意な受験結果であっても入ってみたらそこで楽しい学校生活を送れたという場合もあるだろう。その子にとって何が正解かなのか、わからないことだってある。苦しみの中にあって有泉家の面々が自分の気持ちに向き合えたことが、ほんとうによかった。最終的に翼が下した決断を、そして円佳と真治が何よりも大切な息子を支えようとした思いを、ぜひお読みになっていただきたい。中学受験を経験する(した)方も、しない(しなかった)方も。

(松井ゆかり)

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