福岡県宇島市はたった4日で消滅! 時代とともに消えた”市区町村名の謎”に迫る
現在、およそ1700の市町村が存在する日本。かなり多いイメージを持つかもしれないが、明治中期には約1万5000もの市町村がひしめき合っていた。しかし時代を経るとともに、「大人の事情」でたくさんの市町村が消滅。一体どのような理由で、1万以上の市町村が消えてしまったのだろうか?
そこで紹介したいのが、歴史作家で徳島文理大学教授も務める八幡和郎氏の著書『消えた市区町村名の謎 地名の裏側に隠されたふるさとの「大人の事情」』(イースト・プレス)。八幡氏が全国1万5000に及ぶ市区町村のデータを徹底分析し、誰も知らないような”地名にまつわる雑学”を本書で取り上げている。
まず”消えた市区町村名の謎”に迫る前に、「市」と「町」と「村」は何が違うのかを見ておこう。村から市や町に変わる要件はいろいろあるが、最も重要なのが”人口”とのこと。
「市になる要件は、かつては5万人、現在では3万人がひとつの基準ですが、合併促進のために少し甘く運用されてきました。町になる要件は人口8000人がひとつの基準です」(本書より)
また、市になると権限が県から少し移譲されるものの、町と村の間に実質的な差は無い模様。さらに町や市になれる要件を満たしていても”変更する義務”はないため、正直「市・町・村」に明確な違いを見つけるのは難しいようだ。
全国の各地域では、大都市に合併されて消えた市も少なくない。戦後に発足して消えた市は全部で86市、大きな市に編入合併されたのは16市。八幡氏は”東日本”で編入合併された市をいくつか例にあげている。
「宮城県泉市は泉パークタウンという三菱地所などが開発した仙台近郊のニュータウンがありましたが、政令指定都市を目指していた仙台市に編入され、泉区になっています。
新潟県新潟市では同じく政令都市になるために、油田があって交通の要衝である新津市、大凧合戦が繰り広げられる白根市、福島潟がある豊栄市が編入されました」(本書より)
こうした市の編入を経て今の大都市が存在しているのかと思うと、なんとも感慨深い。
合併といえば、1週間足らずで消えてしまった短命の市をご存じだろうか? 福岡県宇島市(現・豊前市)は”築上郡八屋町、角田村、山田村、三毛門村、黒土村、千束村、横武村、合河村、岩屋村”が合併してできあがった市だが、存在した期間は1955年4月10日~4月13日までの4日間だった。なぜ合併した市が瞬く間に消滅したのか、八幡氏は以下のように理由を語っている。
「原因は1935(昭和10)年4月に宿場町として昔から栄えていた八屋町が石炭積み出し港として勃興してきた宇島港のある宇島町と合併して新しい八屋町になっていたことです」(本書より)
どうやら八屋町だけ合併に反対し、新市に加わらない「分町」を主張したことが始まりらしい。これにより、町内対立に不信感を募らせた千束村と横武村も”合併不参加”を表明する事態へと発展。結局、八屋町の住人が”一応「宇島市」として発足するが、「宇島市」「八屋市」「築上市」のいずれでもない市名に変更する”という条件つきで合併を了承したため、宇島市はわずか4日で「豊前市」に改称されたのだった。
また福岡県では、”地名に関するトラブル”が他の場所でも起きている。もともと別の大区に所属していた「福岡」と「博多」は1876年に合併したものの、”市名をどちらにするか”で大論争に。先ほど大都市に編入するケースを紹介したが、当時の福岡と博多の人口は約2万人でどちらも同じ規模だった。最終的に県令の裁断で市名は「福岡市」に決まり、同じ年に開業した駅名を「博多駅」にすることで事態は収束。しかし八幡氏は本書にて、自身の思いをこう明かしている。
「福岡は県名に採用されていますから、市名は博多のほうがよかった気がします」(本書より)
これまで多くの地域で合併が繰り返されてきたが、決定する際に哲学的思想は持ちあわせておらず「たまたま合併の合意に達したから実施する」という形になっているそう。そのため八幡氏は、以下のように持論を展開。
「道州制を実施するとともに、都道府県と市町村を再編成して全国を数百の基礎自治体にし、その内部でさらに市町村などを設けるかどうかは地元の意思に委ねるのがいいのではないかと思っています」(本書より)
たしかにせっかく市町村の合併をおこなったところで、”道州制”とリンクしなければ意味がないのかもしれない。
意外と知らない”市区町村名にまつわる雑学”。あなたにとって馴染みのある地名も、「大人の事情」で変化を遂げてきたのではないだろうか。
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