『千日の瑠璃』492日目——私は象だ。(丸山健二小説連載)

 

私は象だ。

側聞するところによれば僅か十羽のフラミンゴと交換されたらしい、この冬にまほろ町の動物園へ送られてきたばかりの、象だ。芸はできなくても寒さに強い私は、きょうも檻の外へ出してもらった。私は運動場に積もった雪の上に側臥し、細い眼を更に細めて、天から落ちてくる白色の無限や永遠などをぼんやりと眺め、片田舎に身を置きながら宇宙の中心で生きることの醍醐味を満喫していた。そうやってのんびり寝そべっていると、普段はまったくわからないことが手に取るようにわかり、それらの小さな刺戟や変化は、含蓄のある震動となって、わが巨体に、わが老体に染みこみ、目的無しでも生きられる力となって、限りない充足を呼び寄せるのだった。

私は、最果ての地で生じた軽い断層地震と、食い詰めた一家がこっそり手回りの品を小さな荷物にまとめている物音とを、しかと感知した。それから私は、私が支え、私を支えている、動物たちの立つ瀬がないこの星が放つ熱や、原罪を説くペテン師が再度出現して長いこと顕在しそうな兆候を捉えた。あるいは、まだ発見されていない鍾乳洞に差す微光や、およそ勝つ公算のない戦争に駆りたてられて腕の一本と魂の大半を失った男の吐息を受けとめた。あるいはまた、美酒を醸造する男たちの力強い歌声や、金力の前に脆くも崩壊してゆく信念の悲しげな音や、行路病者にも見えるあの少年の透徹した口笛を吸い取った。
(2・4・日)

丸山健二×ガジェット通信

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