『千日の瑠璃』473日目——私は湖底だ。(丸山健二小説連載)

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私は湖底だ。

冬眠中の野鯉の群れや、酸素を吸って高速な理想の泡を吐き出す観音像や、永劫に回帰する豊かな水などを支える、うたかた湖の湖底だ。水温は下がるだけ下がって、その清冽な液体をどっしりと重くさせている。もはや私をかき乱す禅の世界の風雲児はおらず、おかげで夜と昼とが一定の調子で保たれている。

たまにワカサギを釣るためのおもちゃのような仕掛けがするすると降り、たまに色とりどりの水禽が真っ逆さまになって一、二メートルほど潜るだけで、あとは事もなく、すでに数百年つづいている真冬の静寂はこの冬もきちんと維持されている。今は騒々しい船外機の音も絶え、ボートの上で多淫な男女が洩らす毒々しい笑声もなく、揺るぎない信念と動じない心を得るために石を抱いて私の上に坐る者もおらず、手いっぱい商売を広げた挙句に金詰まりでにっちもさっちもゆかなくなってしまった男の死を招くため息も届かず、乱れた世相に愛想を尽かして正邪の区別を諦めた年寄りの嘆きもまったく聞えず、そして目下のところ、私をへどろで覆い尽くすほどの汚水もほとんど流れこんできてはいない。

今夜の私に感知できるのは、この季節に丘の家でオオルリが元気いっぱいに放つ流麗なさえずりと、星明かりと雪明かりを頼りに徘徊することでこの世に確実な地歩を占める、少年世一の足音のみだ。こうした静寂がいつまでつづくと問われても私には答えられない。
(1・16・火)

丸山健二×ガジェット通信

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