『千日の瑠璃』439日目——私はペンキだ。(丸山健二小説連載)

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私はペンキだ。

トタンにも板にもコンクリートにも塗れ、そのうえ、もしかすると褪せた心にも塗れるかもしれない、水性のペンキだ。極道者と手を結んだことでどうにか破産を免れている《三光鳥》の女将は、職人を頼まず、自ら屋根に登って私を屋根に塗り始めた。この季節にしては異常なほど暖かくて、風のない、私を相手にするには打ってつけの日だった。

女将は片手でテレビアンテナの支柱に結びつけたロープとバケツをしっかりつかみ、もう一方の手で刷毛を握り、普通の家よりも数倍広い屋根を、うたかた湖と同じ色に染めていった。もうだいぶ前に塗られた元の色は、まほろ町にも彼女自身にもまったく馴染んでいなかった。私はそのことを彼女に教えた。そして私は、彼女の足の裏から昇ってくる情欲を鎮め、すでに久しく音も沙汰もない妹の身を案ずる気持ちを抑え、それから、いつまでも好運らしい好運に際会しないまま過ぎ去ってゆく彼女の日々を更に青々とさせた。

庭には一夜にして寄寓先に馴れてしまう娼婦がいて、自分でまほろ町へ運んできたシクラメンを木蓮の根元からふたたび鉢へと移植していた。玄関先では、長身の遊侠の徒が無頼志願の少年を相手に、四角張ったかれらの世界独特の挨拶を熱心に教えていた。また、丘の家に住む少年は、測量の写真を撮るために飛来してきたセスナ機に向って口笛を浴びせていた。私はかれらを幸福に近い色に塗った。
(12・13・水)

丸山健二×ガジェット通信

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