格差社会の再来が意味するもの

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格差社会の再来が意味するもの

今回は『「MessageLeaf (メッセージリーフ)」の立上げ日誌~ウェブサイトにあなたと私の関係を~』からご寄稿いただきました。
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格差社会の再来が意味するもの

<アメリカの格差の解消と再拡大>

佐々木俊尚さんの今週のメルマガ「世界を抽象化する能力こそが、これからの時代の処世術だ 佐々木俊尚の未来地図レポート vol.222」で、大変興味深い書籍が紹介されていました。ロバート・B・ライシュが1991年に書いた、『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』です。

少々長文になりますが、佐々木さんのメルマガを引用します。

1950年代以降の経済成長の時代、アメリカでも日本でも欧州でも、社会の格差は緩和される方向へと進んでいきました。

(中略)

1950年代、アメリカの中核企業は約500社。この500社が工業生産高の約半分(西側市場の工業生産高の4分の1)を生産し、工業資産の約4分の3を所有し、企業利益の40%をたたき出していたそうです。また農業を除く労働者の8人の1人を雇用していました。さらに上位28社で製造業全体の雇用者の10%を雇い入れていたといいますから、かなりの上位集中ぶりがわかります。

中でもGMは地球最大の製造業者で、たった1社で1955年の国民総生産の3%を稼ぎ、これはイタリアの国民総生産に匹敵する数字だったそうです。

これらの中核企業は、20~30分野にわたるアメリカの主要産業ごとに、2~3社ずつ存在して市場を寡占していました。そしてこの中核企業の周辺に、銀行や保険、鉄道、大規模小売業者のサービス業が集まり、さらにその周囲には土星の輪のように大量生産に向かない特定少数の商品を生産する小企業が取り巻いていました。

この中核企業のシステムが、何百万人もの雇用を生み出し、アメリカ人を中流階級化させる原動力になっていたということです。さらにこの中核企業は大量生産を行い、その大量生産にみあうかたちでマスマーケットの消費市場ができあがっていきました。この中間階級をライシュはこう表現しています。「全米の家庭のほぼ半数が中間階層に属し、何不自由なく生活していた。明らかに、これらの中間階層の家庭の大半は、専門職や企業経営者ではなく、大規模企業で生産や事務の流れを支配している熟練あるいは半熟練の工場労働者と事務職が中心であった」

これは社会の格差を減らしました。1929年にアメリカ人の中でもっとも高所得を得ている上位5%は、個人所得全体の34%でした。これが1946年には18%に低下し、全米経済研究所は当時「完全な平等が半ば達成された」と高らかに宣言しています。

しかしグローバリゼーションによるフラット化は、このシステムを破壊しました。格差は急激に拡大し、国力と企業の利益は一致しない時代がやってきています。

<世界全体の総中流時代へ>

この記述を読んで感じたのが、「世界全体が総中流化に向かっているというのが事の本質だ」ということです。

もちろん、途上国は政治システムや教育システムが未成熟なところも多いですから、そう簡単に日本の戦後で起きたような形で中流化が進むとは思いませんが、それでもここ20年くらいのスパンで中国やインドなどのいわゆるBRICSやその周辺の国々で起きていることを考えると、全体の流れとしてはかつて米国やその他の“先進国”で起きたことと同様の現象、すなわち「世界規模での中流化」が進んでいると言って良いでしょう。

データ的に検証できるかどうか、Gapminderを使って、米国、中国、インド、日本の年間所得分布の状況を時系列で見てみましょう。

「Income Distribution, 2003」 『Gapminder』
http://www.gapminder.org/downloads/income-distribution-2003/

まず1970年。

格差社会の再来が意味するもの

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中国、インドは揃って1000ドル弱のところに集中する後進国でした。それに対し、米国は2万ドルくらいのところを山に中産階級がある程度の幅を持って分厚くいる感じ。そして、日本はこの4か国の中では極めて分布が上下に散らばる「格差社会」であることがわかります。

1985年になるとこんな感じ。日本はだいぶ豊かになり、均質化(総中流化)に近くなってきました。

格差社会の再来が意味するもの

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これが2000年になるとこんな図に。

格差社会の再来が意味するもの

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一つには、日本はこの時点で3-4万ドルくらいのレベルを中心にした「総中流化」が完成状態になったのがわかります。もう一つは、中国・インドが日本や米国などの尻尾に追い付いてきて、1万ドルくらいのところで一つの山が形成され始めたのがわかると思います。米国も1970年段階では正規分布に近い形だったのが、このレベルのところに山が形成され始めています。僕は、これが「世界レベルの中産階級」なのだと理解しています。

ここから先の10年の動きが見られないのがちょっと残念なのですが、中国・インドの山がぐぐっと右側に寄ってきて、日本、米国の山がさらに飲み込まれ始める。そして、1万ドルくらいのレベルでの中産階級の山がさらにはっきり形成されつつあるのではないでしょうか。

ということで、巷で言われているような先進国の「中産階級の没落」とか「格差の再拡大」というのは、かなり不可逆的な流れとして起きていると言って良いですし、2000年時点で極めて均質な所得分布だった日本も、この波を被っていくのは避けられないと思います。

<若い人の“身の丈戦略”は極めて真っ当な解>

この大きな流れを考えると、“普通の人”にとって「背伸びをしすぎない身の丈戦略」は実は正しいと思います。「普通の仕事」で稼げるレベルは「世界の中流レベル」になっていくことを考えると、年間所得1万ドルくらいのレベルになるということで、そうなると消費を身の丈に合わせていかないと破たんすることになります。また、逆に合わせられればそこそこの幸せは享受できるようになるでしょう。

イケダハヤトさんが、「年収150万円で僕らは自由に生きていく」という本を最近出されていますが、これは極めて現実的な堅い戦略なのです。

「年収150万円で僕らは自由に生きていく (星海社新書) [新書]」 イケダ ハヤト(著) 『amazon』
http://www.amazon.co.jp/dp/4061385283/

今の若い人たちが車を買わないとか消費しないとかで、「元気が無く情けない」などと思っている年配の人間が結構いるようですが、若い彼ら彼女らの方が、時代の流れを敏感に感じ取って進化しているのではないでしょうか。逆に、あまりにも(世界的レベルを考えると)贅沢に慣れ過ぎてしまっている40~60代くらいの人間が、これからの人生極めてリスクが高いのだと感じます。

とはいえ、何とかして“世界の上流レベル”にいたいと考える人も多いでしょう。次回エントリーで、そのための戦略について論じたいと思います。

執筆: この記事は『「MessageLeaf (メッセージリーフ)」の立上げ日誌~ウェブサイトにあなたと私の関係を~』からご寄稿いただきました。

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