『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』レビュー:新鮮なワクワク・ドキドキで心が輝きを取り戻す奇跡のような一本

新しいことに挑戦しながらも、完成度が高くおもしろい……こうやって言葉にするのはカンタンだが、そんなゲームを作るのは奇跡を起こすのに近いレベルで難しい。けど、ごく稀にそんな作品と出会うことがある。筆者にとって、『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』はそう思える作品だった。

だからこそ、このレビューで皆さんに共有したい。『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』という奇跡を!

組み合わせの妙がもたらす斬新なおもしろさ! 『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』

『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』は、小高和剛や小松崎類、高田雅史といった「ダンガンロンパ」シリーズのスタッフと、『Ever17 -the out of infinity-』などの「infinity」シリーズや「極限脱出」シリーズを手掛けた打越鋼太郎によって作られたゲーム作品。公式のジャンルとしては「極限と絶望のADV」とうたわれているが、実際のゲームシステムとしては、育成を兼ねたアドベンチャーゲームパートとシミュレーションRPGパートを融合させたものとなっているので、「RPG」と表現した方が正確だろう。

同作の舞台は、タイトルに含まれている「最終防衛学園」。「東京団地」で平凡な日常を過ごしていた主人公・澄野拓海は、ある日正体不明の襲撃者に襲われ、異能の力「我駆力(がくりょく)」に覚醒。襲撃を切り抜けるものの意識を失い、気づくとそこは「最終防衛学園」の教室だった。

「最終防衛学園」には拓海同様、15人の生徒が集められており、人類を守り抜くというミッションが下される。人類は「侵校生」という敵の攻撃を受けており、人類を守り抜く最後の砦となっているのが、他ならぬ「最終防衛学園」。そして、この学園を100日守り抜くことができれば、ミッションは果たせるのだという。

「ダンガンロンパ」シリーズをプレイしたことがあれば、本作のストーリーから「ダンガンロンパ」的な空気感を感じ取ったかもしれない。同シリーズでは、学生たちが学校を模した環境に閉じ込められ、殺人と犯人捜しをデスゲーム的に強制される。本作のストーリーは、同シリーズの殺人&犯人捜しを「侵校生」とのバトルに置き替えたものに見えるのではないだろうか?

もしそう感じていたのだとしたら、その感覚は概ね正しい。

本作の進行は、「ダンガンロンパ」シリーズのように学校生活を模している。ゲームは1日単位で進んでいき、「侵校生」からの襲撃がない場合、学園内を自由に移動して他の学生とコミュニケーション可能。同シリーズでは他の学生とのコミュニケーションによって好感度を高め、キャラクター固有のエピソードを見ることができたが、本作の場合他の学生とコミュニケーションによってキャラクター育成が可能となっている。

ここまでの内容を見ると、本作が新しいことに挑戦しているようには思えないだろう。ただ、バトルパートに触れると、印象が大きく変わる。

本作のバトルパートは、マス目で区切られたフィールドで学生ユニットを動かし、「侵校生」と戦うターン制ストラテジーとなっている。ただ、一般的なターン制ストラテジーと異なり、目的は拠点である「バリア装置」の防衛。ただ目的が違うだけじゃないかと思うかもしれないが、目的が変わったことでゲーム性は大きく変化している。

一般的なターン制ストラテジーにおいては、敵も自分も基本的に相手の全滅が目的となる。したがって、敵は自軍ユニットを目指して動く。このため、強く意識しなくとも敵が突っ込んでくるため迎撃しやすいし、特定のユニットを囮にして敵を引き付ける……といった作戦も有効だ。

しかし本作の場合、敵はこちらの拠点を目指して動く。このため、適切な場所へユニットを配置しなければ迎撃できないし、そもそも悠長に待ち構えている余裕がない。というのも敵の数が多いため、積極的に敵を倒しにいかなければ、敵が拠点へ到達してしまうのだ。

大量の敵を迎え撃つため、学生ユニット側も一般的なターン制ストラテジーとは少々変わった調整が行われている。本作の学生ユニットは、基本的に射程範囲が広く、しかも範囲内同時攻撃が可能。このため、一回の攻撃で大量の敵を倒すことができるのだ。

とはいえ、敵も一撃でやられるユニットばかりじゃない。大量に出てくる敵は体力が低めに設定されているが、敵の群れのなかには体力が高めの敵も存在している。こうした敵に対しては、単体攻撃しかできない代わりに攻撃力に特化した学生ユニットで対応しなければならない。

つまり、1体でも多くの敵を倒すためには、攻撃範囲と攻撃力をどう組み合わせればいいのか……というパズル的な戦術が求められるのだ。この点は、一般的なターン制ストラテジーとは大きく異なっている。

また、大量の敵を範囲攻撃でさばき、体力が高めの敵を高い攻撃力でさばくという立ち回りは、本作の持つ世界観ともマッチしている。というのも本作の学生たちは、「我駆力」という異能を持ったヒーロー的な存在。だからこそ、一気に大量の敵を葬ることができるし、高攻撃力で硬い敵を貫くことだってできる。

つまり、異能という設定が単なる設定に留まっているわけではなく、ゲーム性によって明確に表現されているのだ。このためプレイしていると、ヒーロー的・マンガ主人公的な強さを実感することができる。さらに、「一気に大量の敵を倒す」という表現は、それ自体がそもそも爽快。

独自の楽しさを持ちながらも完成度の高いバトルシステムだと感じた。

「独自の楽しさを持ちながらも完成度が高い」のはバトルシステムだけに留まらない。一見、「ダンガンロンパ」シリーズを素直に踏襲したかのように見えるアドベンチャーパートも、実は本作独自の楽しさと完成度の高さを持っている。

本作を、同シリーズの延長線上という文脈ではなく、シミュレーションRPGやRPGの延長線上と捉えると、本作のアドベンチャーパートは、ザコ戦をより楽しく進化させたものと見ることも可能だ。シミュレーションRPGやRPGでは、ザコ戦を通して経験値を稼ぎ、キャラクターを育成するという形式が一般的だ。

ただ、育成目当てでザコ戦を繰り返すというのは、あまり楽しいものではない。もちろんバトルシステムが十分おもしろいものであれば、ザコ戦であっても楽しさが味わえる。しかし何度も繰り返すうちに楽しさは薄れていき、やがて作業のように感じられてしまう。

ならば、ザコ戦と育成とを切り離した方がいいのではないだろうか? 本作のアドベンチャーパートはそのひとつの回答を示すかのように、シミュレーションRPGのシステムを一旦分解し、再構築したもののように見える。

既に触れた通り、本作のアドベンチャーパートでは、学生キャラクターとコミュニケーションを取ることで能力値をアップさせていく。テンポよく進むので、ザコ戦を繰り返すよりはるかに作業感が少ない。

また、学園内でコミュニケーションを取るのではなく、学園の外へ出て「探索」することでも育成が可能。こちらは、スゴロク型マップを移動することで、学生ユニットのスキルを強化するための「素材」を入手できる。「探索」は運要素が絡むものの、2枚のカードから移動するマスの数を選べたり、マスの絵柄でどんなイベントが発生するかある程度わかるようになっていたりと、ローグライクRPG的に運要素をコントロールすることが可能。

このため、やはり育成素材収集のために作業をこなしている感覚にはなりにくい。

アドベンチャーパートでは、あえて「ダンガンロンパ」的な要素を組み込んでいる点も驚いた。実は、本作で「最終防衛学園」に集められた学生たちのすべてが、最初から戦闘へ参加するわけではない。いきなり見たことも聞いたこともない学園に連れてこられ、ろくな説明もなく命をかけて戦えと言われたところで、「ハイ、そうですか」と戦える人間ばかりじゃないので、これはとてもリアリティのある展開だ。

もちろん、物語が進めば戦闘参加キャラクターが増えていくのだが、ここで戦闘参加を渋るキャラクターを説得するというミニゲームが発生。対象キャラクターの言い分を聞き、相手の心を動かせそうな言葉を選ぶというミニゲームで、「ダンガンロンパ」の学級裁判を彷彿とさせる。

ただこのミニゲームも、各学生キャラクターが隠していたバックグラウンドを効果的に描いた上で、「なぜそのキャラクターが戦うのか?」という点を強い説得力のある表現をしているため、違和感はまったくない。

ここまで紹介してきた要素のひとつひとつを見ると、実はそこまで画期的なものはないことに気づく。アドベンチャーパートは「ダンガンロンパ」の日常パートを踏襲したものだし、キャラクターを説得するミニゲームは「ダンガンロンパ」の学級裁判パートのアレンジ。「探索」要素はローグライクRPGの亜種と言えるし、バトルパートのベースは一般的なターン制ストラテジーで、バトルパートの目的はタワーディフェンスの応用だ。

ただ、これらの要素をいかに組み合わせるか?という視点が新しい。さらに、まとめ方が巧みで完成度が高い。

単純にゲーム要素を組み合わせただけでは、本作のように独自のおもしろさを持つ作品には仕上がらなかっただろう。

そして、個々のゲーム要素を高い完成度でまとめるために貢献しているのが、本作のストーリー。謎の見せ方と回収の仕方が巧みだ。

本作では冒頭から「最終防衛学園とは何か?」「侵校生とは何者か?」といった大きな謎が提示される。その上で、「最終防衛学園の外はどうなっているのか?」「主人公以外の学生たちはどんな事情を抱えているのか?」といった細かな謎が提示されていく。

これらの謎は提示されっぱなしになるわけではなく、適切なタイミングで回収され、回収されたかと思えばまた新たな謎が提示される。だからこそ、先が気になってやめることができなくなってしまう。しかも、一個一個の謎が「探索」や説得ミニゲームといったゲーム性と連動している。

つまり本作は、強力なけん引力を持ったストーリーが、異なるゲーム要素を強く結びつけているのだ。

ゲーム歴の長い人にこそオススメしたい! 新鮮なワクワク・ドキドキが味わえる奇跡の一本

先ほど「ダンガンロンパ」シリーズをプレイしたことがあれば、本作のストーリーから「ダンガンロンパ」的な空気感を感じ取ったかもしれない……と書いた。そして筆者は同シリーズのファンだ。

ただ、筆者は本作をプレイして「ダンガンロンパ」より、むしろアトラスの「ペルソナ」シリーズの進化形という印象を抱いた。

「ペルソナ」シリーズもまた、RPGに新鮮な進化をもたらした作品だ。それまでの、ザコ敵と戦いつつ、物語に沿ってクエストを達成するというスタイルから、毎日の学園生活をこなしつつ、定期的に訪れるボスバトルに挑む……という新たなスタイルを切り開いた。

「ペルソナ」シリーズも毎日の学園生活がキャラクター育成に影響しているが、それでもダンジョン探索時のザコ戦という育成要素は存在している。ザコ戦すら学園生活へと採り込んだ本作は、「ペルソナ」シリーズのスタイルをあらためて見つめ直し、よりプレイしやすく、より楽しいかたちへ進化させたものと言えないだろうか。

ところで「ペルソナ」シリーズの進化形といえば、『メタファー:リファンタジオ』という作品が存在する。筆者は『メタファー:リファンタジオ』についてもレビューしたが、「ペルソナ」シリーズの正統進化形として完成度の高い作品だ。ただ、筆者はレビューした際、『メタファー:リファンタジオ』に対し、作品的に「挑戦」と言えるような新しい要素がなかったことを不満点として挙げた。

『メタファー:リファンタジオ』は傑作と言えるレベルでおもしろい作品なので、筆者の言っていることは贅沢な注文……いや、もはや「いちゃもん」と言ってもいいくらいだ。ただ一人のゲームファンとして、「すげえ!」という驚きや、「こんな展開が!」というワクワク・ドキドキが欲しい。とりわけ筆者は、ファミコンから始まるゲームの進化とともに生きてきた世代なので、なおさら「世の中には自分の知らない楽しさがあるんだ!」というサプライズを求めてしまう。

とは言え、そもそも筆者のように長年大量のゲームをやり続けたなら、楽しさに慣れてしまい、新鮮さを感じなくなってしまうのも当然。新鮮さが感じられないのは作品が挑戦していないせいではなく、筆者の感覚が鈍ったからという可能性が高い。

……だが、本作、『HUNDRED LINE -最終防衛学園-』はそんな筆者にも新鮮な楽しさを体験させてくれた! これを奇跡と言わずして、何が奇跡なのか。

そして、本作最大の挑戦と言えるのが、エンディングの多さだろう。なんと、100個! タイトルの「HUNDRED LINE(ハンドレッドライン)」とは、100日かけて防衛を行う前線のことでありながら、100個のマルチエンディングへと向かうルートのことでもあるのだ。

しかも、100個すべてに意味がある上、ジャンルすら変化する。実はここまで紹介してきた、アドベンチャーゲーム×シミュレーションRPGというゲームジャンルは、最初にプレイすることになるメインルートでの話。

正直なところ、「こんなゲーム、企画したとしても実際作るか?」……という印象だ。狂気と言ってもいい。しかし、だからこそ、この奇跡が実現できたのだろう。

これだけは確実に言える。本作のようなゲームが出てくることは、そうそうない。飾り付けた、取って付けた言葉ではなく、実際に「奇跡」と呼んで差し支えのない作品だ。

だからこそ、筆者と同様にゲーム歴が長く、「最近のゲームはおもしろいけど、新鮮な楽しさが足りないなあ」と感じている人に強くオススメしたい。新鮮なワクワク・ドキドキが味わえ、心が輝きを取り戻す……。奇跡と言える一本のゲームが、あなたのゲームライフに新たな輝きをもたらすことだろう。

(文/田中一広)

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