手塚治虫が描いた「在日」
「ながい窖」(サンデー毎日1970年11月6日増刊号掲載)。大企業の重役を勤める在日朝鮮人(作中では帰化朝鮮人という設定で、帰化朝鮮人と在日朝鮮人は厳密には違うが、便宜上、在日朝鮮人としておく)の苦悩を描いた作品だ。
私はこんな作品を手塚が描いていたことをまったく知らなかった。というのも本作は手塚治虫漫画全集や無数にある文庫本には収録されていない。サンミリオンコミックス『空気の底』下巻(1972年刊)にのみ収録されているが、絶版である。但し古本屋では比較的安価で買える。私も1500円程度で購入した。
手塚プロダクションのwebサイトでも、名前は載っていても作品解説はない。インターネット上でも少数のサイトしか触れていないし、世に数多ある手塚研究書でも本作が大きく扱われたことはないようである。
以下はあらすじである。ネタバレ注意。
大企業・長浜軽金属の専務取締役である森山尚平(トップ画像の男)。部下に慕われる気風のいい男だ。娘と息子と妻に囲まれた家庭も円満。彼は元々は「趙」という姓の朝鮮人であったが、今は帰化して日本国籍を取得している。だが、差別や迫害を恐れるあまり、それを周囲には徹底的に隠している。朝鮮人であったこと(あること)は、森山の心において深いトラウマとなっており、焼肉屋に誘われるだけで眩暈を起こすほどである。また、永住権取得朝鮮人を、朝鮮人だからという理由だけで、会社の面接で落としたこともある。自分が朝鮮人だと思われたくないために、朝鮮人を差別したのだ。
ふと夜の街で、森山は在日同朋の金文鎮(トルコ風呂の主人)と再会する。金とは第二次世界大戦中、日本軍により岐阜県瑞浪の戸狩山に強制連行され、地下壕(ながい窖)を掘らされていた時以来の仲だ。終戦後、ブローカーをやり、土地の売買で金をもうけ、二人は今の地位を築いた。
森山と金は酒を酌み交わす。すると、金は「女房の親戚の除を匿って欲しい」と森山に持ちかける。除は、4回も日本に密入国しては強制送還された経験があり、今回は大村収容所(現・大村入国管理センター)から脱走したのだという。
森山「そんなのはきみのほうでなんとかしたれ」
金「それがやな………“北”なんで………………」
森山「そしたらよけいかんけいないやろ!」
だが、森山は友誼に折れ、厄介者(朝鮮人という出自に苦悩している上、社長の椅子が目前になっている森山にとっては厄介者以外の何物でもない)の青年・除英進(下の画像)を暫くの間匿うことになる。
除が日本に密入国をした理由は「生き別れのオモニに会いたい」という一心だけであり、一目会えたら帰国していいと思っている(朝鮮民主主義人民共和国に帰りたい奴なんているか? ということは、今の我々だから考えられるのであって、1970年の手塚は朝鮮民主主義人民共和国の惨状など想像もできなかっただろう)※付記4。その除の親を想う心に、森山の娘・亜沙は惹かれていく。森山はこれも面白くない。森山は朝鮮語が喋れない。森山の子供も喋ることができない。その前で平然と朝鮮語を話す除に、森山は甚だしく苛立つ。
除のオモニらしき人物は、亜沙の協力もあって見つかる。だが、除と亜沙が「オモニ」の働く託児園に近づくと、除を捜査していた刑事が待ち構えていた。焦って逃げる二人は、トラックの前に飛び出てしまい、事故死する。
霊安室に駆けつけた森山。
検視官「森山さん…あなたのおじょうさんですか?」
泣き叫ぶ妻の横で、森山は涙一つ見せず言う。
森山「ちがいます………………私の友人の娘さんです」
亜沙の弟の久は、そこまでして「自分が帰化朝鮮人であること」を隠そうとする父親が許せない。「ねえさんはきっと泣いてますよ。実の親なのに娘と呼んでくれなかったのはなぜだって……」
逆上する森山。それが久を尚更怒らせる。
久は父親への反抗心と、急激に芽生えた朝鮮民族としてのアイデンティティをむき出しにし、朝鮮高校への転入を決意する。
久は「朝鮮民族と日本人とはある程度理解しあってる――すくなくとも日本人はぼくらに遠慮があるはずだ」だからこそ正々堂々と朝鮮人だと名乗るべきだと考えている。そうして、朝鮮学校での「愛国的」な教育も受けていく。
その結果、久はやがて日本人の不良とのケンカ(というよりも凄絶なリンチ)により、半死半生の重態に陥る。
森山は久が搬送された病院からの知らせに「その子は…たぶん…うちのせがれではありません……いや…そ そういうわけでもないのです 知人の子どもなのです 私の息子が朝鮮学校へいってるわけがないじゃありませんか……」と涙ながらに嘘をつく。
森山は、久を半殺しにした不良の通う学校の校長に直談判して釈明を求める。しかし校長は森山の出自を見抜き「朝鮮人がひとりやふたりなぐられた そんなことで全校生徒をよび出してしらべられますか!」「たかが朝鮮人のことで責任もてというんですかね? 冗談じゃない」 とはねつけ、 「さ、もうお帰り下さい なんならあなたの会社へ 電話して ぶちまけてもいいですがね つまり………………あなたの素性をだ」と脅す。
最終ページの1コマ。
―――――――――――――――――――――――――
さて、全体的に話の筋が急展開の連続めいている雰囲気があって(特に後半)、本来ならばこれは単発読みきりではなく前後編あるいは3回ほどの短期連載でまとめるべきだったとは思う。手塚の短篇の中でも、純粋にマンガとしての完成度はそれほど高いものではあるまい。
但し、そのメッセージ性は現代の我々にも強いものがある。自らの出自に誇りを持てない在日朝鮮人、出自を隠すために同じ朝鮮人を差別する弱さ。その背景にある日本人からの陋劣な蔑視。さらに日本の戦争責任さえも問いかける。
「アドルフに告ぐ」や「ジョーを訪ねた男」など、ユダヤ人や黒人への差別を扱った手塚作品は知名度が高い。だが、何故朝鮮人差別を扱った本作が、全集に再録さえされず、殆ど封印作品と同じような扱いになっているのか。
確かに、本作に登場する朝鮮人は、善男善女が好む「カワイソウな、完全被害者としての朝鮮人」とは半歩ずれている。朝鮮人が朝鮮人を差別したり、トルコ風呂のオーナーとして性的搾取をしているという描写に都合が悪い人はいるだろう。あるいは、「こんな風に日本人を悪く描くな! 悪いのは全部朝鮮人だ!」と叫ぶ方面の善男善女にも都合が悪いだろう。※付記5 そのために復刻されないのだろうか? 誰かが圧力をかけているとしたら唾棄すべきことだし、手塚プロダクションあるいは出版社の自主規制だとしたら残念なことである。無論手塚自身が「この作品は封印する」と言っていたのならばその意向は尊重すべきではあるが。
呉智英は手塚治虫の創作姿勢を「すべての価値観への不信」としたが(『現代マンガの全体像』)、手塚はステレオタイプな「気の毒な朝鮮人」という価値観にも不信の念を抱いていたが故に、このような描き方にならざるを得なかったのではないか(勿論その半面で、被差別者への同情・慈しみの心が多大にあったことなど、くだくだしく言うまでもないことである)。
いずれにしろ、40年前の在日朝鮮人の状況を知る上での貴重な資料であり、また今なお在日朝鮮人問題が大きなしこりとなっている中、改めて復刻されて読まれるべきだと強調しておく。
「在日朝鮮人を描いたマンガ」の情報提供は今後も募集しています。よろしくお願いします。
(文責・岸本元。画像は著作権法32条に基づく引用の範囲内と考えるが、勿論手塚プロダクションから抗議があれば画像は消します)
付記1 完成度が低いから再録されなかったという意見は、私は採らない。失敗作と自身で認定した「サンダーマスク」や、なんとも陰惨で救いのないとした「ボンバ!」なども全集に収録されているからである。
付記2 1970年前後の手塚作品の絵には表現主義あるいはそれに前後する時期の美術の影響があると私は見ているのだが(特に「ボンバ!」ではマルク・シャガール、エドヴァルド・ムンクの引用がある)、これについて誰かが指摘している論文等があればご教示いただければ幸いである。本作も強制労働やリンチのような残虐なシーンを敢えてそういった美術の手法で描いている様子がある。
付記3 「徐英進」ではなく「除英進」と一貫して表記されている。一般的な朝鮮姓なら「徐」であるが、誤植かどうかは不明。
付記4 この点、2つほど指摘を受けたので見せ消ち。一つは1970年の朝鮮民主主義人民共和国は大韓民国と比較して必ずしも劣悪な経済状況ではなかったので帰国はあり得るということ。もう一つは「たとえ劣悪な祖国であってもそこに帰りたいと思うのは自然な心理でありそれを否定するのはどうか」ということで、前者はその通り、私が無知でした、すみません。後者も、私はそういう心情をまったく持たないが、理解は出来る。私の誤解や内なる差別心を剔抉してくれた人には感謝している。
付記5 赤字は11月12日付追記。「右からの圧力だろう」という推理がブクマコメントにあったが、たしかにそういう説も否定は出来ない。そういうことに思いが至らなかったのは私の偏見であろう。深く反省しておく。なお、原稿紛失の可能性もある。
※この記事はGAGAZINEさんよりご寄稿いただいたものです
ウェブサイト: http://gaagle.jp/gagazine/
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。