『千日の瑠璃』402日目——私は御輿だ。(丸山健二小説連載)
私は御輿だ。
ほろ酔い機嫌の、どちらかといえば相携えて事に当たることが苦手な若者たちに担がれ、太平を謳歌するまほろ町を縫って進む、御輿だ。私は、尚古の思想が一割と、二割の面白尽くの気分と、七割の自棄に支えられて、例日よりもはるかに人出が多い通りを駆け抜けて行く。私は五穀豊穣を祝いながら、いつまでも報いられない労苦にうんざりし、日々の生活に屈託した男たちに、居直りのきっかけを与えてやる。また、ずるずると家産が傾き、ここへきて急に金回りがわるくなった華族の後身に、効果的な自嘲の言葉を幾つか授けてやる。
それから私は、長患いで極端に神気が衰えた年寄りに、しゃんと背筋を伸ばして生きていた往年の気分を甦らせ、こんな田舎町まで進出して愚かな勢力を示威したがるならず者たちを懐郷の情で縛る。また、大のおとなを手玉に取るほど賢い子どもには、桃色の綿菓子のなかへ思い切り顔を突っこむことの楽しさを教え、外国産の老いた神や国産の若い神から信仰の喜びを感受する者たちの心をときめかせる。あるいは、因果の法則を過剰に恐れるあまり自室に閉じこもって静思するしかない、交通事故の加害者を窓辺に引き寄せ、実の姉にひそかに慕情を抱く内気な弟の眼を、どこかのあばずれ女に向けさせる。そして私は最後に、酒を呑まなくても千鳥足で歩くことができる少年に呟かせる。「これしきの世を生きるのに何を斟酌する必要があろうか」
(11・6・月)
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