『千日の瑠璃』396日目——私は投網だ。(丸山健二小説連載)

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私は投網だ。

義手をつけた男がしっかりした両腕を持っている者よりも巧みに操る、最大級の投網だ。和船の紬先にすっくと立った彼は、きっと血液以上のものが流れているに違いない偽せの腕に私を絡げると、バランスのゆるい体全体に弾みをつけてから、深まる秋の方向へ向ってしぶとい腰をぐっと反転させる。

私はまず残照をつかむ。ついで、湖畔で観月のために一席を張ろうとしている老人ホームの人々の長い影や、かれらの浮かれ声を取りこみ、まほろ町を構成する本体と仮象の一部を覆う。それから私は一点非の打ちどころがない美々しい正円を描き、光が透過するうたかた湖に没する。鉛の各おもりはこの星の重力に従って一斉に整然とした運動を繰り広げ、目の細かい、破れ個所などひとつもない純白の私は、群れて洄游している桜鱒の変種といっしょに極微の生物を包みこむ。

そして私は、由ない殺生までしてしまった彼自身の戦争体験をも捉える。彼には私を引き揚げる体力は充分にあるが、しかし胆力がない。食べたい魚に混じってあがってくる見たくもない生首にどう対処していいのかわからないのだ。彼は私をつかんだままいつまでもじっとしている。彼の眼は岸を行く、不幸にもきりがないことを気づかせてくれる少年の姿を追い、彼の耳はその少年が吹く口笛を拾っている。彼はどうにか私を引き揚げ、魚だけを手早く拾い、血腥い記憶は湖へと返す。
(10・31・火)

丸山健二×ガジェット通信

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