ニートが揺るがす「勤労」の幻想/無職たちは合法的略奪を目指す
今回はRootportさんのブログ『デマこいてんじゃねえ!』からご寄稿いただきました。
ニートが揺るがす「勤労」の幻想/無職たちは合法的略奪を目指す
「うちの息子が、いい年こいてまともな仕事についてなくて……」
大人の集まる飲み会では、必ずこういう愚痴を耳にする。
ニートや非正規雇用者の数はうなぎ登りに増えていて、すでに「ニュースの向こう側の世界」の出来事ではない。あなたの家族・親戚にも、一人ぐらいは「まともに働かない大人」がいるはずだ。もしかしたら、あなた自身がそういう立場かも知れない。私たちはすでにこの問題の当事者だ。
このことを考えれば、イギリスの暴動は私たちにとって対岸の火事ではない。ロンドンで暴動を起こしたのは無職の若者たちだった。彼らは「打ちこわし」という違法な手段を使って略奪に走った。「無職」かつ「不良」な人間が一定数を超えると、あのような犯罪が起こる。しかし日本で増えているのは、無職かつ「善良」な人々だ。そういう人たちは違法行為には手を染めない。合法的な略奪を狙う。
そもそも「勤労」という概念は、産業革命によって生まれた。それ以前は生活の一部だった「生産活動」を賃金労働に置き換えて、家族生活から切り離したのが「勤労」だ。せいぜい二百年程度の歴史しかないのに、私たちは「働くこと」がヒトの生得的な行動だと盲信している。
ところが人間の生産活動を「勤労」と「家事」とに分断したことで、「男は男だから偉いんだ」という稚拙な社会を強化する結果になった。勤労という概念は、じつはそんなに優れたものではない。
もちろん「働かざるもの食うべからず」という考え方は大昔からある。なぜなら大昔は「ごくつぶし」を養えるほど社会が豊かではなかったからだ。逆にいえば「働かずに生きている人」の存在は、社会の成熟を意味している。例えばアリの巣では、三割ぐらいの働きアリは仕事をしていない。もしも働かない個体の存在を許さないのならば、私たちの社会はアリ以下だ。
つまり、働きたくないやつは、働かなくてもいいんじゃねーの?
そう気づいたからこそ、ロンドンの若者たちは略奪に走った。彼らには政治信条がないという。それもそのはず、現代の「政治」は貨幣経済や賃金労働を土台としており、彼らはその土台そのものを壊そうとしている。つまり私たちは「幼稚な社会」の終焉を目の当たりにしているのだ。豊かなはずの先進諸国で増え続ける無職の若者たちは、人類を次のステージに推し進め、幼年期の終わり*1をもたらすオーバーロードである。
*1:「幼年期の終り」アーサー・C・クラーク (著) 福島 正実 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150103410/rootport-22/
日本でも同じだ。アリの場合は三割だった。人口の三割といえば、民主主義国家では一大勢力となる。もしも「無職」が団結すれば、世の中は簡単に変わる。働かなくても食っていける制度を作るのもたやすいだろう。それは社会福祉の名を借りた合法的な略奪だ――少なくとも、働いている人からすれば。
でも、やっぱさぁ、働かない人の存在を受け入れるのは社会の成熟の証だし、働けない人を無理やり働かせようとしても年間三万人の自殺者リストに新しい名前が加わるだけだと思うんだよね、俺は。
◆ ◆ ◆
昨晩、いきつけのアイリッシュ・パブで「身近な無職」が話題になった。
店主(40代後半・超絶美人)の妹が、いつまでたっても働く気配がない。結婚できる歳でもないし困った……という発言をきっかけに、客たちがそれぞれの身近な「まともに働いていない大人」の話を披露した。
やたらと酸っぱいスタウトをすすりながら私もその話に参加したのだけど、改めて「働かない若者」の多さに驚かされた。幸いにも私の親族にはニート・フリーターと呼ばれる人がおらず(そんなに大きな家系でもない)、唯一ふらふらしているのは60歳近い長距離トラック運転手の叔父だけだ。が、彼の場合は昔ながらのブルーカラーのワーキングクラスであり、ここで話題になった若者たちとは違う。自分の認識の甘さを痛感させられた。
確かに、私の友人にもニートがいる。就職はおろかアルバイトさえしようとしない純度100%のニートだ。彼は明るく朗らかな性格で、友人に声をかけてボードゲーム大会の企画をする等、社交的なニートライフを満喫している。「引きこもりがちで家族とのコミュニケーションすらまともに取れず――」という世間一般のニート像からは、およそかけ離れている。自ら人脈を作り、周囲を動かすことができる。リクルート社の価値観でいえば「優れた人材」だ。
そんな彼が、なぜニートをしているのだろう。
それは「勤労」の欺瞞に気づいているからだ。「仕事を通じて自己実現!」といった価値観とは対極の立場であり、「仕事=腹を膨らます手段」と割り切っているのだ。そして働かなくてもとりあえず飢えることはないので、彼はニートをしている。甘ったれんじゃねえと思ったそこのあなた! お怒りごもっともだ。私も彼と顔を合わせるたびに「仕事しろよー」と絡んでいる。
ただ、彼の言い分にも一理ある。
「自己実現には様々な形があるのに、なぜわざわざ仕事と結びつけるの?」
「“カネ”以外のものを目的に働いたとして、誰がいちばん得をするの?」
「それって、あらゆる産業を“憧れ産業”にしようとしてるだけじゃないの?」
ぐうの音も出ないとは、このことだ。無条件に「勤労」を礼賛していた自分が恥ずかしい。念のため注釈しておくと、彼の実家がうなるほどの金持ちだとかそういうことではない。彼は一円をケチり、私たちとファミレスに行くときもドリンクバーの回し飲みで飢えをしのぐという貧乏っぷりだ。高校生かよ。
それでもなお、「働かずに生きていけるなら働かなくていいじゃん」と彼はいう。とりあえず食うに困らず暑さ寒さに悩まされることもない以上、精神をすり減らしてまで働く理由が彼には見つけられなかったのだ。
参考)
「憧れ(あこがれ)産業で働くな」2009年7月29日『島国大和のド畜生』
http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-1231.html
※マンガ業界やゲーム業界のように、「ここで働くことが自己実現になる!」とみんなが思っている産業では労働力のダンピングが行われる。最たる例はアニメーター。/そういう産業を指して「憧れ産業」という。
◆
じつは「勤労」の歴史は浅い。
賃金労働としての「勤労」が生まれたのは産業革命のころだ。それ以前から「労働力を売って対価を得る」という生き方は存在していたものの、それが広く一般化したのはほんの200年ほど前のことだ。産業革命以前、ほとんどの人は第一次産業に従事しており、「貨幣を入手するための活動」は生活の一部に組み込まれていた。家事労働との明確な区分はなかった。らしい。
そこに工業化の波が押し寄せ、人々の暮らしを一変させた。いまの学校教育の基盤が作られたのも産業革命のころだ。なぜ学校に時間割があり、チャイムに合わせて教室移動をさせるのかといえば、工場勤務の予行練習になるからだ。個性より画一性を重視するのもそのため。/均質な労働者を供給するために近代的な学校教育は始まった。
こうした変化のなかで、人々の暮らしから「貨幣を入手する活動」だけが切り離され、摘出された。
「勤労」の誕生だ。
今でこそ私たちは「働くのが当たり前」だと思っているけれど、もともとヒトの行動に「勤労」はプログラムされていない。賃金労働が一般化するまでは無かった価値観なのだ。
暮らしから「勤労」が切り離されたことで、「家事」の価値は暴落した。貨幣を入手できないからだ。もとは同じ“生活の一部”だったにも関わらず、家事は「誰にでもできる労働」という烙印を押され、地に落ちた。また「勤労」への女性の参加が拒まれ続けているため、いまだに「男は男というだけで偉い」という稚拙な価値観が生き残っている。
参考)
「「『俺は男だえらいんだ』大会」にはもううんざり、という話」2011年8月10日『みやきち日記』
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20110810/p1
余談だけど、私の会社の総務・人事・財務・経理には女性総合職が一人もいない(!)。人権意識の高い国だったらそれだけで訴訟を起こされそうな雄々しさだ。なんつーか、野蛮人の群れと一緒に仕事をしている気分になる――といったら野蛮人に失礼か。/食事はすべてコンビニ弁当、衣類はパンツまでクリーニングという家事スキルゼロの男どもには閉口する。あたし男だけどヒトとして最低限の家事はできるわよ! 職場ではいちばん仕事できないけど家事スキルを足した総合点なら誰にも負けないんだからッ!(言い訳になってねえ!!
なお、「家事」が女性の地位向上に役立った一面もある。平塚らいてう等の掲げた良妻賢母思想だ。家事を「女の仕事」と定義し、その重要性を説くことで、女の地位をあわせて向上させようとした。それまでは“生活の一部”であるがゆえに家事労働の意義が認識されづらく、女の地位は不当に低かった。嫁なんて都合のいい労働力でしかなかった。「家事」が女の専門分野になったからこそ、十五でねえやは嫁に行きお里の便りも絶え果てるなんて悲劇は減った。ただし功罪は大きく、女が経済活動に参加する際の足かせとなり、「男はえらいんだ」思考をのさばらせる遠因となった。
また「家事」と「勤労」の分業体制を敷くことで、労働生産性が向上したという側面もある。夫婦の片方が「家事」を受け持つことで、もう一方がフルタイムで「勤労」できるようになる。「勤務」している側は今夜のこんだてに頭を悩ませる必要はなく、自動車の組み立て方法さえ理解していればいい。これにより短期間での技術習得と応用が可能になる。労働生産性が飛躍的に高まり、近代の経済発展をもたらした。
そして世の中は、豊かになりすぎたのだな。
◆
アリの巣には「働かない働きアリ」がいる。これはかなり有名な話だと思うのだけど、働きアリのおよそ三割ほどは働いておらず、なかにはまったく仕事をせずに一生を終える個体もいる。世の中にはヒマな研究者がいて、そういう働かないアリを一匹ずつ捕まえて巣から取り除いた。するとどうなったか。残ったアリの三割ほどが仕事をしなくなった。
アリの社会では一定の割合で働かないやつらがいる。緊急時のための待機要員だとか様々な説があるが、正確な理由はまだ分かっていない。
重要なのは「働かないヤツがいても維持できる社会」だという点だ。
産業革命まで、私たちは常に飢饉の恐怖と隣合わせだった。現在でも発展途上国では重要な課題だし、人口爆発による食糧難が近い将来に予想されている。「働かざる者食うべからず」という言葉の背景には、ごくつぶしを養う余裕がないという実情があった。障碍などで働けない人は、それこそ死ぬしかなかった。
ところが産業革命と近代化により、食糧事情は劇的に改善した。栄養失調は過去のものとなり、先進国では肥満と糖尿病が頭痛のタネだ。社会の豊かさがある閾値を超えると、それまで死ぬしかなかった「働かない人」を養えるようになる。そういった扶助は「働かないこと」の正当性が高い人――重篤な障碍を持つなど「働けない人」から順にほどこされてきた。社会の豊かさが増すにしたがって、扶助の範囲も広がっていった。つまり「幸せな無職」の数は、社会の成熟度を示す指標なのだ。働かない個体の生存を許さないのであれば、私たちの社会はアリ以下だということになる。(※それだけアリの社会が優れているともいえる)
「幸せな無職」が社会の豊かさの証明である以上、働かずに生きていけるのなら働く必要はない。
「なんだとぅ! 俺がこんなに頑張って(≒ツライ思いをして)働いているのに、そのカネで食わせてもらおうだなんて不届千万!」と思うのなら、まず問い直すべきは「なぜ自分はツライのか」という点だ。「勤労」が人為的に作られた概念である以上、「働くのは尊い!」と盲信するべきではない。イヤなら辞めちゃえ、そんな仕事。
「不幸な賃金労働者」と「幸せな無職」の、いったいどちらが充実した人生だといえるだろう。
なお、「幸せな無職」のロールモデルなら、ネット上でいくらでも見つけられる。ヒマを持て余したニートたちはブログやSNS、匿名掲示板に暮らしぶりを公開している。あなたが満員電車に押し込まれているときに、彼らは文庫本を片手にふらりと自転車で出かけている。あなたが嫌な上司に愛想笑いを向けているときに、彼らは友だちと一杯のコーヒーで語りあっている。あなたがくだらないサービス残業に身をやつしているときに、彼らは好きな映画を浴びるように観ている(旧作DVDなんて数百円で買えるし、友人間で貸し借りすればさらに安上がり)。いったい何のための人生か。誰のための一生か。
参考)
「無職の才能」2011年5月23日『phaのニート日記』
http://d.hatena.ne.jp/pha/20110523/neet
しかし世の中は、まだ充分に成熟していない。「働かない大人」を気軽に許せるほど私たちは大人ではない。無職に対する風当たりはいまだに強いし、イギリスでは「社会保障にぶら下がるどん底階層とそこに税金を略取されている(と思っている)中間層との対立」という形でくすぶっていた。無職たちの言い分はいたってシンプル:もっとよこせ、だ。その欲求のままに行動し、略奪・暴動へと発展した。
充分に成熟した社会では、「働きたくないから働かない」が許される。であれば、彼ら無職は平和的な手段で「もっとよこせ」を主張するべきだった。そんな詐欺的な主張が許されるはずない? いいや同士諸君、そもそも資本主義経済そのものが詐欺的ではないか! 万国の無職よ団結せよ!(もちろんジョークです念のため)
働かない大人を受け入れるということは、勤労を柱とする近現代経済の終焉を意味している。私たちの社会は、いま幼年期の終わりを迎えようとしている。
※といっても「無職」の生存が許されるのは社会の豊かさがあってこそだ。今後の日本でそれが可能かどうかは分からない。女工哀史みたいなヒドイ時代に逆戻りしそうな雲行きだし。
執筆: この記事はRootportさんのブログ『デマこいてんじゃねえ!』からご寄稿いただきました。
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