『千日の瑠璃』343日目——私は生ビールだ。(丸山健二小説連載)
私は生ビールだ。
《三光鳥》の老木と奇岩をあしらった庭へ出て涼むふたりの女、彼女たちを一層強かにさせる生ビールだ。私のせいで女将と娼婦は更に打ち解け、十年の知己の如く喋り、互いの身の上話に、半分は嘘だと承知していながらも本気で涙ぐみ、「大変だったのねえ」と「わかるわあ」を連発する。対岸のキャンプ場からは、若者たちの明日を嫌って張りあげる胴間声や、男の気を引くためのわざとらしい矯声や、忍び寄る秋の気配を撃退しようとたてつづけに弾けるおもちゃの花火の音などがひっきりなしに届くが、しかしそれらは私の味にけちをつける音声などではない。
そして日が落ち、風がぴたりとやみ、蒸し暑い夜がまた訪れ、重苦しい聞が妙趣に溢れた庭やふたりの女を包みこむ。ほどなく、もともとアルコールに弱い娼婦は、いっしょに呑んでいる相手を忘れてしまう。彼女はぶつくさと旧怨を言い立て、誰かに受けた非道な仕打ちを持ち出す。他方女将は女将で、《三光鳥》の立て直しが目下の急務だと幾度も繰り返し、女手ひとつで切り回すにはどんな真似でもしなくては、というような通るはずもない言い訳を始める。ふたりが酔い潰れた頃、半ば聞に溶けている少年が湖の方から現われ、私をまじまじと眺め、ジョッキをつかんでぐっと呑み干し、焼き鳥をひと串頬張ると、麗しい友情で結ばれた、孤独な限りの女たちを横眼で見て、さっさと夜の奥へ帰って行く。
(9・8・金)
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