『千日の瑠璃』313日目——私は午下りだ。(丸山健二小説連載)
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私は午下りだ。
フェーン現象のせいでひと際暑くなった日の、人心を惑乱するほど気怠い午下りだ。私はまほろ町を包みこんで午睡をする人の数をいつもの倍に増やし、街道の交通量をいつもの倍に減らし、ついでに底意や小策の数も減らしてやる。そして煌くうたかた湖とその周辺の屈折した光景をさながら油絵のように塗り固め、押し固めて、夏場だけ開店する湖上のレストランを夢現の方向へ近づける。
清水が作る風がどの方角からも自由に出入りできるよう設計されたそのレストランでは、客のあら捜しに厭きた給仕が淡い黄色の壁にもたれて睡魔と闘っており、ステンレスとアルミに支配された厨房では、馬面のコックが仕込みを終えて人心地ついている。また、さほど首を回さずとも湖の三分の二が見渡せる窓際の席の、たったひとりの客、つば広の、涼しげな帽子をかぶった女は、気楽で孤独な昼食をすませ、今は、青いガラスの器に注がれたハーブ入りの冷たい紅茶をすすっている。テーブルの中央の一輪差しに飾られた野の花は、彼女の胸のうちにも咲き乱れている。そうやって彼女は、対岸にある、見まいとしても見えてしまう《三光鳥》の女将の立場を離れ、熟慮を要する問題から離れて、避暑客になり切り、よそ者のふりをしている。窓のすぐ外で少年世一が懸命に手を振っても、彼女はにこりともせず、波と風と私が奏でる美妙な楽の音に聴き入り、悠久の時にゆったりと浸っている。
(8・9・水)
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