『千日の瑠璃』286日目——私は荒涼だ。(丸山健二小説連載)
私は荒涼だ。
もう何年も前に雷火に焼かれ、落石に幹を真っぷたつに裂かれて枯れてしまった杏の大木に宿る、荒涼だ。私は、一枚の葉もつけていない荒くれた枝がわしづかみにしている梅雨空に派生し、遠隔の地へと流れてゆく分厚い雲にも影響を与え、まほろ町をいつもの手配りで覆い始めたタ闇を死の方向へと近づける。鳴くことができる虫は私に恐れをなして沈黙し、飛ぶことができる虫は直線的な肢を微動だにせず、菌を媒介する虫もまたどこか適当な場所に身を隠してしまう。
そして、物好きにもわざわざ私に会いにやってきた、ときには己れを虫けら扱いしたがる小説家もまた、私をひと目見ただけで犬を連れてこなかったことを後悔し、私の核心に迫る言葉を発見するどころかしっぽを巻いて逃げ帰り、あとに筆禍を招きそうな文章を二つ三つ置き去りにする。一般の気受けがあまりよくなく、とかく風評のある彼の背中に、私は「十年早いんだよお!」を叩きつける。
そのあとで、酒を呑むようになってから万事に粗雑になった男、まほろ町の役場に四半世紀も勤める職員、鬘をつけてさえいれば禿げた頭のほかに禿げた心まで隠せると思いこみ、職務怠慢がすっかり板についてしまっている、娘と息子を持つ父親がやってくる。彼は、的外れで手前勝手な意見をさんざん吐いて私に絡み、安酒の余臭と自噸の笑いを残して、彼の息子と酷似した足どりで帰って行く。
(7・13・木)
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