『千日の瑠璃』282日目——私は浮子だ。(丸山健二小説連載)
私は浮子だ。
箸よりも細いリチウム電池を仕込まれて頭の部分を光らせている、夜釣り用の浮子だ。私が仄かに点す赤い光は湖面すれすれのところに浮かんで茶柱のように立ち、さざ波に合せて微かに揺れている。その光は水にも映っている。丈夫一点張りの竿を握る男は、闇になり切り、あるいは水になり切って、ひと晩に一度あるかなしかのときめきの嵐を待っている。感動が電流のように全身を駆け巡るあの一瞬のために、彼は生きているのだ。彼は、釣れても釣れなくてもいいという、そんな弛緩の趣味を楽しんでいるわけではない。
だが、彼への私の返事は依然として素っ気ない。これまで餌の芋羊襲が幾度取り替えられたことか。どこかで誰かが琵琶を弾じながら、釣果を危ぶむ声をうたかた湖へ流している。経歴の詐称など何とも思わず、仕事が山積するとたちまち逃げ出すようなこの男は、私を凝視するときのみ丹心を砕いて事にあたり、わるいのは自分だと心づく。
彼のほかにも私を見つめている者がある。あの少年だ。夜そのものになり切った少年は、私の動きに合せて体を揺らしている。どういうわけか彼が傍にいると鯉は寄ってこない。妨害をするわけではないのだが、彼が岸に佇む夜に限って、野鯉の群れは洄游のコースを大きく変えてしまうのだ。納竿を決めた男はこう呟く。「鯉にまで見放されたか」と。すると少年は言う。「恋にまで見放されたか」
(7・9・日)
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