『千日の瑠璃』268日目——私は戒律だ。(丸山健二小説連載)

 

私は戒律だ。

うつせみ山の懐に抱かれた禅寺で修行を積む僧たちの自立の道を絶っている、戒律だ。浮世を何かろくでもないものに寄えて否定し、帰依者として一条の活路を見出そうと日々あがいているかれらは、最も肝心なことを忘れてしまっている。己れを己れの規則でぎりぎり縛りあげることが如何に有害で、危険であるかについて、一日も早く気づくべきだ。

この私に寄りかかっているかれらは、私に頼り過ぎ、私が与える苦痛に満足し切っている。この上なく威圧的で、誰よりも横柄に構え、仮借なく責め立てる私が、実はかれらの精神を遊蕩に耽る者以上に堕落させ、ずたずたに引き裂いているのだ。あまりに従順なかれらは何の疑いも持たないで肉体を私に委ね、愚かな魂を天外に飛ばし、悟りの周辺をぐるぐる回りながら奈落の底へと落ちて行く。かれらはこの世に在ることの深意を悟ろうとせず、迷いのための迷いと戯れ、苦行のための苦行を満喫している。その挙句、ひとたび私に見限られると漸死を遂げたりするのだ。

私はかれらの鬱勃たる情熱を奪い、不屈の負けじ魂を挫き、己れの非力を存分に錯覚させてやる。かれらは私のひと睨みでたじたじとなり、ときには声を出して潸然と泣いたりもする。その情けない泣き声に応えて、少年世一のオオルリが、こう鳴く。ひと思いに死んでしまえば楽になれるのに、という無責任なさえずりをうつせみ山に叩きつけてくる。
(6・25・日)

丸山健二×ガジェット通信

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