『千日の瑠璃』68日目——私は出逢いだ。(丸山健二小説連載)
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私は出逢いだ。
校舎の屋上から女子学生の笑いさざめく声が溢れる頃、少年世一を訪れた眼もくるめくばかりの出逢いだ。きょう私は、常に地球の回転に合せて今を生きる世一に、うたかた湖の主ともいえる淡水魚を引き合せた。まずは、沖へ向って長々と延びる朽ちかけた桟橋の突端まで世一を進ませ、ついで、湖底から靴べら大の鱗に覆われた巨鯉を、言葉巧みに誘き出した。冬眠を中断しても見ておく価値のある子どもがいるとか何とか言ってやると、鯉は、嘘だったらただではおかないなどと呟きながら、ゆっくりと浮上してきた。
世一は思い設けぬ出来事にのけ反るほど驚いたものの、相手の荘厳無比な大きさに強く心を打たれ、踏みとどまった。そして鯉のほうは、世一のぐにゃぐにゃした体から尋常一様ではない生々の気が定常電流のように放たれていることに気づき、二百有余年生きて初めて人間と対等に付き合ってもいい気持ちになった。両者は普遍の水と大気を透して、しばし互いの胸のうちを覗き合った。その問波は静まり、飛ぶ鳥は空中に停止していた。
かくして世一の震える脳には、いつでも巨鯉を呼び出せる力が備わった。また、あんこ型の力士の腹よりも太い野鯉の胴のなかには、この先千年でも生き永らえそうな、剛毅な力がいっぱいに漲った。鯉は巨躰を反転させて深場へ帰って行き、世一は千切れんばかりに手を振り、私は会心の笑みを浮かべた。
(12・7・水)
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