ささやかな日常が素晴らしい〜『とんがりモミの木の郷』
セアラ・オーン・ジュエット。この名前にお心当たりのある方は相当のアメリカ文学通といえるのではないか。私も学生時代は英米文学専攻だったゆえ、テスト前の一夜漬けで作家の名前を暗記したりもしたものだが、ジュエットという固有名詞にはまったく覚えがない(訳者解説でも、ジュエットの知名度の低さは指摘されている)。しかし、いいですよ。すごくいいです、ジュエット! こんな月並みな言い方しかできないほどに。
いや、もっと繊細にジュエット作品を表現している作家たちの言葉をご紹介しよう。ヘンリー・ジェイムズは「美の精華」、キプリングは「まさに人生そのもの」と評しているらしい(そうか、こんな風に言えばいいのか…)。でも、このような絶賛がまったく大げさではないほど素晴らしいのだ。本書には、表題作である中編の他、5つの短編が収録されている。いずれの作品においても、さほどの大事件が起こるわけではない(当人たちにしてみれば、そこそこ重大なできごとなのだろうけれども)。
ふつうの暮らしが最も大切なものだとは、よく言われることである。しかし、日々ガサガサ過ごしているとどうもそのありがたみを忘れがちだ(家事の手は抜けるだけ抜き、息子たちの学校のプリントをしょっちゅうどこかへ埋もれさせ、仕事に出かけるときはいつも電車の時間ギリギリなどというがさつな我が日常では、そもそもふつうレベルにすら達していないという気もするのだが)。しかし、本書を読むと、確かにふつうの暮らしの素晴らしさがひしひしと心に迫る。
どの作品もしみじみと味わい深いのだけれども、特に印象的だったのは「ベッツィーの失踪」である。救貧院で生活している老女のベッツィーのところに、あるときお客が訪れる。その訪問者は、ベッツィーが以前働いていた屋敷の主人の孫娘だった。彼女から渡された100ドルを持って、ベッツィーはフィラデルフィアで開催されていた建国百周年記念博覧会を見に行くため、救貧院から姿を消した…。
建国百周年記念博覧会は当時の大イベントであるとはいえ、未来からやって来たターミネーターに遭遇したりビルに立て籠もったテロリストたちと孤独な戦いをしたりするのに比べたら、スケールはごくささやかだ。しかし、念願の博覧会を見て回る69歳のベッツィーはキラキラと輝いている。本書の多くの登場人物に共通する、新しいことやふだんとは違うできごとに対して臆することのない、また周囲の人々に優しいという美徳を持ち合わせたキャラクターでもある。歳をとるのは憂鬱な面はあるけれど、彼らのように生きていけるなら悪くない人生ではないかと思わせてくれた。
ジュエットは1849年生まれ。同じく女性作家で『小公女』『秘密の花園』などの著者であるフランシス・ホジソン・バーネットと、同年の生まれのようだ。ジュエットの父親は医師で、母親も名家の出身。経済的に余裕のある家庭の出と聞いて、育ちのよい人が持ち合わせている人のよさみたいな部分が、彼女の文章にもにじみ出ているように思われた(日本でいう白樺派的な)。Wikipediaはないみたいなので、ぜひセアラ・オーン・ジュエットという名前だけでも覚えて帰ってください。
(松井ゆかり)
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