MITメディアラボ石井裕教授に聞く─30年の研究を支えたエネルギー源とは?【前編】

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MITメディアラボ石井裕教授に聞く─30年の研究を支えたエネルギー源とは?【前編】

MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ教授で、画期的なコンピュータインターフェイス研究者として知られる石井裕氏が、コンピュータ・ヒューマン・インターフェース学会(ACM SIGCHI 2019)で、最高の名誉である「生涯研究賞(SIGCHI Lifetime Research Award)」を受賞した。日本ではもちろん、アジアでも初めての受賞となる。

石井裕氏の30年にわたる研究活動を支えたエネルギー源は何なのか、未来社会を創造するためにどんなイノベーションが求められているのか─「リクナビNEXT」藤井薫編集長がインタビューした。

石井裕_藤井薫

マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ教授 石井 裕氏<写真左>

1956年生まれ。北海道大学大学院修士課程修了。マサチューセッツ工科大学教授、メディアラボ副所長。日本電信電話公社(現NTT)に勤務後、西ドイツのGMD研究所客員研究員、トロント大学客員教授、NTTヒューマンインターフェース研究所を経て、1995年、MITメディアラボ教授に就任。直接手でデジタル情報に触って操作できるインターフェース研究「タンジブル・ユーザーインターフェース」で世界的な評価を得る。現在、MITメディアラボ副所長。

「リクナビNEXT」編集長 藤井 薫<写真右>

1988年にリクルート入社後、人材事業の企画とメディアプロデュースに従事し、TECH B-ing編集長、Tech総研編集長、アントレ編集長などを歴任する。2007年からリクルート経営コンピタンス研究所に携わり、14年からリクルートワークス研究所Works兼務。2016年4月、リクナビNEXT編集長就任。リクルート経営コンピタンス研究所兼務。著書に『働く喜び 未来のかたち』(言視舎)。

MIT石井裕教授が「生涯研究賞」を受賞した意義

藤井:今回先生は世界的なヒューマン・コンピュータ・インタラクション(HCI)の学会「ACM SIGCHI 2019」で、「生涯研究賞(Lifetime Research Award)」を受賞されました。コンピュータインターフェイス分野の研究の業績に対して授与される最も権威ある賞と伺っています。

石井:生涯研究賞は、集合知(Collective Intelligence)のビジョンを発明したことで知られるダグラス・エンゲルバードをはじめとする、HCI の世界の先駆者的な研究者が受賞しています。私が歴代21番目となりますが、日本ではもちろん、アジアでも初めての受賞者でした。

生涯研究賞受賞シーン石井教授が受賞した生涯研究賞(Lifetime Research Award)が発表された瞬間

(Photo Credit: Mariko Tagashira)

藤井:いずれの受賞者もHCIの分野に新しい流れを作り出し、大きな貢献を成し遂げた人々ばかりですね。既存のものに単に改良を重ねたというのではなく、新しいストリームを生み出した人々。石井先生の場合は、「タンジブル・ビッツ」という既存のコンピュータの概念を一新し、形のない情報を直接触れることができるインターフェイスを生み出した研究が評価されたのですね。

石井:私がこの研究を25年間続けることによって、「タンジブル・ビッツ」というユーザーインターフェイスが世界に認知されただけでなく、これを専門的に研究する学会、TEI(Tangible, Embedded and Embodied Interaction)も誕生し、今年で14年目になります。

inFORCEタンジブル・ユーザーインターフェイスの研究例:触覚をコンピュータ計算し、変化する形状を3Dで表示するディスプレイ「inFORCE」

さらに、MITメディアラボの中で私が率いているグループは、タンジブルの研究をベースに、最近は「ラディカル・アトムズ(Radical Atoms/励起原子)」というテーマにも取り組んでいます。こうした新しい研究の流れを作り出したことが認められ、今回の受賞につながりました。私は、生きているうちにこの賞をもらえてとても嬉しいです(笑)。

ラディカル・アトムズ(Radical Atoms/原子レベルで物体のアクションをプログラムする研究プロダクト)

藤井:先生の研究は、デジタルと物理の世界をつなぐだけではなく、身体的相互作用(Embodied Interaction)という言葉もありましたけど、機械と人間の身体的な関係についての新しい地平を切り開いてきました。

先生の講演をビデオでたくさん見させていただきました。「サンドスケープ(SandScape)」の直感的で身体的なインターフェイスに感動しましたが、お母さまへの贈り物が原点にあるという「ミュージックボトル(musicBottles)」の情感に触れた時には、泣きそうになりました。

ボトルの栓を開けると美しい音色が響く「musicBottles」と、粘土や砂の3次元モデルを手を変形させると、等高線や受光量を計測し、リアルタイムに投影する景観デザインシステム「サンドスケープ」。

石井:ありがとうございます。デジタルをタンジブルにするというのはどういうことか。デジタルというのは0とか1といった情報の抽象的な概念です。それが表現されるメインの舞台がコンピュータスクリーン、すなわちピクセルの光る点です。しかしピクセルには実体がない。それに物理的な実体を与えることで、デジタルをタンジブルにしよう、というのが最も簡潔な説明です。

石井裕氏

タンジブルなインタラクション、つまり我々がペンをつかみ、粘土をこね、あるいは赤ちゃんを抱きしめる。そういったタンジブルなインタラクションというものを、人間とコンピュータとの間に作り上げよう。それによって、人はインスパイアされ、エンゲージできる。そういうことを目的とした研究ということができます。それがゴールです。

もちろん、タンジブル・ビッツもラディカル・アトムズも概念が非常に抽象的なので、具体的な実用例をたくさん出さないとなかなか理解されない。それには私も苦労しました。その一方で、ビジョンを生み出すことの重要性もぜひ理解してほしいと思います。

ビジョンやコンセプトをゼロから生み出すための闘い

藤井:なぜビジョンが重要なのでしょうか。

石井:テクノロジーはほとんどの場合、なんらかの問題解決に適用されますが、やがて次のテクノロジーに置き換えられて、捨て去られます。お客様のニーズに応じていろいろなサービス、アプリケーションを作るというのはビジネス化のためにはとても大事なことです。一方でテクノロジーは大きく変化し続け、音楽を再生する手段だけでも、LPレコード、CD、mp3、ストリーミングと激しく変化し続けています。

ニーズの変化をとらえて、マーケットを見つけ、ニーズを満たしたビジネスをすることは価値のあることです。しかし、私は全く違うことをやりたかったんです。例えば「技術革新を通してバッテリーの寿命を去年より7%伸ばした」という貢献は定量的で、実にわかりやすい。

ところが、まだエネルギーを蓄積するということを誰も考えつかず、「バッテリー」という概念(コンセプト)が存在しない時代に、エネルギーを蓄積できる装置としてバッテリーというビジョンやコンセプトを世界で初めて考えつくとしたらどうでしょう。つまり、無から有を生んで、それを実体化し、人にその効果を信じさせること。それこそが、本来のイノベーションなのではないでしょうか。

藤井:ビジョンの創出こそが、先生の研究を支えた大きなエネルギーの源ということなのですね。

藤井薫

石井MITメディアラボでの25年間は、ずっと「良い仕事をしたい」という思いに駆られていました。良い仕事が何なのかは当然、人によって違いますが、私は私にしかできないオリジナルな仕事をしたかった。

私より優秀なエンジニアはたくさんいます。MITの学生は技術力では私よりはるかに上ですし、多様な知識や経験も持っている。そこで私自身が何かできるとするなら、より高いレイヤーにあるグランドビジョンを構築することだと考えたのです。

自分が人生を賭けて取り組めるような息の長い研究をコアにしたいとも考えていました。まずは、どういう未来にしたいか思い描く、そこにオリジナリティを徹底的に追求する。当然ですが、現在得られるアート・デザイン・サイエンス・テクノロジーの知見の全てをそこに導入し、統合することも大切です。

藤井:それを形にしたものが人の胸を打つ、人の心を鼓舞するのですね。最後はアートに昇華される。こうした螺旋階段を巡りながら駆け上がるようなアプローチは、なかなかユニークなというか、誰もができることではないと思います。

石井:テクノロジーだけで性能を向上させる、あるいは美しくて機能的なデザインだけを作るのならもっと簡単だったのでしょうが、深いコンセプトを持ちながら、それをアート、デザイン、サイエンス、テクノロジーの各領域にまたがる形で表現し、インパクトを与えるということはとても難しいし、実際にやっている方はほとんどいませんでした。

私はMITメディアラボの前に、日本のNTTヒューマンインターフェース研究所に在籍しました。そこで同僚の小林稔氏と共に開発し、1992年に発表した「クリアボード」という仕事が大きなヒットとなり、アラン・ケイからアトランタで講演しないかと誘われたのが、25年前の1994年のこと。これが私がMITに移るきっかけにもなりました。

1994年当時、NTTヒューマンインターフェース研究所で「クリアボード」の研究に取り組む石井教授

藤井:アラン・ケイとは、「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」という言葉でも知られる計算機学者ですね。

石井:アラン・ケイは、今回の私の受賞に寄せて、「石井のクリアボードは、ダグラス・エンゲルバート以降、過去30年間で見た最高の仕事だった」と言ってくれました。

アラン・ケイは私にとってまさに神様ですが、ダグラス・エンゲルバートはそれを上回る至上の神。その横に私の名前を並べていただけるのは、ショッキングなくらい名誉なことでした。

藤井:MITメディアラボに移る際に、ニコラス・ネグロポンテ所長に呼ばれて、一番最初に言われたのが「君が今やっている仕事はわかった、だがここではまったく新しいことをやれ、リブート(再起動)しろ」という言葉だったというのは有名なお話です。そう言われて先生は愕然としたのか、それとも戦うしかないと覚悟を決めたのか、どちらでしょう。

石井:後者ですね。実は後から知ったことですが、「リブートしろ」というのは、ネグロポンテの常套句なんだそうです(笑)。だから、アラン・ケイには「ニコラスの言うことなんて聞くことないよ」と言われた。「クリアボードの研究は、そんなことに耳を傾けず、やり続ける価値がある」という含意があったのだと思いますけど。ただ、それでも、ニコラスの言葉があったからこそ、新しいものが生まれたことは確かです。

アートの感性を持つことで、新しいタワーを創る

藤井:テクノロジーやアートの役割や、使命についても伺いたいと思います。

石井:テクノロジーとアートとは全然違うもので、それぞれ違った貢献の仕方や価値観を持っています。だからこそ、私たちはあらゆる言語を話せなければいけない。自分のアイデアをアートとしても表現でき、デザインとしてもトップクラスの仕事をし、サイエンス的な貢献もし、テクノロジーの発明もしなければならない。

バベルの塔が建った時代、世界中の人々は共通の言語をしゃべったという伝説があります。しかし天界にも届くようなタワーを造るという不遜な行為に対して神が怒って、その塔を壊した時に、人々は共通の言語を失いました。

だからこそ、私たちは今、アート、サイエンス、デザイン、テクノロジーの異なる言葉を自在に話し、コアなアイデアやビジョンをこの4つの象限をぐるぐる回りながら表現し、磨きあげ、天に向かって新しいタワーを創らなければならないのです。

バベルの塔とアート,サイエンス,デザイン,テクノロジーアート、サイエンス、デザイン、テクノロジーが混ざり合って、コアなアイデアやビジョンをとなる「バベルの塔」が建つ

藤井:4つのその中でも特に大事なものはありますか?

石井:その中でも重要なのは、アートの役割だと考えています。科学・技術・工学・数学の教育分野を総称するSTEM教育は世界中で重要だとされていますが、私の盟友であるジョン・マエダ(グラフィックデザイナー、 計算機科学者)はそれにアートの“A”を足して、“STEAM”と表現し、アートがいかに大事かということを世界中で提唱しています。

まったくその通りで、アートを理解できる感性、アーティスティックな感性がないと、人々の喜びも、悲しみも、苦しみも理解することができません。テクノロジーだけが中心にあるわけではないし、それが全てであるということは絶対ありません。

これまで話したことを私は最近、「Be Artistic & Analytic, Be Poetic & Pragmatic」という言葉で端的に話すようにしています。アートも分析も、詩も実用性もそれぞれは別の価値観であり、溶け合わせることはできません。

しかし、それが同時に存在することはできる。こうした立ち位置を徹底するためには、このスパイラルを高速に周り続けなければならない。間違っても一つだけを中心にしたら、なかなかその先の次元には行けないですね。

⇒後編「MITメディアラボ・石井裕教授に聞く─屈辱感をバネにして、ジャンプする力に変えよ」に続く

Be Artistic & Analytic, Be Poetic & Pragmatic 文:広重 隆樹 写真:栗原 克己 編集:馬場 美由紀

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