瀧廉太郎の青春と音楽〜谷津矢車『廉太郎ノオト』
瀧廉太郎について知っていること。「花」や「荒城の月」の作曲者であること。メガネ男子であること。…もう終わってしまった。だから、廉太郎が23歳という若さでなくなったことも、”勉強も運動もクラスでいちばん”的なタイプだったことも、幸田露伴の妹たちと音楽を通じて交流があったことも(そもそも彼女らが音楽家だったことも)知らなかった。そして、廉太郎がこんなにも音楽に全身全霊を捧げていたことも。
廉太郎は明治12年の生まれ。もともとは「九州大分の小藩日出の国家老の家柄」で、「世が世なら家老だった」というのが父・吉弘の自慢。廉太郎には10歳ほど年上の姉・利恵がいた。琴が好きだった利恵は、廉太郎の楽器の先生役だった。自分がやっと覚えたばかりの曲にすぐ音を合わせて重奏できる弟に音楽の才を見出す。利恵自身が音楽を学べる学校に入りたいと望んでいたが、そもそも抜きん出た才能はなかったし、残酷にも肺病が彼女の命を奪ってしまった。姉の遺志を継いで音楽を一生の仕事としてやっていこうという気持ちが、生涯廉太郎を突き動かしていたと思われる。
渋る吉弘を従兄・大吉の加勢を得てなんとか説き伏せ、廉太郎は東京音楽学校の予科に最年少入学を果たした。しかし予科から本科へ進むためにはさらなる難関をくぐり抜けなければならず、廉太郎は将来への不安を常に抱えていた。そんなある日、廉太郎はひとりの少女を見かける。その少女はバイオリンを携え、高い技術と「鳥肌が止む気配がない」ような凄みを感じさせる音を奏でていた…。
この少女が幸田幸、幸田露伴の妹で天才バイオリニストの評判も高い音楽学校の二学年先輩だった。彼女との出会いによって、廉太郎の演奏は劇的に変化し、音楽を志す意志も揺るぎないものとなった。とはいえ、廉太郎の成長を助けたのは幸だけではない。幸の姉であり同じく才能に満ちあふれたバイオリン奏者かつ音楽学校の教師でもある延、その師であるケーベル、音楽学校の同窓生や先輩たち。現代の我々の多くが名前を知っているのは滝廉太郎(と、音楽家ではないが幸田露伴)くらいだろうが、実際には何人もの有名無名の人々の尽力によって日本の音楽は発展してきたのだ。本書は廉太郎の成長小説であると同時に、音楽に人生を懸けた者たちの群像劇であり、西洋の新しい息吹を取り入れて発展していくさま(一方で、日本にも独特の美が存在すること)を描いた音楽小説なのである。
この文章を書くにあたって、廉太郎の作曲した楽曲を聴いてみた。私は音楽に関しては無知極まりない人間なのだが、それでも「花」や「荒城の月」は知っている。あまりにも有名すぎてこれまで格別の感慨もいだいたことのない曲だったが、本書を読んでから聴き直してみると改めて胸に迫るものがあった。さまざまな作品に息づく制作者の思いはいつまでも色あせることなく、時を経ても人々の心を照らし続ける。
著者の谷津矢車さんは、歴史小説・時代小説の分野で活躍されている。私はふだん歴史小説や時代小説を手に取ることは少ないのだけれども、『廉太郎ノオト』に関してはページをめくる手が止められなかった。ちなみにWikipediaによると、「谷津矢車」というペンネームは、ご実家の家紋が「八つ矢車」に由来しているそう。実家の家紋なんて、自分のとこのも夫のとこのも知らんわ! いろいろな角度から気になる作家が、またおひとり増えました。
(松井ゆかり)
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