ベツレヘムの星とは何だったのか(寺門和夫ブログ)

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今回は日本宇宙フォーラム主任研究員 寺門和夫さんのブログ『寺門和夫ブログ』からご寄稿いただきました。

ベツレヘムの星とは何だったのか(寺門和夫ブログ)

ベツレヘムの星とは何だったのか(寺門和夫ブログ)

歴史的な出来事や伝説を天文学の立場から研究する古天文学という分野があります。欧米での古天文学の最大のテーマの1つが、イエスが生まれたときに出現したとされる「ベツレヘムの星」です。下はプラド美術館所蔵のヒエロニムス・ボス作『東方三博士の礼拝』です。イエスを抱くマリアのいる小屋の上に明るい星が描かれています。

ヒエロニムス・ボス作『東方三博士の礼拝』

この星の正体が何であったのかについては、昔からいろいろな説があります。

下のルネサンス初期の画家、ジョット(1267~1337)の『東方三博士の礼拝』(一部)では、イエスの生まれた小屋の上に彗星が描かれています。

ジョット(1267~1337)の『東方三博士の礼拝』

この彗星は76年周期のハレー彗星で、ジョットがこの絵を描く少し前の1301年に出現しました。ジョットがハレー彗星を実際に見たかどうかは定かではありませんが、少なくとも、その出現に強い印象を受け、これをベツレヘムの星として描いたわけです。イエスが生まれたころのハレー彗星の出現時期は紀元前12年なので、これをベツレヘムの星と考える人もいます。ハレー彗星が1986年に地球に接近したとき、ヨーロッパが打ち上げたハレー彗星探査機「ジョット」は、この絵を描いた画家の名前にちなみ名付けられたのです。

ベツレヘムの星は『新約聖書』の「マタイによる福音書」に出てきます。イエスが生まれたとき、エルサレムのヘロデ王のところに、東方から3人の「占星術の学者」がやって来て言います。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みにきたのです」。ヘロデ王は不安になり、エルサレムの学者たちを集めて、預言では救世主はどこで生まれることになっているかと聞きます。それはベツレヘムであると、彼らは答えました。そこでヘロデ王は占星術の学者たちを呼び寄せ、「星の現れた時期」を確かめ、ベツレヘムへ行ってその子のことを調べてほしいと頼みます。「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み」、イエスのいる場所の上に止まります。「学者たちはその星を見て」喜びにあふれました。

ベツレヘムの星が何かの象徴ではなく、実際に起こった天文現象であったとすると、それが何かを知るためには、まずイエスの生まれた年が問題になってきます。紀元1年がイエスの生まれた年とされているわけですが、実際のイエスの誕生年はそれより少し早いことがわかっています。イエスの両親、ヨセフとマリアがベツレヘムへ行ったのは、ローマ皇帝アウグストゥスの人口調査令のためでしたが、これが行われたのは紀元前8~5年です。ヘロデ王がイエス、すなわちユダヤの王の誕生をおそれて2歳以下のユダヤの男児を皆殺しにしたのが紀元前6~5年、ヘロデ王が死んだのが紀元前4年です。したがって、イエスの誕生は紀元前7~5年あたりとみられています。このころにおこった、占星術的に見て特別な意味をもつ天文現象を探さなくてはなりません。

もう1つ、ベツレヘムの星が現れた方角も大事になるかもしれません。占星術の学者は、「東方で」星を見たのですが、この部分は原文からすると「東の場所で」という意味以外に、「東の空に」とも解釈できるのです。また、ベツレヘムはエルサレムの南にありますので、星が占星術の学者たちに先立って進んだということは、このとき、星は南の方角に見えていたことになります。一晩のうちに、星は東から西に移動しますから、どの方角に見えていても問題ないとも考えられますが、ある星または特別な天文現象が東の空にあらわれる(昇ってくる)こと自体が、ベツレヘムの星の意味だとする考えもあるのです。

さて、ベツレヘムの星とは何だったのでしょうか。彗星は候補の1つです。ハレー彗星は出現時期からみて少し無理があるかもしれませんが、イエスが生まれたころに別の彗星が出現していたかもしれません。ただし、それに該当する彗星の記録は残っていません。

一生の終わりに爆発して明るく輝く超新星も、候補になります。ヨハネス・ケプラーはこの説をとっていました。彼は1604年に超新星を観測していますが、そのとき木星と土星が接近しており、超新星はこの2つの惑星の間の位置に出現しました。そこで、ケプラーは惑星が接近した時に超新星が生まれると考えました。彼は惑星の軌道計算によって、紀元前7年に木星と土星が接近したこと、さらに紀元前6年には火星と木星と土星が接近したことを知っており、このときに出現した超新星がベツレヘムの星だと考えたのです。

紀元前7年には木星と土星の接近(会合)がうお座で3回おこりました。この3連会合はめずらしい現象なので、これがベツレヘムの星であるという説もあります。聖書で「星」は単数形になっていますが、それ自体、複数の概念をふくむ言葉とされていますので、こうした天文現象も、ベツレヘムの星の候補となり得るのです。3回の会合の日付については、文献によっていくつか別の組み合わせがあります。計算に使ったプログラムのせいかもしれません。私が天文ソフトで調べたところでは、5月27日、10月6日、12月1日というのが正しいようです。

比較的最近では、紀元前6年に木星がおひつじ座にあり、4月に東の空に昇ってきたことがベツレヘムの星だという説が出されています。これはローマ時代のコインに、おひつじが振り向いて星を見ているという図柄のものがあることから考え出されたものです。この年、木星はおひつじ座の中を行ったり来たりするのですが、12月に方向を変えるために止まったときが、ベツレヘムの星がイエスの小屋の上に止まったときだというのです。

ベツレヘムの星が何であるか、結論は出ていませんが、キリスト教徒でなくても少しだけ聖書の世界に親しみ、古い時代の天文現象に思いをはせることができるのも、クリスマスの楽しみの1つです。

 
日本宇宙フォーラム主任研究員 寺門和夫

 
執筆: この記事は日本宇宙フォーラム主任研究員 寺門和夫さんのブログ『寺門和夫ブログ』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2019年1月8日時点のものです。

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