家族の反対を押し切り、「命懸け」で“段ボールベッド”を被災地に届けるも断られ…それでも諦めない理由とは――大阪の段ボール会社社長・水谷嘉浩の信念(第2回)

家族の反対を押し切り、「命懸け」で“段ボールベッド”を被災地に届けるも断られ…それでも諦めない理由とは――大阪の段ボール会社社長・水谷嘉浩の信念(第2回)

東日本大震災以来、避難所の景色を変えるため、段ボールベッドの普及に尽力しているJパックス代表取締役社長・水谷さんにインタビューする連載企画。前回はこの活動を始めるきっかけや、避難者のために家族の反対を押し切り、まさに命懸けで被災地を往復した頃の話をうかがいました。第2回では水谷さんが目標達成するために利用した「もっと大きな力」、目の前に現れた高く分厚い壁、それをどう乗り越えたのかについて語っていただきます。

第1回記事はこちら

プロフィール

水谷 嘉浩(みずたに・よしひろ)

1970年、大阪府生まれ。大阪府八尾市にある段ボールメーカー・Jパックス株式会社代表取締役社長。2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに、災害関連死を減らすべく、災害発生時、自ら設計した段ボールベッドを避難所に運搬したり、全国の地方自治体と防災協定を締結する活動を継続している。その他、「避難所・避難生活学会」の理事として、防災についてのさまざまな研究、啓蒙活動を行ったり、京都工芸繊維大学大学院の博士課程で材料工学の研究も行っている。2児の父。

業界団体を巻き込み支援活動を拡大しようとするも…

──災害発生時に自分一人だけで段ボールベッドを避難所に運ぶ活動は長くは続けられないからもっと大きな力を借りようと思ったということですが、具体的にはどうしたのですか?

段ボール会社って、日本中に約3000社もあるんです。だから、僕が考案した段ボールベッドをオープンソースにして、いろんな段ボール会社に手伝ってもらえれば、僕自身が避難所に行かなくてもより多くの避難所に段ボールベッドを届けられるんじゃないか。そう思って、震災から2ヵ月後に大手の段ボール会社が加盟している業界団体に段ボールベッドの設計図を持ち込んで、無償で使っていいから多くの避難所に段ボールベッドを作って届けてほしいと協力を仰いだんです。

でも最初は「こいつ何言うとんねん」という感じでなかなか理解されませんでした。それでも、僕が若い頃修行させてもらった、当社の取引先でもある大手の加盟会社に協力していただき、東北や北陸の支社で段ボールベッドを作って、被災地に届けてもらったんです。そのおかげで僕はトラックで往復しなくても、身一つで現地へ行って、段ボールベッド受け入れの手続きだけをすればいいというふうになったんです。

──ではそれから段ボールベッドは順調に普及していったのですか?

いえ、ようやく業界団体の協力を得て段ボールベッドを供給する仕組みを作れても、それだけじゃダメだった。受け入れ側の県や市区町村にも全く理解されなかったんです。実は医師と一緒に東北の避難所50ヵ所以上を訪れて、段ボールベッドがいかに被災者の命を守るために有効かを説明し、「この段ボールベッドを無償で提供するので、お願いですから導入してください。被災者を床に直接雑魚寝させるのはやめてください」と頭を下げてお願いしたんですが、ほとんどの避難所で断られたんです。こんなに固くて冷たい体育館の床で寝てる人がたくさんいるのに、使ってくれない。受け入れてくれない。行政には住民の命を守る義務があるのに。

──それはどうしてなんですか?

こっちが聞きたいくらいですよ。本当の理由はわかりませんが、どうやら前例がないというのが一番大きい理由のようでした。役所は前例がないことはやりたがりませんから。段ボールベッドを受け入れる仕組みがないとか、避難者がベッドから落ちてケガしたら責任取れないとか。

──自分の会社が苦しいのに無償で段ボールベッドを提供して、家族の反対を押し切って睡眠時間を削って大阪と東北の避難所を何度も往復して、しかもせっかく持って行ってもいらんと言われて。もうやめようかなと思ったことはないんですか?

確かになかなか受け入れてもらえなかったのはものすごくつらくて、嫌にもなりましたよ。俺は一体何やってんのやろなって……。でも、避難所で雑魚寝して亡くなってる人がいる。この災害関連死を一つでもなくしたい。そして医者はベッドがあったら災害関連死は防げると言っている。だったらやらんとあかん、少々のことではあきらめへんぞ、と決意していたから、避難所に断られ続けても心が折れなかったんです。この思いは現在に至るまでずっと同じです。

ただ、中にはごくわずかですが、受け入れてくれる避難所もありました。例えば、運営責任者が地方自治体じゃなくて被災者自身の避難所は、「そんなに避難者の役に立つ段ボールベッドなら今すぐにでもほしいから、ぜひ持ってきてください」と即断即決してくれました。その他、20人くらいの小規模な避難所や、自治体でもたまに話のわかる担当者の場合は説得したら段ボールベッドを入れてくれました。そういう事例が新聞に載ったりテレビで放送されると、いろんな自治体から「うちの避難所も段ボールベッドを導入したい」とか、地元の段ボール会社から「協力したい」という問い合わせが来るようになって、少しずつ広がっていったんです。それでも半年くらいで約2800床しか提供できませんでした。

──水谷さんがメディアに出るようになるとご家族も理解してくれるようになったのでは?

いえ、僕がいくらテレビや新聞に出ようとも、嫁も子どもも一切見ようとしなかったし、ママ友から「水谷パパ、すごいやん」と言われても、僕の活動に賛成はしていなかったと思います。よほど許しがたかったんでしょうね。最近は子どもが大きくなったということもあり、ようやく「やったらええんちゃう?」という感じになってきました(笑)。

▲2014年8月の広島土砂災害の避難所にて

前例がないなら作ればいい

──それから段ボールベッドを広めるためにどのような行動を取ったのですか?

なかなか広まらなくて悩んでいたある日、ことあるごとに相談していた中林秀仁という学生時代の友人に「防災協定という仕組みがあるのを知ってるか?」と言われました。知らなかったので調べてみると、防災協定とは「大地震などの災害発生時に、物資や人の援助を迅速に受けられるよう、自治体が他の自治体や民間企業・団体と結ぶ支援協定」でした。コンビニや医師会や建築業界は各自治体と防災協定を結んでいたのに段ボール業界は結んでいなかった。これを結べば災害発生時に避難所に迅速に段ボールベッドが届けられる。つまり、前例がないからダメなのなら、前例を作る仕組みを作ろうと考え2011年6月から防災協定を結ぶために全国の自治体を回っているんです。

──防災協定の中身は?

では防災協定を結んだ場合の災害発生時からの流れをご説明しましょう。災害が起こると学校の体育館や公民館などに避難所が開設されて、特に家屋が損壊して住めなくなった人たちがそこに入り、避難所生活が始まります。例えば避難者が500人いたら500人分の段ボールベッドを届けてくださいという要請が自治体から段ボールの業界団体に行きます。それを受けて段ボールの業界団体は被災地の近くの段ボール会社に500床の段ボールベッドの生産・供給・輸送を要請し、それに応じて段ボール会社が3日以内に500床を作って届けるんです。

しかし、本当は初期避難者だけじゃなくて、災害が発生して避難所が開設された直後に、できるだけ早く届けるべきなんですよ。なぜかというとエコノミークラス症候群って最短で4時間で血栓ができるらしくて、早ければ早いほど防げる可能性が高まるからです。また、自宅は大丈夫だけど、水や食料、電気、ガスなどのライフラインが途絶えるから避難所に来ている人も少なからずいるので、彼らのためにも本来はベッドが必要なんです。でも現状では長期避難者の数を数えて届けるという仕組みなので、変えなければならないと思っています。

──その場合の段ボールベッドの費用は?

一床約3,500円で、国に訴えて災害救助法の適用物品に指定してもらうことができたので、最終的には国から自治体を通じて段ボール会社に支払われます。有償になることで供給側も責任感がより強くなり、継続的に支援ができるし、確実に全避難者に段ボールベッドを行き渡らせることが可能となったわけです。

──自治体との防災協定締結は順調に進んでいるのですか?

2011年6月の愛知県新城市を皮切りに、少しずつ増えてきています。2014年の広島土砂災害や2015年の関東・東北豪雨災害などで段ボールベッドが活用され、高く評価されました。その評判が次第に広まるにつれ、防災協定を締結してくれる自治体も増え、現在では業界団体を通じて29都道府県と締結できました。それに加えて、市区町村は当社含め、多くの段ボール会社が独自に協定を結んでいます。それらを全部合わせると300近くになってると思います。でもまだまだです。今も協定活動はなかなか前に進んでいません。早く結ばないと次の災害がいつ来るかわからない。6月にはノーマークだった大阪で震度6弱を記録した「大阪北部地震」や、7月には広範囲で甚大な被害をもたらした「西日本豪雨」が発生しました。それに近い将来、首都圏直下型地震や南海トラフ巨大地震など、東日本大震災に匹敵する甚大な被害が出るであろう大地震が必ず起きます。だからこそ急いで日本全体で避難所を支えるシステムを構築しなければならないんです。

▲全国の地方自治体と防災協定を締結するため、現在も全国を飛び回っている水谷さん(後列左から2人目/写真提供:水谷さん)

公正取引委員会をも説得

──これまでの防災協定を結ぶ活動の中で印象的なケースを教えてください。

東日本大震災の翌年に、大学時代の先輩を通じて横浜市の市長と面会して、防災協定の締結をお願いしました。市長は市民のことを第一に考える素晴らしい人で、とんとん拍子で話は進み、ぜひ結びましょうということに。しかし、ちょうど締結寸前のタイミングで大手企業が談合事件を起こして新聞沙汰になり、そのせいで結局締結は吹っ飛んでしまったんです。この時はめちゃめちゃ悔しかった。横浜市って日本の市町村の中で最多の人口を誇る自治体なので、横浜市と防災協定を結べたら他の自治体とも一気に結べる可能性がありましたからね。横浜市にはよき前例になってほしかったわけです。その後も改めて協定を結んでもらおうと横浜市に通ったのですがなかなか締結には至りませんでした。

──なぜですか?

横浜市も業界団体も談合事件によって、防災協定は独占禁止法に抵触する恐れがあると思い込み、震え上がったからです。業界団体としては自治体と防災協定を結ぶのは無理、あきらめようという結論に至りました。これに僕は頭に来てね。「何を言うとんねん、平時はそうかもわらからんけど有事にそんなこと言えるか! 人道上の話をしてんねん」と。よくよく聞いてみると、業界団体が無理という結論になったのは、業界団体の顧問弁護士が公正取引委員会出身で、彼がノーと言ったからでした。僕は納得いかんくて、「そんなもんやってみんとわからん」と、この時ちょうど佐賀県が防災協定を結びたいと言ってくれていたので、福岡にある公正取引委員会の九州事務所に単身で乗り込んだんです。

でもやはり「独禁法に抵触するからあかん」と突っぱねられました。だから「もちろんルールは守るべきというのはよくわかります。でもあなたたちが言ってるのは平時でのことでしょ? 有事の際にルールを守って人が死んでもいいんですか? 実際に避難所で雑魚寝が原因で亡くなっている人はたくさんいるんですよ。それを防ぐのは簡単。段ボールベッドを作って避難所に持っていけばいいだけの話。これで災害関連死をなくせるんです。これを段ボール業界としてできないのはおかしい。仮説住宅や運送の業界団体だってみんな自治体と防災協定を結んでるじゃないですか。あれ全部独禁法違反なんですか?」と、だいぶ反論したんですよ。

でも公正取引委員会といえば役人中の役人、筋金入りの役人なので、最初はノーの一点張り。でも僕も簡単にはあきらめんぞと食い下がって、福岡に3回と大阪に1回通って検討してほしいと訴え続けました。そしたら取りあえず検討だけはするということになり、かつ、九州だけじゃなくて日本全体の話なので、東京の本部でちゃんと検討するというところまでいけたんです。

そして最初の訪問から3ヵ月後にやっと公取委から電話がかかってきて、「独禁法の適用を除外する」と。めちゃめちゃうれしかったですね。この公取委の壁を突破して、勝ち取ったのがものすごく大きいんですよ。この決定には業界団体も驚いて、「弁護士ですら無理だと判断したのに引っくり返しよったな、じゃあやろか」となり、2013年12月に佐賀県と防災協定を結べたんです。ちなみにこれが都道府県第1号です。これ以降、防災協定を結んでくれる自治体も増えました。

でも横浜市は疑心暗鬼になっているので、すぐには防災協定を結んでくれなくて。そこからまた6年間、結んでもらいたい一新で自腹で通いました。20回目くらいに「前例も増えてきたし、そろそろ結びましょう」と、2016年8月にようやく結んでくれたんです。日本最大の市町村である横浜市を落とせたこともめちゃめちゃ大きかったんですよ。横浜市が結ぶと川崎市が結ぶ。川崎市が結ぶと相模原市も、という感じで神奈川全域に広がっていきました。また、神奈川県内だけではなく、横浜が結んだんならうちもと全国の政令指定都市に広がっていったんです。

政府にも働きかける

このように、当社や他の大手の段ボール会社と自治体に防災協定を結ばせるため、5年間、全国各地に何回も足を運んで交渉しました。もちろん、当社にとっては一銭の儲けにもならないどころか出費ばかりかさむ活動です。それでもやり続けていたのは、何としても災害時に一刻も早く段ボールベッドを避難所に届けたいという一心からですよ。でもやはり個人の活動ではどこにいってもなかなか話が通らないし、通ったとしてもたかが知れてるし、そのための時間も労力もお金もかかる。そこで、業界団体にこの活動は「業界を挙げてやらなければならない」とずっと訴えていたら、ようやく2016年4月に認められて、業界団体の「防災アドバイザー」に就任できたんです。これによって、晴れて個人の活動から段ボール業界の活動となり、業界団体の看板を背負って自治体や企業と交渉できるようになったことで、話が格段に進みやすくなったんです。また、少額ですが交通費をもらえるようになりました。ちなみに業界団体は大手企業の集まりで、当社のような小さい会社は加盟できないんです。だから僕が業界団体の防災アドバイザーになるなんてことは普通ではありえないんですが、昔から取り引きのある大手段ボール会社に協力を仰いできたからなることができたんです。

▲2015年12月 内閣府の避難所に関する有識者会議に参加(写真提供:水谷さん)

さらに、2015年の秋に大学時代の先輩や後輩などいろんな人が協力してくれたおかげで、ある代議士を通じて防災大臣に会うことができました。その場で、「避難所ではエコノミークラス症候群含む関連死のリスクがあるから、段ボールベッドを届けなければならないんです」と訴えたんです。そのご縁で、内閣府の避難所運営マニュアルを作成する有識者会議に呼んでもらったので、一緒に活動している新潟の医師と避難所の現状や段ボールベッドの必要性などいろいろ説明しました。その結果、避難所運営マニュアルの支援物資リストの中に段ボールベッドや簡易ベッドという文言を入れることができたんです。これによって、災害時により多くの段ボールベッドをより多くの避難所に迅速に届けるというシステムを作り上げることができたわけです。それが公開、発行されたのが2016年4月で、その2週間後に熊本地震が発生したんです。タイミング的には運良くギリギリ間に合ったという感じでしたが、すべての効力を発揮できたというわけではありませんでした。

 

地方自治体と防災協定を結ぶための地道な活動が奏功し、着実に協定締結数を増やしてきた水谷さん。そして国への働きかけによって、災害時に段ボールベッドをより多くの避難所に確実に届けるというシステムの構築に成功。しかし、それでもいざ災害が発生した時、多くの避難所には段ボールベッドが届けられないままでした──。次回は支援に向かった熊本地震での出来事、協定を結んだにも関わらず災害時、避難所に段ボールベッドが届けられない理由、今後日本が早急にやらなければならないことなどについて熱く語っていただきます。乞う、ご期待!

連載「大阪の段ボール会社社長・水谷嘉浩の信念」記事一覧はこちら 取材・文:山下久猛 撮影:山本仁志(フォトスタジオヒラオカ)

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