ワクワク体験を仕事に活かす「意外と」効率的な方法とは?|bouncy編集長 清田いちるさん
さまざまなシーンで活躍しているビジネスパーソンや著名人に、ファミコンにまつわる思い出から今につながる仕事の哲学や人生観についてうかがっていく本連載「思い出のファミコン – The Human Side –」。
今回ご登場いただくのは、ニフティ株式会社でブログサービス「ココログ」などの新規サービスを立ち上げ、その後は「ギズモード・ジャパン」初代編集長、シックス・アパート株式会社ではブログソーシャルパーツ「Zenback」、エッセイ・コラム投稿サービス「ShortNote」などの企画を手がけ、現在は動画メディア「bouncy」の編集長である清田いちるさん。数々の新規サービスを立ち上げてきた発想力や活動力の源流を探ると、少年期からどっぷりはまり、ご本人曰く「人格形成に大きな影響を与えた」ゲーム遍歴にあった――
<清田いちるさん>
新卒入社から12年間在職したニフティでは、サービスディレクターとして「ココログ」「ドーナッツ!」など十数個のサービスを立ち上げる。その後は「ギズモード・ジャパン」初代編集長を2012年まで務めたほか、シックス・アパートにおいても新規事業担当として「Zenback」「ShortNote」など、これまで数々のネットサービスの企画を手がけてきた。2018年からは動画メディア「bouncy」の編集長に就任。2002年から続ける個人ブログ「小鳥ピヨピヨ」でもアルファブロガー・アワードを2年連続受賞するなど、インターネット黎明期から豊富な経験と実績を持つ。
インターネットの原体験!は、対戦ゲームにあったのかも
―― 子どもの頃は、どのようなゲームで遊んでいたのですか?
じつは僕、親にファミコンを買ってもらえなかったので、最初に入れ込んだのはPC-8801markIISRでした。でもいろんな友だちから1ヵ月ずつずっと借りたまま、ということを繰り返していたので、1年のうち半分くらいは誰かのファミコンが我が家にありましたね。
ファミコンでは、PCゲームだとできなかった二人同時プレーのゲームがとくに好きでした。『マリオブラザーズ』なんかは妨害プレーもできるし協力プレーもできますよね。野球やサッカーのスポーツものや『アイスクライマー』なんかも、2つ下の弟や友だちと、画面を通じて毎日のように“キャッキャウフフ”しながらプレイしてました。『ロードランナー』では、クリア困難な面をエディットして、相手が解くのに四苦八苦しているようすを見て楽しむとか、ファミコンのゲームって、互いにじゃれ合いながら遊んでいたことがすごく思い出深いです。
リアルの世界ではうまく話せないけど、画面を通せばコミュニケーションがうまく取れるぞ、みたいな、僕が夢想してきたインターネットの原体験は、こうした対戦ゲームにあったのかもしれません。
―― ファミコンは買ってもらえなくて、高額なパソコンはOKだったというのは?
ファミコンなんてただのゲーム機だし、親としては絶対ダメというスタンスだったのですが、パソコンであれば勉強にもなるし、ゲーム以外のことにも使えるから、ということで親と交渉、説得して買ってもらうことができました。「PC-8801mkIISR」です。でも結局、やっぱりゲーム三昧(笑)
当時のPCゲームって、すでに成熟期を迎えていて、ゲームソフトもすごく豊富だったし、今世の中にあるゲームのコンセプトの大半は、その当時に出尽くしたような状況だったんじゃないかなと思います。
そして、PCゲームで当たったものは、少しずつファミコンの方にコピーされて、移植の場合もあれば、コンセプトだけをコピーした、なんてケースも出てきました。PCゲームをメインでやっていた僕としては、「真似しやがって!」という気持ちもあったりしたんですけどね。
でもいざファミコンで「ドラクエ」が発売されて遊ぶと、ロールプレイングゲームの良さがコンパクトにまとまっていて感動しました。結局、ファミコンもPCゲームも相当数やってきたので、僕の精神構造は基本的にゲームで形成されてきたんじゃないかなと思います。
企画・プロダクトマネージャーを志したきっかけ
―― その頃、将来はどうなりたいと考えていたのでしょうか?
当時はパソコン雑誌もいろいろありましたので、自分で考えたゲーム案を投稿していました。ゲームばかりやっていたので、「もう自分はゲームを作るしかない!」と思いつめて、「高校も行かない!ゲーム作家になる!!」って宣言していたほどです。
ただ僕の場合、プログラムが得意というわけではなかったので、ドラゴンクエストシリーズの生みの親であるゲームデザイナーの堀井雄二さんのように、シナリオや世界観を作るほうの人になろうと考えていました。そこで膨大なシナリオを自分で作って、当時ハマった『イース』や『ソーサリアン』のメーカーである日本ファルコムに直接売り込みに行ったんですよ。「僕はゲームを作りたいんですけど入社させてくれませんか!」みたいなことを、中3の時に(笑)。でも結局、オレンジジュースをごちそうしてもらって、帰されちゃいました……。
―― 自分も何か作りたいというモチベーションは、その頃から発露したのでしょうか?
インターネットの業界に入って、実際に自分で手を動かしてデザインしたりコーディングしたり、っていうのはまあ一応ちょっとはできるし、そっちを極めていく憧れもありました。ただ僕の場合、そういう人たちに何をやってもらうかっていうのを決める企画屋、あるいはプロダクトマネージャーを目指したいという想いが強かったです。
たくさんのゲームを遊んできて思ったのは、自分は、世に出したいゲームのプログラムしたいわけじゃなくて、その上流にあるコンテンツそのものを作りたいということ。その考え方はWEBサービスにおいても同様で、HTMLとか構造を学ぶよりも、とにかく「上流工程」を作りたいという志向につながりました。
ゲームは最先端が詰まった「基礎教養」
――これまでさまざまな新しいWEBサービスを立ち上げ、今度は動画メディアの領域へ新しいチャレンジをスタートしました。
新しいテクノロジーに心をワクワクして目をキラキラさせるっていう体験を、僕は小さい頃からファミコンやパソコンを通じて鍛えられてきました。僕が就職活動をしていた時にはWEBサービスっていうものはまだほぼなかったんですけど、パソコン通信があって、そしてニフティに入社して、その後はずーっとWEBサービスに関わっています。
今年に入って新しくジョインした動画メディア「bouncy」は、入社前から存在はもちろん知っていたんですけど、いろいろなサービスを立ち上げてきた僕の目から見ても、めっちゃ新しいかんじがありました。ダレることない尺で動画が見られて、そこでハッとするような発見があり、見終わった後もなんかいい気分になって……そういうものを次から次へと出していて、「未来は明るいな、希望があるな」っていうのを垣間見せてくれました。動画でこんなにワクワクするってすごい!みたいな、そこに論理はなくて、直感的に惹かれるものがあったんです。
―― さいごに、読者に向けたメッセージをいただけますか。
ゲームって時間を取られてしまうし、プレイすることを敬遠する人も多いと思います。でもゲームには時代の最先端のテクノロジーが集まっているし、最先端のアイデアも詰まっている。とくに僕みたいなインターネット業界にいる人間にとっては、ゲームは「基礎教養」みたいなものじゃないかなと思います。
それに、テクノロジーっていうのは、人間が所有しているすべての物事の中で、唯一後戻りしないものじゃないですか。政治や経済などは、昔おきたことを繰り返したり、行ったり来たり、上がったり下がったりしながら少しずつ前進している。「人間って変わらないよなー」とか言いながら。でも、テクノロジーだけはまっすぐに前進していて、逆戻りすることはほぼない。だから、テクノロジーって凄いなって思うんです。つまり、テクノロジーのトレンドを体験できるゲームを避けるのは、現代に生きる人間としてやばいんじゃない?って感じがしますね(笑)。
取材・文:深田洋介
1975年生まれ、編集者。2003年に開設した投稿型サイト『思い出のファミコン』は、1600本を超える思い出コラムが寄せられる。2012年には同サイトを元にした書籍『ファミコンの思い出』(ナナロク社)を刊行。
http: //famicom.memorial/
撮影:鈴木健介
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