静かに語られる死についての作品集『死体博覧会』

静かに語られる死についての作品集『死体博覧会』

 この地上には無数の死の形がある。
 死は誰の身の上にも等しく訪れる。

 そのことを理解していると口では言いながら、この世の中に理不尽な死があるということから時に目を背けてしまう。安全な場所にいたいからだ。残酷さから目を背けていたいからだ。

 そんな視野の狭い者の肩を、ハサン・ブラーシムはちょんちょんと叩いてくる。親指を突き出し、あっちを見ろよ、とうながしてくる。こことは別種の死、別種の生のありようが存在する方向だ。そっちに行かなくてもいい、でも見ろよ、とブラーシムは語りかける。

 亡命したイラク人であり、現在はフィンランドに市民権を持つブラーシムは、アラビア語で書く作家だ。その作品はすでに二十以上の言語に訳されているが、本邦初紹介となる『死体展覧会』は英訳版の二つの作品集から十四篇を選んで編纂された短篇集である。すべての作品に理不尽な死が存在する。なんの理由もない死が突然訪れる社会、命の価値がひどく軽く、暴力が日常である社会としてブラーシムは故国イラクを描くのである。

 収録作のうち「イラク人キリスト」は、奇妙な能力を持つ人物・ダニエルを主人公とする物語だ。ひっきりなしにガムを噛んでいることから「チューイングガム・キリスト」とあだ名されるダニエルは、死の危機が迫る未来を予知することができた。アメリカ軍とイラク軍の間で行われた戦争のある日、露営中だった彼は腹痛を訴え、貯水槽の影で横になるために塹壕を出ていった。兵士たちはその後に続いた。その直後、塹壕には三発の爆弾が落ちる。

 こんな能力を持ちながら、ダニエルは決して誇ろうとはしない。彼にとって自己の能力は、巨大な闇に空けられた穴から射す、わずかな光に過ぎないからだ。「自分の個人的な人生と、目の前でひとつの世界が崩壊しつつあるという自覚のあいだで、どう折り合いをつけたものか?」との問いがダニエルを支配し続ける。そして彼の地元であるバグダッドの、ケバブ料理が有名なレストランでその問題には唐突な決着がつく。

 表題作には、死体を展示して芸術性を競うという奇妙な集団が登場する。新入りの〈私〉に仕事の心得を説く殺人者は一切の熱情とは無縁で、天授の使命として殺人行為を受け止めている。彼らが頑是ない子供をも殺すのは「生まれてくる子供とはすべて、今にも沈まんとする船にのしかかる新たな重荷」だからなのだ。無差別かつ問題無用の死という題材から含まれた寓意を受け取るのは容易だが、そこに単純な善悪の二元論は存在しない。

「記録と現実」はスウェーデン・マルメの難民受入センターに到着した三十代後半の男、〈私〉の語りという形で展開していく短篇だ。センターにやって来た難民は、誰もが二つの物語を持っていると冒頭で作者は述べる。難民たちが心の奥に秘蔵する「真実の物語」と人道的保護を受ける権利を受けるために語る「記録用の物語」だ。ではテロリストに拉致されたという数奇な〈私〉の体験談はいったいどちらなのだろうか。その答えは明示されず、解釈の多様性を残したまま小説は終わる。しかし最後に、故国から遠く離れた難民センターに辿り着いた男にとっての「真実の物語」がいかなるものであるかの片鱗が覗く瞬間があるのだ。ひどく疲れ切った人間の心には深い傷が刻まれている。それがどれほどの痛みを伴うものかということを、読者は思い知らされるだろう。

 同じように苛酷な回想を軸にして進んでいく作品に「ヤギの歌」がある。徴兵忌避のために伯父の家に隠れ住む〈僕〉は、かつて自分のせいで弟を死なせてしまったという過去の持ち主でもある。「ヤギの歌」は、その死によって壊れてしまった家族を悼む物語でもあるのだ。〈僕〉は感情を昂らせることなく淡々と語りを進めていく。だが、この作中にも一ヵ所、彼が傷ついた心を覗かせる場面があるのである。隠棲のさなか、彼はかつて弟が溺死した汚物処理タンクにすり寄って耳をすませる。すると「弟の笑い声が聞こえ」、〈僕〉は「弟の裸の肩に触れたらどんな感じだろうと想像」するのだ。

──遊び回って体を動かしたせいで、肌は熱くなっているだろう。もう顔は思い出せなかった。一枚だけある弟の写真は母さんが持っていたけれど、誰もそれには近づかせなかった。クジャクの模様で飾られた小さな木の箱に写真を入れて、衣装だんすのなかに隠していたんだ。

 こうした痛ましい心の動きが作品の中核にある。その周囲を硬く、分厚い非情の殻が覆っているのである。十四の収録作の中には獰猛な犯罪小説として読めるものも多数存在する。表題作、誰からも恐れられる暴君についての物語である「コンパスと人殺し」、テロリストたちについて書かれた「グリーンゾーンのウサギ」などがそうだ。それと並行して、時空を超えて存在する穴に落ちた男の話である「穴」、ささやかな奇跡を起こす者たちの群像小説「アラビアン・ナイフ」などの奇想小説も収められている。特に、前線に送られた兵士が書いた短篇をめぐる奇譚、「軍の機関紙」は小説についての小説でもあり、多くの読者の興味を惹くのではないだろうか。

 死についての作品集とはいうものの、筆致は乾いており、静かな語りの中に倒錯した笑いが生じる瞬間さえある。描かれる世界は淡色だが陰翳の豊かさゆえに印象が深く胸に刻まれる。開いたページを閉じることができず、私は一気呵成に読み進めた。

(杉江松恋)

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