ショートショート・マニアが地団駄を踏み、そして平伏す一冊
ショートショートは面白い。ひとつひとつが短くてさらりと読め、なのに良くできた作品は印象にくっきり深く刻まれる。星新一のようにショートショートを看板にした名手だけでなく、多くの作家が一篇か二篇くらいはショートショートを手がけていて(まったくの長篇派もいるけれど)、そうしたなかに隠れた傑作があったりする。小説家ではない別な分野のひとが、パッとひらめいて書いたショートショートがとても面白いということもある。また、ショートショート史上に刻まれる逸品があって、こういうのを書くひとはさぞかし良作ばかり書いているのだろうと思って読むと、ほかはたいしたことがなかったり。風変わりな小説が好きなあなたなら、心に「お気に入りショートショート」のリストがあることだろう。
書店で『30の神品』を手にとって、「うー、こういうアンソロジー、オレがつくりたかった!」と地団駄を踏んでいるファンもきっといる。
いや、ま、ぼくがそうなんですけどね。てへっ。
だって、星新一「おーい でてこーい」、ビアス「アウル・クリーク橋の一事件」、サキ「開いた窓」、コリア「ナツメグの味」を一堂に集めているんですよ! 名作中の名作として知られるこの四篇、そこいらのアンソロジストなら「これは誰でも考えるセレクションだよなあ」と躊躇するところを、なんのてらいもなく揃い踏みさせてしまう。小手先を弄したりしない、この潔さ。
そのいっぽうで、これまでショートショートとして扱われてこなかった作品、たとえばブラッドベリの叙情的幻想小説「みずうみ」や、かんべむさしの饒舌なギャグ小説「水素製造法」をショートショートの枠組に置いてみる。それぞれの作者の短篇集で読んだときとはまた違った印象が生まれるし、ショートショートというのはこういうやりかたもあるのだと再考させてもくれる。リドルストーリーの代名詞ともいえるストックトン「女か虎か」、怪奇小説の古典であるジェイコブス「猿の手」も、またしかり。
半村良「箪笥」はうっとりするような不思議な怪奇譚。城昌幸「ママゴト」もほかに類のない澄んだ狂気の小説。こういう作品を持ってくるところがまたにくい! ぼくがショートショートのアンソロジーをつくるとしても、こうした作品をポイントにもってきたいよなあ。
……などと、つらつら考えるわけですね。
しかし、心のなかで収録作品のリストをつくっているのと、実際に一冊の本を仕上げるのとでは、天と地ほどの開きがある。出版社に顔がきいて企画が持ちこめるかなんて業界的事情ではなく、構想を良い出版物へ変えるまでにはほとんど物理的ともいうべきハードルをいくつも超えなければならない。そういう意味で、本書は江坂遊でなければできなかった、内容もパッケージもベストなアンソロジーである。
たとえば収録30篇のなかには、江坂さん自身の作品「かげ草」が入っている。「あとがき」によれば〔予定していた作家さんのピンチヒッター〕として起用したらしい。アンソジーをつくるうえでは再録許可や版権交渉などの手続きはもちろんこと(それは版元の編集者に任せるにせよ)、それがうまくいなかった場合の善後策も必要だ。江坂さんにはひしめく傑作と並べて遜色のない自作がある。これは強い。圧倒的に強い。もちろん、アンソロジー収録作品のピンチヒッターは機械的にあてはめられない。予定していた作品が落ちたとき、ほかの作品とのバランスや分量などを勘案して不調和にならない作品を選べるか? その点、千篇以上のショートショートを書いている江坂さんならストックが豊富だ。「代打、オレ!」である。
ひとくちに千篇というが、これはたいへんな数字である。ショートショートは数編ならアマチュアでもアイデアしだいでそこそこ書けるものだが、プロ作家として小説のクオリティをわかったうえで数をこなすのは力任せにできることではない。規格品を量産するのではないので、アイデアをひねるだけではなく、それが生きる表現や構成に磨きをかけることなる。そうした創作への自覚があるからこそ、他人が書いたショートショートの良さがわかるのだ。
本書の「あとがき」では、江坂さんと神のお使い猫ブライアンとの対談形式で収録各篇にコメントしているのだが、その着眼点が鋭い。いくつかを部分的に引用しよう。
●「クミン村の賢人」ヒッチコック
江坂「緊張にはユーモアでバランスをとるわけだ。スパイスが効いた面白い話になった。もうひとつ、この作品は文章を読んでいると、見事に頭の中で映像化され、記憶に残る作品になる」
神猫「ヒッチは映画人ですからね。左脳でロジカル、右脳でマジカル。それらをバランス良く使った小気味よい小品です」
●「最後の微笑」スレッサー
江坂「スレッサーには大きな嘘はでてこないが、小さな嘘をつくのが本当にうまい作家で、読んでも読んでもあきがこない」
●「アウル・クリーク橋の一事件」ビアス
神猫「この作品はアクティブな動詞がドラマをグイグイ牽引していきますね」
●「らんの花」都筑道夫
江坂「不条理で幻想的な作品は発表のその瞬間から、どんどん古典になっていく。新作なのに歴史の一部に既になっているなぁとリアルタイムで読みながらいつもそんなことを感じていた」
●「冬休みにあった人」岸田今日子
神猫「小道具、舞台装置の設定が、うまいですね。役者ならではの、小さきものへのこだわりがドラマを引きたたせます。手ざわり、匂い、足音などと五感センサーが反応するプロットづくりが魅力な作品」
どれも評論的に組み立てた論述ではなく、平易な言葉で端的に核心を言いあてている。なるほど! そこに着目してもう一度読もうという気になる。面白いショートショートは何度読んでも面白く、そのたびに味わいが増すものだが、江坂さんのようなガイドがついてくれればなおさらだ。
また、この「あとがき」の江坂・神猫のやりとりは、漫才的なネタもちょこちょと仕掛けられており、これ自体がどくりつした作品としてじゅうぶんに面白い。タイトルを『31の神品』に変えたほうがいいかも!
(牧眞司)
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