低迷する日本のシンクロ界を立て直した、井村監督の奇跡の指導力とは?短期間で結果を出すカギは「シンプルで緻密な戦略」と「相手の心に届くコーチング」
「参加することに意義がある?とんでもない。あそこは戦う場。人の一生で三本の指に入る真剣勝負の場なんです」
リオ五輪で2大会振りとなる念願の銅メダル(チーム種目は3大会ぶり)をもたらした井村雅代日本代表監督。日本シンクロの「お家芸復活」を世界に大きく印象づけた。シンクロ競技が正式種目となった84年ロサンゼルス五輪から6大会連続でメダルを獲得し、2004年アテネ五輪を最後に退任した井村氏。その後低迷する日本シンクロ界から再び請われて指導者となり、初の五輪で見事に結果を残した彼女の指導は、いったい何が違うのだろうか。
写真提供:Enrico Calderoni/アフロスポーツ
井村監督といえば「怒号が飛ぶスパルタ熱血指導(鬼コーチ)」「竹を割ったようなハキハキとした関西弁の言動」などの面でのメディア露出は多い。しかし、「ゴールから逆算したシンプルかつ緻密な戦略実行」、「相手の心に届くコーチング指導」などの実態、根性論ではなく結果を出すための本質的な指導術は意外と知られていない。
結果にこだわり、世界の第一線で32年間結果を出し続けてきた彼女の言動から、一流の結果を目指すビジネスパーソンやメンバーを率いるマネージャー層/経営層が学ぶことは多いのではないだろうか?
日本及び中国で、オリンピック大会連続でメダルをもたらした彼女に数年間の取材を重ね、勝負哲学や波乱のシンクロ人生に迫った最新書籍『井村雅代 不屈の魂』(河出書房新社2016年6月発売)から2回にわたってエッセンスをお届けする。
■お家芸の低迷 〜 戻ってきた日本シンクロの母
リオ五輪に向けて再び日本代表指導の場に戻ってきたのは2014年のことだ。
井村コーチ退任後、日本シンクロは北京五輪のチームでは5位に沈み、4年後のロンドンオリンピックではデュエットもチームも5位という成績に終わった。このとき、1984年以降メダルを獲り続けてきた日本シンクロが初めてメダルを逃したのだ。
ロンドン五輪での日本の演技や選手の様子を見て、「このままではリオ五輪に出場できない」という強い危機感を抱いた金子正子(前日本水泳連盟シンクロ委員長)が「いま立ち直らなければ永遠にチャンスを失ってしまう。どうしても井村さんに戻ってもらおう」という強い覚悟で、井村コーチ復帰に向けての粘り強い働きかけに奔走した。
「井村さんを戻して強化を図っていきたい。日本をもう一度強くするにはそれしかありません」金子は何度も幹部を説得し、実に10年振りの井村日本復帰が実現した。
■短期決戦においては「狙いをひとつに定めてひたすら磨く」
2014年4月に正式に復帰した井村が、まず最初に手がけたのは選手の肉体改造である。うっすらと脂肪がのった全身の印象は丸く、懸垂のチーム平均回数はわずか3回。とても世界で戦うアスリートの肉体とは言えなかった。
井村は、中国で過去2度のオリンピックを共に戦い、シンクロ選手の体を知り尽くした理学療法士「浅岡良信」をすぐさま呼んで、「選手たちの着ぐるみ(ムダな脂肪)を脱がせて欲しい」と、肉体改造を依頼した。
このとき、5ヶ月後にアジア大会、その翌月にはワールドカップが待ち構えていた。これらふたつの大会を無冠で終える気などなかった井村は、目標達成に向けてある判断をする。
それは、たったひとつ「これだけ」と狙いを定めてひたすらその部分を磨くことだ。これが、短期決戦に臨むときの井村の哲学である。
「改善のプロセスにおいて何かを変えると初めは下手になる。練習を重ねてそれを乗り越え上達していく。この手順を踏む時間がない状況において、悪いところを全部直そうとすると改善が中途半端になってしまう」という理由によるものだ。
井村は、当面の2大会に向けて「演技のキレ(動きのメリハリ、シャープさ、元気よさ)」を磨くことにテーマを絞り、そのために必要な、きりりと絞り込んだアスリートらしい肉体と、強くてしなやかな筋力を創るために全力を傾けた。
結果、当初チーム平均で3回だった懸垂は数ヶ月で17回に、40キロがやっとだったベンチプレスも75キロまで急上昇した。
そして、目標に据えたアジア大会では中国に次いで2位。ワールドカップでは出場全種目で銀メダルを獲得し、王者ロシア不在とは言え世界ランキングで暫定3位に浮上するという快挙を成し遂げた。記憶に新しいリオ五輪での復活の土台はこのプロセスにあったと言えよう。
■今どきの若者世代を鼓舞するコーチング
日本代表選手は18歳〜26歳のいわゆる若者世代だ。2004年まで教えていた選手の世代と異なり、全力でやって失敗したら傷つくからと、力を出し切ろうとしない。
そんな選手たちから目一杯力を引き出そうと、井村は知る限りの言葉を駆使して伝える努力を続ける。練習プールサイドに大きく配置されたホワイトボードには、井村が選手たちに届けたいと感じた言葉がその都度書かれている。
「練習はうそをつかない」
「自分の可能性を信じよ」
「毎日、一ミリの努力をしよう」
垂直跳びで四十センチ跳べる人に対して、三ヶ月後に五十センチ跳ぶハードルは高い。しかし明日は四十センチと一ミリ、その次の日はさらに一ミリ高くと諦めなければ三ヶ月後に必ず十センチ高く跳べるからと工夫されたメッセージである。
今の若い選手の力を発揮させる為に「次々に新たな目標を掲げて意欲をかきたて危機感を煽る」工夫も戦略的にプランニングしている。リオ五輪出場を決めるとすぐに、予選会で泳いだルーティーン(演技)を作り替え、まるで新作に挑むようにあれこれ変更したのも、そのひとつだ。
予選通過という目標にはそのための演技。五輪でメダルを取るには、それにふさわしい新しいルーティーン(演技プログラム)を用意する。次々に異なる目標を掲げて意欲を掻き立て、危機感をあおり、選手を追い込んでいく。そうしなければ持てる力を発揮できないのが今の若者だ。
背景には以下の様な考えがある。 「今の子は辛抱強くない。私らみたいに地味な辛抱ができないんですよ。スマホなんかの影響もあるかもしれないね。一つのアプリを自分なりに使いこなす前に次々と新しいアプリが与えられる。常に新しいもの、新しいものへと気持ちが移る」
中学教師の経験もある自らを「根っ子は教育者」と呼ぶ井村ならではの洞察力とコーチングの妙と言えよう。
※後編(9月12日掲載予定)では、個人への鼓舞やコーチングに留まらない、世界で戦うプロフェッショナルコーチとしての井村の戦略立案や状況分析の姿を示します。
参考図書
井村雅代 不屈の魂: 波乱のシンクロ人生 (河出書房新社)
作者:川名 紀美
文:大森拓人
スポーツライター、社会心理学専攻
大学で行動文化学社会心理学科を学んだ後、企業スタートアップやソーシャルセクター等の立ち上げに関わる。社会心理学的切り口(個人と個人の関係性、個人と集団に与える影響)を基に、一流スポーツ選手から学ぶ「モチベーションマネジメント」「リーダーシップ、コーチング」「戦略・戦術」等の記事を制作。特に関心を持るスポーツ分野はテニス・シンクロナイズドスイミング・バレーボール・陸上競技
井村雅代
【略歴】
1950年大阪市生まれ。中学生になりシンクロを始める。
大阪市内の中学校などで保健体育科の教諭を務めた後シンクロ指導者となり、1978年(昭和53年)から日本代表コーチに就任、1985年(昭和60年)からは「井村シンクロクラブ」を創設、競技者育成を行い独特のスパルタ式指導法で世界的な選手を次々と育てた。
【指導者として五輪でのメダル受賞歴】
ロサンゼルス(デュエット銅メダル)、ソウル(デュエット小谷実可子・田中京組銅メダル)バルセロナ(ソロ奥野史子銅メダル)、アトランタ(チーム銅メダル)、シドニー(デュエット立花美哉・武田美保組、チーム種目それぞれ銀メダル)アテネ(デュエット立花・武田組、チーム種目それぞれ銀メダル)
北京(中国代表チーム銅メダル)ロンドン(中国代表デュエット銅メダル、チーム銀メダル)、リオ(デュエット乾友紀子・三井梨紗子組、チームそれぞれ銅メダル)
著者:川名紀美
1947年生まれ。ジャーナリスト。1970年に朝日新聞社入社。神戸支局、大阪本社学芸部、社会部を経て1995年から論説委員。社会福祉全般、高齢者や子ども、女性の問題に関する分野の社説を担当。2009年5月、朝日新聞社退社。
協力:honto
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