悪魔のような編集者と作家の歪な関係〜島本理生『夏の裁断』
この本を手に取った最大の決め手は、文藝春秋のサイトで見た「悪魔のような編集者」というフレーズだった(そんな恐ろしい人は本の雑誌社にはいらっしゃいませんので、みなさんご安心くださいね)。
主人公・萱野千紘は作家。芙蓉社の編集者・柴田と恋愛なのか何なのか判断のつきかねる関係を続けていた。この柴田が「悪魔のような編集者」なわけだが、彼に対して恋愛感情を持たない身からすると単なる人格破綻者にしか見えない。初対面でいきなり「お会いできて嬉しいです」と言って抱きついてきた(しかも胸に触る)と思ったら、急に居丈高に出たりと、理不尽な二面性を見せることで千紘を翻弄するのだ。仕事熱心ではあるらしいが、「芙蓉社、こんな社員を野放しにしといていいのかよ?」という疑問が胸を去らない。
とはいえ、こういった一般的にはろくでもないとされる男に夢中になってしまう女子っているだろうなとは想像できる。文学青年風、弁が立つ、(おそらく)イケメン…と、そんな男に近寄ってこられたら、しかも最初のうちは凶暴さをうまく隠しおおせていたら、ひとたまりもないのかもしれない。そうはいっても、最初の方はどちらかというと千紘の方が積極的に押していたようにも見えるし、気味が悪いという点では似た者同士かもしれないという気もする。
しかしながら、本書で最も衝撃的だったのは”本の自炊”の件だ(本をばっさり裁断し、データ化した後は大量のゴミとして捨てるというあれである。個人的には手を染めたくない行為)。千紘の母方の祖父は学者だったのだが、彼が亡くなったことによって一万冊以上の蔵書が遺された。日頃はお互いに持て余しぎみの親子だが、”現物をすべて取っておくのは難しいとしても、作家である娘にはこれらの本の数々が役に立つだろう”と殊勝にも考えた千紘の母が、本のデータ化を思いついたのだった。最初はやはり本を裁断することに対して強烈な抵抗感のあった千紘だけれども(母親に対して「自炊と聞いただけで生理的な嫌悪がまったく湧かないなんて、私には信じられなかった」と否定的な気持ちでいたにもかかわらず)、次第に慣れていく。それは、初めはあまりに失礼な振る舞いに柴田の頬をひっぱたいておきながら、いつの間にか感覚が麻痺していったことと通じるのかもしれない。千紘の今カレ的存在でイラストレーターの猪俣君が装丁の絵を描いてくれた本をあっさり裁断機にかけたように。千紘と柴田、そして猪俣君との関係がたどり着いた先は…?
著者の島本理生さんも「もうそろそろベテラン作家と呼んでもよさそうだよなあ」と思って調べてみたら、中3の頃から雑誌「鳩よ!」に投稿を始められたそうで、15年選手の称号は軽くクリアしていたのであった。私が読む島本さんの本にはたいていどうしようもない男と面倒くさい女が出て来て、読了後はどっと疲れる(←ほめ言葉です。もしつまらない小説だったら、次を読もうと思わない)。本書とほぼ同時期に出版された『匿名者のためのスピカ』(祥伝社)でも『夏の裁断』同様、歪な関係に墜ちていく男女が描かれている。それでも『匿名者の〜』はこれまでにないミステリー&サスペンス的なテイストが盛り込まれていることで、よりメリハリのある作品となっていると思う。純文学の香り漂う『夏の裁断』とエンタメ小説的緊迫感のある『匿名者のためのスピカ』、同じ題材を扱いながらも趣の異なる島本さんの最新2作品をぜひ読み比べてみられてはいかがでしょうか。
(松井ゆかり)
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