“風下の村”で考えたこと

田口ランディ「いま、伝えたいこと

今回は作家田口ランディさんのブログからご寄稿いただきました。

“風下の村”で考えたこと
イタリアの友人からメールが来た。

「新聞では、レベル7ということでたいへん怖い記事が載っていました。田口さんは大丈夫ですか? とても恐ろしいです」

日本語を母国語としない彼の日本語は、時として妙なリアリティをもつ。たどたどしい言葉に、私のほうが“恐ろしく”なった。

海外の専門家の冷静さと逆に、海外の一般の人たちの放射能への恐怖はとても強い。

5年ほど前、チェルノブイリ原発の爆発事故により、放射能汚染地域となったベラルーシ共和国の村に取材に行ったときのこと。避難命令が出て閉鎖された村に入るのに、私たちは平服だったが、イタリアの援助グループは白い防護服を着ていた。その感覚のズレに驚いた。「日本人は放射能が怖くないの?」と逆に聞かれた。

“風下の村”で考えたこと

あのとき、私は自分が怖いのか怖くないのか、はなはだ心もとなく「怖いような、でも、そこまで怖くないような……」という不思議な気分だった。村に入れば老人たちが牛を追い、畑を耕している。どこまでも続く平原は広大だった。空は青く、ちょうど秋だったので紅葉が美しかった。この村は避難ゾーンに指定されているため地図から抹消されて20年が経つ。町の生活になじめない老人たちが戻って来て、50人ほどで自給自足のような生活をしていたが、みな長寿で元気そうだった。

“風下の村”で考えたこと

チェルノブイリ原発事故が起こった時の様子を彼らから聞いた。最初は何が起こったのかまったくわからなかったという。ラジオで「大きな爆発事故が起こった」ということはわかったが、情報はなにもなく皆が脅え慌てた。原発の事故だと知ったのは発生から一週間も過ぎてからだった。突然に軍隊がやって来て、飼っていた動物たちを置き、追い立てられるように土地を棄てなければならなかったことが、ほんとうに悲しかったという。

チェルノブイリはウクライナの原発だがベラルーシとの国境近くにあり、風下のベラルーシの村には風で運ばれた放射性物質が雨となって落ちる《ホットスポット》と呼ばれる汚染地域が多数存在する。私が訪れたブジシチェ村もその一つだ。

“風下の村”で考えたこと

政府の指導に逆らって汚染地帯に住み続ける老人たちを、近隣の人たちはサマショーロと呼んで、いわゆる差別の対象としていた。サマショーロとは“わがままな人”という意味。つまり、逃げろと言っても逃げない勝手な人たちということだろう。

サマショーロの数はもちろん少ない。他の村にはたった2人、無人となった土地で生活し続けている夫婦もいた。なぜそこにいるかと言えば、そこが「私が生まれて育った場所だから」と答え、「ここが小学校」「ここが私の実家があった場所」と村を案内してくれたりした。ご主人は放火にあった教会を1人で建て直そうとしていた。「放火する者がいるんだ。ここを焼き払おうとして火を放つ……」。

誰もいなくて、なんの音もしなかった。

それが5年前で、まさか5年後に日本でレベル7と政府が発表するような原発事故が起こるとは、想像もできなかった。

福島原発事故は運転停止状態での水蒸気爆発によって放射性物質が大気中に拡散された。そのため放出された放射線量はチェルノブイリの10分の1。そうは言っても私はあの広大な白ロシアの大地、ぐるりと水平線が見えるあの汚染地帯を見てきただけに、せまい日本において放射能汚染は環境にどんな影響があるのか……と考えてしまう。

ブジシチェ村ではセシウムが主な汚染物質だと聞いた。「キノコやイチゴは汚染されているから、しばらくの間は食べないようにしていた。でも、いまは……食べているよ。だって、ここのキノコはすごくおいしいんだ……」。じゃがいもが主食。自分たちの土地でとれた野菜を食べ、飼っている牛たちのミルクを飲む。

“風下の村”で考えたこと

「放射能が怖くないの?」と聞くと「若い子たちは町へ行ったよ。その方がいい。だが、俺たちはここがいい。ここでしか生きられないし、ここで生まれて育ったんだ。ここは俺たちの土地だからね」と言う。「それに、俺たちは生きている。それだけだ。そうだろう?」。その通りです、と私は思った。町のアパートを政府からもらっても、ストレスで自殺してしまった老人も多いと聞いた。便利さは彼らにとっての救いではなかったのだ。

高齢になっても自分たちで布を織り、チーズやバターを作り、パンを焼く。家を修理し、水を運び、籠を編む。自力で生活している。それは私よりもずっとたくましい。白ロシアの厳しく寒い冬を、皆で協力しあいながら乗り切っている。

私は少しセンチメンタル過ぎるのだろうか。村を一歩出て会った人たちの、サマショーロに対する反応は厳しかった。ウクライナから来たという科学者の女性は「ここで食べる気がしない。すべて汚染されている」と顔をゆがめたし、イタリアの救援隊は防護服だった。「あんな汚染地帯で暮らす気がしれない」と町の人たちは言った。サマショーロは昔の汚い生活をする人たち。「あのじいさんたちは、頭がどうかしているんだよ」と。

サマショーロの村から見る世界と、外からサマショーロを見る世界と、まるで違った。外の世界の人たちはどうしてあんなに、冷たいんだろうと思った。まるで汚染地帯に住んでいる人たちまで汚染されているように忌む。その理由がわからない。元気で生きていることをとがめているようにすら感じた。もしかして、外の世界の人間にとってはサマショーロの存在が都合悪いのだろうか。でも、なぜ?

“風下の村”で考えたこと

チェルノブイリ原発にはいまも千人近くの従業員が働いていると聞いた。私が行った時は30キロ圏内に立ち入り禁止となっていた。(50キロとも聞いた……実際どちらなのか。新しい工事が始まると変わるらしい)でも、サマショーロは原発に興味がなさそうだった。「ここには電線が通っていないからね」と笑った。 私が泊まったアレクセイとアンナの家に、電化製品はテレビだけだった。真っ暗な夜のほんの一時、2人は並んでドラマを観ていた。

いま、日本で原発事故が起きて、あまりにも海外のメディアが偏った報道ばかりするので、私は日本から原稿を書いて送った。イタリアとフランスの新聞社から地震発生と同時に取材依頼が来ていた。だから、イタリア人の翻訳者に頼んで、日本人の現状を原稿に書き翻訳して新聞社に送ってもらった。日本がすべて汚染されたわけではないことを知ってほしかった。その原稿は6つの新聞社でボツになった。理由は「楽観的すぎる」だった。政府がレベル7と発表した現在では、ますます相手にされないだろう。

“風下の村”で考えたこと

「でも、多くの人の日常はいつもと変わらないし、放射能汚染が広がっているわけではない」と言っても、信じてはもらえないのだ。そのとき、私もまた、世界の認識からすれば「汚染の内部に入った」のだなと思った。

飛行場では日本人は放射能チェックをされると友人が言った。厳しい検査にビジネスマンたちは腹を立てていたそうだ。汚染された乗客を乗せたくない気持ちはわかるが、日本人から見ればあまりに過剰だと感じる。ヨーロッパでは日本の製品がひとつひとつ放射能チェックを受けている。そうだよ、彼らは20年経った風下の村を防護服を着て歩いていたのだから当然なのだ。

日本ではチェルノブイリ連帯基金 *1 という団体が、風下の村へのスタディーツアーを行っていた。子どもたちが汚染地帯を訪問するというツアー。だが、今はそれも中止になってしまうのではないかと危惧する。放射能とは目に見えないし、その影響のエビデンスは微量であるほど困難だ。つまり心配すればきりがない……という不安の迷宮に入ってしまう。

*1:『日本チェルノブイリ連帯基金』
http://jcf.ne.jp/

認識は多様だ。いま、日本内で展開されているさまざまな議論、原発に反対するか、原発を増やさないようにするか、原発を推進するか……。どのような意見をもっていようと、世界から見たら同じ。地震が活性化している火山列島日本において、大量の原子力発電所とともに生活している私たちは“汚染”された、あるいはさらに“汚染を拡大させる”可能性をもった人々でもあるのだ。

“風下の村”で考えたこと

人はなかなか自分の認識の外には立てない。レッテルを貼るのが好きで、思い込みが強く、自分は正しいと思い、相手のことをよく知らないでもわかったふうなことを言いがちだ。他人の意見に左右されやすく、同時に、自分に不安を与える相手を攻撃したり、自分の言ったことと違う意見を言う人間の言葉は最初から否定しがちだ。そのような傾向は誰にでもある。どんなに高学歴であっても、人は他人の意見に負けるのを嫌い、過ちを認めたがらず、保身に走りがちだ。

また、自分が正しいと思ったことが人から認められるとうれしくなり、それを絶対だと思い込むことで有頂天になったりする。都合が悪くなればあのブドウはすっぱいと言い出し、そして、自分が匿名であれば、露悪的になれる。人をおとしめることで自分が優位に立ったような気になり、世論に同調することで力を得たと錯覚しがちだ。不安であれば攻撃的になり、一つのことを盲信するとヒステリックになりがちで、子どもと弱者を持ち出すことで自己正当化しようとしたりする。

“風下の村”で考えたこと

それはすべて私にもあてはまる。自分のことだからよくわかるのだ。原発という問題と関わると、この人間としての弱点をこれでもか、これでもかと味わうことになるのだ。非常にストレスが多く、不毛で、そして出口のない状況に迷い込む。

だが、それは他人を変えようとしたからだ……ということに気がついた。

人は変えられない。賛成の人を反対には変えられない。反対の人を賛成には変えられない。それぞれに信念がある。信念のない無責任な人、無責任であることの自覚がない無責任は、無関心よりたちが悪く、信念で対立している人たちの対立をより増長させることで、他者をコントロールしていると錯覚し快感を得ている。そのような人も変えられない。聞きかじったことを検証もせずに平気で吹聴する人も、匿名のにわか批評家も、不安で眠れない人も、楽観的な人も、思慮深い人も、すべての人は、自分らしくそのように生きているのだから、他人が変えることなど不可能。ましてや私が変えることなど、できるわけもない。

他人を変えようなどという傲慢さが、ストレスになっていたことは明白である。それで、ガンになってはもともこもない。……微量の放射線(ひばく)よりもストレスのほうが発ガン率が高いのだ。

自分の判断で生きること。自分がどうしたいか。それがすべてだ。これは、生き方の問題である。「どう生きるか」を、問われているのだ。自分を離れたところに、答えはない。あのサマショーロたちの苦渋の思いが、いま少しだけわかる気がする。

※写真は私がベラルーシのブジシチェ村で撮影してきたものです。きれいな村です。アレクセイとアンナの家に泊めてもらい、ごはんをごちそうになりました。海外の救援隊はこの場所で食べ物を食べないとも聞きました。それも認識の違いだと思います。この村は本橋誠一監督の映画『アレクセイと泉』の舞台です。泉は深い地下からわいており汚染されていません。その飲料水が村人の心の支えでした。絵は、貝原浩さんの画文集『風しもの村から』 *2 から。とてもすてきな本です。
※すべての画像が表示されない場合はこちらをご覧ください。
https://getnews.jp/archives/111878

*2:『風しもの村から-チェルノブイリ・スケッチ』 貝原 浩 平原社
http://www.amazon.co.jp/dp/4938391015

“風下の村”で考えたこと

執筆: この記事は作家田口ランディさんのブログからご寄稿いただきました。

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