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日本で2015年4~5月に著作権保護期間が満了する海外の先人たち・前編【文学編】

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日本では毎年1月1日に(米国やメキシコ等を除いて)世界共通で一定年数を経過した先人の著作権保護期間が満了し“自由化”される「パブリックドメイン・デー」の他に「もう一つのパブリックドメイン・デー」が4月から5月にかけて訪れます。それは1952年に発効したサンフランシスコ講和条約に基づく戦時加算(多くは3794日=10年と142日)が満了する日がこの時期に集中していることが原因ですが、今回は毎年12月に取り上げている「今月末で著作権保護期間が満了する先人たち」の番外編として今月から来月にかけて著作権保護期間が満了する海外の先人たちを前後編に分けて取り上げます。

保護期間が満了する日は著作者の国籍や作品発表年によって異なりますが、基本的には1941年以前に公表された作品が5月21日・1942~52年の間に公表された作品が4月28日に満了となり、翌日から日本での著作物の利用が“自由化”されます。

ジェームズ・ヒルトン(イギリス・1900-1954、代表作『失われた地平線』『チップス先生さようなら』)

1900年、イングランド北西部のランカシャー州に生まれる。ケンブリッジ大学在学中に『キャサリン自身』で小説家デビューするがなかなかヒットには恵まれなかった。転機となったのは1934年刊の『チップス先生さようなら』で、同作のヒットにより前年刊の『失われた地平線』も売れるようになり流行作家の座に躍り出る。『失われた地平線』の映画化を持ちかけられたことを機に米国へ移住し、1942年にはMGM映画『ミニヴァー夫人』(ジャン・ストラッサー原作)の脚本チームの一員としてアカデミー脚色賞を受章している。1954年、カリフォルニア州で死去。54歳。

遺作『めぐり来る時は再び』はサンフランシスコ講和条約発効後の1953年刊につき日本では2004年末に著作権保護期間を満了しているが、代表作の『失われた地平線』や『チップス先生さようなら』は今年5月21日まで著作権が存続する。

シドニー=ガブリエル・コレット(フランス・1873-1954、代表作『クローディーヌ三部作』『シェリ』)

1873年、ブルゴーニュ地方で生まれる。1900年に『学校のクローディーヌ』でデビューし、1903年に三部作の最終巻『去りゆくクローディーヌ』を書き上げる。女流作家として活動する一方で第一次世界大戦中はジャーナリストとしても活躍し、1920年にレジオン・ド・ヌール勲章を授与される。1920年刊の『シェリ』を始め女性の心理面に焦点を当てた描写に定評がある。第二次世界大戦中は夫がナチス・ドイツに政治犯として捕らわれる苦境の中で『ジジ』を書き上げ、1945年に刊行された。

1954年8月3日、パリの自宅で死去。満81歳。8月8日にはフランス政府主催の国葬が執り行われた。

マクスウェル・ボーデンハイム(米国・1893-1954、代表作『ミナと私』『ジェシカの充足』)

1892年、ミシシッピ州でドイツ系移民の家庭に生まれ、幼少期にシカゴへ移る。素行不良で高校を退学処分となり、後に脚本家として大成するベン・ヘクト(1894-1964)と知り合って親交を深め同人誌『The Chicago Literary Times』を共同で刊行した。1915年にニューヨークへ移り最初の詩集『ミナと私』を刊行。生涯に10冊の詩集と『ジェシカの充足』など13点の小説を刊行している。

最初の妻との離婚、2人目の妻との死別を経て晩年はマンハッタン南部のグリニッジ・ヴィレッジでホームレス同然の生活を送っていたが、1954年2月6日に路上で喧嘩となった相手に銃で撃たれ3人目の妻と共に殺害された。事件の半年後に回顧録『グリニッジ・ヴィレッジ 我が人生と愛』が刊行されている。

(後編に続く)

画像‥ジェームズ・ヒルトン財団のトップページ
http://www.jameshiltonsociety.co.uk/ [リンク]

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