本は電子書籍が出る前から息してない(本しゃぶり)

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本は電子書籍が出る前から息してない(本しゃぶり)

今回は骨しゃぶりさんのブログ『本しゃぶり』からご寄稿いただきました。

本は電子書籍が出る前から息してない(本しゃぶり)

読んだ。

「本が本でなくなる日」 2014年07月30日 『TechCrunch』
http://jp.techcrunch.com/2014/07/30/20140729a-book-by-any-other-name/

この記事に限った話ではないが、電子書籍が普及してからというもの「本は死んだ!」みたいな話をたびたび目にする。俺から言わせてもらえば「今更?」って感じだ。本が息をしなくなってから相当経っているだろ。

文庫本

電子書籍は携帯性に優れているが、本を手軽に持ち歩けるようになったと言えばまず文庫本だ。そして文庫本もまた本の価値を下げてしまった。

それまで本というものは重厚で高価であり、気軽に持ち歩くものではなかった。そのため本を読むということは部屋で机に向かって行うものだった。そのため読書はそれ自体が主であり、何かのついでや暇つぶしで行うものではなかったのだ。

しかしそれが16世紀に変わってしまった。アルドゥス・マヌティウスの手によって(正確に言えば文庫本サイズ=八折り判の本を最初に作ったのはアルドゥスではない。彼の50年ほど前にはトルコ・カレンダーで採用されている。イタリアでも彼より30年先にウルリヒ・ハーンが『書簡集』や『風刺詩』で採用している。アルドゥスの偉いところは古典作品を八折り判で出版し、気軽に読めるようにしたところにある。)。印刷業を営んでいた彼は商売の上手いヴェネツィア人らしく、「持ち歩ける本」という全く新しい商品を生みだした。これによって本は安価で気軽な扱える存在となり、旅行者や学生の手にも渡るようになった。そして本は娯楽の対象となってしまったのだ。

またアルドゥスはただ本を小さくしただけではない。イタリック体を生み出し、句読点の採用、さらにはページ番号までもが彼の業績だ。その結果、彼自信が望まなかったものまで誕生した。海賊版だ。アルドゥスの本はその読みやすさ、作品のチョイスから人気なため、そっくり真似られたものが次々現れてしまった。本を軽く扱えるようにしたら自分の商品が軽く扱われてしまうとは皮肉な話だ。

活版印刷

本の価値を下げたというのならこれに触れないわけがない。上記のアルドゥスが印刷業を始めたのも活版印刷が登場した(この記事では単純化するために活版印刷=グーテンベルクの活版印刷としている。知っての通り活版印刷は中国がそれより400年以上前に発明した。しかし残念なことに文字の種類が多い中国では活版印刷は主流とならず、木版印刷が長い間使われていた。)からだ。これによって本の値段は100分の1になる。

それまで本を複製する方法は写本だった。人間が自らの手を使ってその内容を書き写していく。そうやって本はその数を増やしていった。そこには「写し」と言えどもオリジナリティがある。例えば5世紀のビザンティンでは装飾写本が誕生した。中には単一のページそれだけで芸術的価値があり、切り離されて保存されている。この頃の写本は修道院にいる写字生によって行われ、彼らはその腕とアイデアを競い合った。高い技術を持った写字生は尊敬される存在だったのだ。

それなのに活版印刷の登場で本は芸術品から工業品となってしまった。もはやそこには本ごとの工夫など無く、単純にコピーが生産されていくだけだ。先ほどアルドゥスの文庫本には海賊版が多く現れたと書いたが、それも当然のことと言えるだろう。完全にコピーであることが正しい世界となってしまったのだから。

上記の印刷が普及したのも紙が容易く手に入るようになったからだ。そして本から耐久性が失われた。

今でこそ本といえば紙であるが、本は紙より先に生まれている。紙のほうが新しいものなのだ(ここでも中国とヨーロッパでは大きな差がある。中国で紙が生まれ、最古のものは紀元前150年頃の放馬灘紙。そして105年に蔡倫が紙を改良し、その使い勝手の良さから紙は普及した。一方、西方に紙が伝わったのはそれから600年以上も後のこと。751年に唐とアッバース朝との間で起きたタラス河畔の戦いによるものと言われている。そしてさらに時間をかけてヨーロッパへと伝わる。ヨーロッパ最古の紙は1109年の「ロジェロ2世の証書」。ちなみに日本は5世紀頃には紙が伝わっており、最古の紙は701年の「戸籍」。こうやって調べると中国の技術は進んでいたと思い知らされる。)。では何の素材が使われていたかという話になるが、ヨーロッパでは羊皮紙が主流だ(馴染みが深いので“羊皮紙”と書いているが、羊とは限らない。ヨーロッパの写本の多くは仔牛皮が最も使われている。)。これが使われていた頃の本は重厚感があり、耐久性も高かった。

羊皮紙は動物の皮を使っているだけあって厚みがある。そのためインクを使っていながら書き直しが出来るというメリットが有る(これはデメリットでもある。なぜなら修正することにより文章の偽造が容易くできてしまうからだ。紙を知ったペルシャ人もそこに注目したし、現代でも公的な文章には紙が使われている。しばらく前にフリクションで勤務記録を誤魔化した事件があったが、羊皮紙を使っていたらどこのペンでもできていただろう。)。これは羊皮紙は紙と違って隙間が無く、中までインクが浸透しない。そのため表面を削ることで修正できるのだ。また同様の理由で羊皮紙は紙に比べて火にも強い。内部の空気が少ないため、ちょっと炙られた程度では燃え尽きない。よくファンタジー系の作品に登場する羊皮紙は端が黒く焦げている事があるが、あれは実際に有り得るということだ。

寿命についても羊皮紙は優れている。例えばあの有名な「死海文書」は羊皮紙に書かれているが、およそ2000年前のもの。それなのに今でもちゃんと文字を判別することが出来る(“読むことが出来る”と書こうと思ったが、俺に古代ヘブライ語なんて読めるわけがなかった。)。興味のある人はこれで見るといい。

『Digital Dead Sea Scrolls』
http://dss.collections.imj.org.il/

それに対して紙の寿命は短い。酸性紙なら100年、中性紙でも400年ほどだ(ちなみに和紙は1000年以上。繊維が長いため高い強度を持ち、水にも強い。)。本というものは記録や知識を残すためにある。それなのに寿命の短い物質に替えるというのは愚かな話だ。実際1970年代からアメリカやヨーロッパでは図書館にある古書(これは1850年代以降に作られた本に限られている。この頃から紙の原料にパルプを用いた酸性紙が使われているためだ。)が次々と崩壊し始めた。日本でも1980年代に問題として取り上げられた。紙の寿命という問題については昔の人間のほうがよくわかっている。1145年にシチリアの王ロジェロ2世は紙に書かれていた文書について羊皮紙への転写を命じた。一国の王たるもの未来を見据えていなくては。

ここまで羊皮紙バンザイみたいに書いているが、俺から言わせてもらえばまだまだ甘い。やはりここはタブレットにしないと。もちろんiPadとかのほうではなく、粘土板のことだ。あれの耐久性は素晴らしい。何と言っても火にも強い。アレクサンドリア図書館を始め、今まで火災で多くの図書館が燃え、それとともに多くの本が消失してしまった。粘土板で作っておけばよかったものを。

粘土板は単純な寿命もやたらと長い。紀元前7世紀に建てられたアッシュールバニパル王の図書館に収められていた本は粘土板であるが、そのほとんどが今でも残されている。あのギルガメッシュ叙事詩もここにあったもの。粘土板で作られていたおかげで俺も記事を書けたわけだ。

「ギルガメシュ叙事詩」 2013年07月07日 『本しゃぶり』
http://honeshabri.hatenablog.com/entry/2013/07/07/ギルガメシュ叙事詩

書記

これまで「本はダメになった」と散々書いてきたが、先人はどう考えているのか。ここで彼の意見を聞いてみたいと思う。

偉大なる哲学者ソクラテスだ。彼の意見(プラトンの「パイドロス」からなので、“本人の意見そのもの”というわけではない)を列挙するとこんな感じになる。

・話し言葉は生きているが、書き留められることで死んだ言葉となる。
・書き留められた言葉と対話することはできない。
・書き留めることで記憶力が低下する。
・書き留められた言葉は相応しくない相手にでも話しかける。

なるほど。書かれた時点でアウトだったか。たしかに人類の歴史を紐解けば、最初の本とは人間そのものであった。語り部のことだ。人類最古の職業といえば売春婦とされているが、語り部のほうが古いという説もある(ジョジョの奇妙な冒険17巻より)。また口承は信頼性に欠けると思われるが、そうとも言えない。インドを例にだすとこんな感じだ。

インドの場合は、また事情が違います。たしかに聖典は存在しますが、口承で伝わっていることのほうがずっと強い威信を帯びつづけています。口承で伝わったことのほうが、今日でも、より信頼性が高いと見なされているんです。

古代の歌や詩はグループで詠唱されるものだったんです。グループで詠唱する場合、誰かが間違えても、他のメンバーがいますから、間違いを指摘してやることができます。したがって、千年近く続いてきた口承で伝わってきた偉大な叙事詩は、写字室で僧侶たちが手書きで古文書から書き写した西欧の聖典より正確なのです。手で書き写す場合、前任者の書き間違いはそのまま引き継がれますし、書き写されるたびに、新しい間違いも加わっていったでしょうからね。

「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」 ウンベルト・ エーコ (著), ジャン=クロード・ カリエール (著), 工藤 妙子 (翻訳) 『amazon』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00ELAKWO4/

知識は人間を通じて伝えられるのが正義ということか。つまりこれが本のあるべき姿だ。

執筆: この記事は骨しゃぶりさんのブログ『本しゃぶり』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2014年08月11日時点のものです。

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