やる夫で学ぶホメオパシー2
やる夫に説明されると、なんだかすごく興味がわいてしまう不思議。前回に引き続きホメオパシーについてMochimasaさんのブログ『Not so open-minded that our brains drop out.』からご寄稿いただきました。
やる夫で学ぶホメオパシー2
原子・分子の概念が確立し普及する以前のハーネマンの時代はいざ知らず、20世紀においてはホメオパシーに効果がないことは科学的にはもはや自明のこととなっていた。
が、しかし、ある事件がきっかけでホメオパシーは科学の最前線に引きずり出された。
一流の科学論文の掲載のみが許される科学雑誌『ネイチャー』に信じられない論文が掲載決定されたのだ。
論文の著者はフランスの国立保健医学研究所INSERMの免疫学者ジャック・ベンヴェニストだった。内容は1分子も含まれないほどに希釈された抗体が、白血球の一種である好塩基球が起こす脱顆粒(かりゅう)という変化を促進したというものだった。これは化学の常識と真っ向から衝突し、ホメオパシーを支持する実験結果である。
希釈によって分子が1個も含まれなくなるはずだという化学的な観点からの反論に対して、段階的な希釈の過程で物質の情報が水に記憶されるために、もはや分子が含まれないほどに希釈された水溶液であっても生理活性を示すとベンヴェニストは考えた。
しかし、物理学者でもあったマドックスがこの論文をただ無批判に扱うはずもなかった。
マドックスは調査チームをベンヴェニストの研究室に送り込むという極めて異例の条件で掲載を許可したのだった。
送り込まれた調査チームは、マドックス自身と化学者で不正調査の専門家のウォルター・スチュワート、
そしてマジシャンのジェイムス・ランディー、
こう見えてもランディーはユリ・ゲラーをはじめとする数々の自称超能力者のトリックを暴いたことでも知られる人物である。
『超常現象の謎(なぞ)解き』より「ジェイムス・ランディー」
http://www.nazotoki.com/skeptic.html#randi
調査チームはベンヴェニストたちが標本誤差の概念を理解していなかったことに驚かされたと述べている。調査チームは袋から色のついたボールをランダムに取り出し、標本誤差について説明したが、ベンヴェニストはそれを”Theoratical objections”(理論上の反論、机上の空論)だと述べた。
いくつかの予備的実験が行われた後、ベンヴェニストの提案によってより厳密なブラインド・テスト(盲検定)が実施された。
希釈された抗体溶液は、調査チームによってランダムな番号が振られた試験管に入れられた。それぞれの番号がどの希釈率のサンプルを意味するのかは秘密にされ、その情報が記された書類は透かしても見えないようにアルミホイルに包んだ状態で封筒に入れて、だれも触れられないように研究室の天井にはり付けられた。さらに、正確さを確保し標本誤差の問題が”Theoratical objections”などではないことを示すために、細胞のカウントは2人の研究員によって別々に2回行われた。
最後に封筒を開封してそれぞれの番号が照合され、実験結果が整理された。ベンヴェニストが論文で報告したような、高度に希釈された溶液の生理活性は観察されなかった。つまり、ベンヴェニストの実験はバイアスを排除したより厳密な条件では再現できなかったということであり、調査チームは”‘High dilution’ experiment a delusion”(「『高度希釈』実験は幻だった」)と題した調査報告を『ネイチャー』誌に掲載した。
表現の違いはあるだろうが、これらの不平不満は『ネイチャー』誌に掲載された調査後のベンヴェニストのコメントに基づくものであり創作ではない。
これもベンヴェニストが実際に『ネイチャー』誌面で展開した主張である。
1991年には、1988年に『ネイチャー』誌に掲載された研究により、ベンヴェニストは栄えある第1回イグノーベル化学賞を受賞する。イグノーベル賞とは、ノーベル賞のパロディであり、世界のおバカな笑える*1研究に与えられる賞である。
ちなみにホメオパシージャパンのウェブサイトではベンヴェニストは本家のノーベル賞の候補だったとされている。
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一時はノーベル賞候補に上げられながらも、結局は、科学界から完全に無視され、資金援助もなくなり、遂に日の目を見ることなく亡くなられてしまったことは、とても残念に思います。
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『ホメオパシージャパン株式会社』ワールドニュース「ベンベニスト博士亡くなる!」より引用
http://www.homoeopathy.co.jp/introduction/world_T20041031.html
ノーベル賞の選考過程は非公開であり、選考過程についての出所のはっきりした情報源は存在しないはずだ。したがって、あるのは根拠の疑わしい噂(うわさ)だけである。
1993年にはロンドン大学ユニバーシティカレッジの研究グループが、ベンヴェニストの論文に基づいて再現実験を試みるが、やはりベンヴェニストが主張するような高度に希釈された溶液の効果は検出されなかった。
しかし、べンヴェニストは懲りることなく、DigiBio社という会社を設立し、”研究”を続行した。
そして、1998年には2度目のイグノーベル賞を受賞することとなる。なお現在にいたるまで複数回イグノーベル賞を受賞した人物はベンヴェニスト以外には存在しない。
受賞理由は「水が情報を記録するだけではなくて、その情報を電話線やインターネットで送信することができるというホメオパシー的発見」である。
反証が目的であったにせよ、マドックスがベンヴェニストの論文の掲載を認めたことに対しては反発があった。オランダ癌(がん)研究所のRonald H.A. Plasterkは、論文の主張はいずれアーティファクト(つまり人為的な原因による勘違い)だと判明するだろうが、一流誌にホメオパシーの論文が掲載されたという認識が世界に広まってしまったこと自体がすでに有害であり、論文が撤回されたとしても、そのことは論文ほどは大きく報道されないだろうと指摘した。
彼の予想通り論文は反証されたが、ベンヴェニストは論文を撤回しなかった。さらに悪いことに、ホメオパシー業者は真実を発表して迫害された”ガリレオ”としてベンヴェニストを扱い、一種の陰謀論のダシにしている。
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ベンベニスト博士がこれほどまでに攻撃された理由の中に、彼の論文が、ホメオパシーの科学的根拠となることへの多大な恐れがあったことは想像に難くありません。
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『ホメオパシージャパン株式会社』ワールドニュース「ベンベニスト博士亡くなる!」より引用
http://www.homoeopathy.co.jp/introduction/world_T20041031.html
参考文献
・発端になったベンヴェニストらによる論文 E. Davenas, et al. , Nature 333, 816 (1988).
・論文の掲載に関して寄せられたコメント(Ronald H.A. Plasterkのものを含む) Nature 334, 285 (1988).
・調査チームの報告 J. Maddox, J. Randi, W. W. Stewart, Nature 334, 287 (1988).
・調査後のベンヴェニストの弁明 J. Benveniste, Nature 334, 291 (1988).
・ユニバーシティカレッジのグループによる追試 S. J. Hirst, N. A. Hayes, J. Burridge, F. L. Pearce, J. C. Foreman, Nature 366, 525 (1993).
・日本語による事件の解説 「水の記憶」事件 – Skeptic’s Wiki
http://sp-file.qee.jp/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=%A1%D6%BF%E5%A4%CE%B5%AD%B2%B1%A1%D7%BB%F6%B7%EF
・『BBC』の特集番組のサイト「Homeopathy: The Test – programme summary」
http://www.bbc.co.uk/science/horizon/2002/homeopathy.shtml
*1:おもしろおかしく思える研究なら科学的にまともな研究でも受賞している。
執筆: この記事はMochimasaさんのブログ『Not so open-minded that our brains drop out.』より寄稿いただきました。
文責: ガジェット通信
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