「客観」とは人が生み出すもの
今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
「客観」とは人が生み出すもの
客観とは人間の外部に人間とは関係なく存在していると考えている人が少なくない。主観とは人間の内部にあり、客観とは人間の外部にあるものである、と。
客観というものは最初からあったわけではないのだよね。人間が創りだしたものだ。たとえば「背が高い」「背が低い」というのは、人によって判断が変わる。つまり主観。一方身長何センチというのは誰が表現しても同じ尺度。すなわち客観。
しかしもともと背の高さをセンチメートルで表す方法があったわけではない。誰かがものの長さを、基準となるものの倍数で表そうと思いついたのだ。重さだって温度だって、客観的な表現方法が発明されたから、我々はそれを客観的な値として扱える。「すごく重い」「死ぬほど暑い」みたいな表現方法しかなければ、重さも温度も主観的な存在でしかないのだ。
温度計が発明されていなければ、何人かの人にアンケートを取って、今日の暑さを決めていたことだろう。
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海岸線の長さは客観的に測れるだろうか?海岸線は凸凹している。小さなくぼみまで測れば、海岸線は長くなるだろう。砂の一粒一粒まで測ればさらに長くなる。砂粒の凸凹まで・・・。
となるとどの程度の凸凹までを認めるかで、海岸線の長さが変わることになる。つまり人によって変わるわけだ。しかしそこから次元という視点で捉え直すことでフラクタルという概念が生まれた。
始まりは、イギリスの気象学者ルイス・フライ・リチャードソンの国境線に関する検討である。国境を接するスペインとポルトガルは、国境線の長さとしてそれぞれ987kmと1214kmと別の値を主張していた。リチャードソンは、国境線の長さは用いる地図の縮尺によって変化し、縮尺と国境線の長さがそれぞれ対数を取ると直線状に相関することを発見した。このような特徴をフラクタルと名付けて一般化したのがマンデルブロである。
「フラクタル」 『Wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/wiki/フラクタル
主観的にしか捉えられないものも、視点を変えることで客観的に扱うことができるようになる。ようは「工夫」なのだ。我々が現在「主観」と思っているものは、客観的な表現がまだ発見(工夫)されていないもの、といえよう。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年09月04日時点のものです。
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