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人権や改正を語る前に知ってほしい、たった3つの憲法のこと

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今回はsophizmさんのブログ『sophizmの上から涙目線』からご寄稿いただきました。

人権や改正を語る前に知ってほしい、たった3つの憲法のこと

1.憲法は国民を縛る鎖ではない

もう、言いたいことはこれに尽きるかも知れない。”憲法は国民を縛る鎖ではない”と。ホントにこれ。憲法は国民が国、国家を縛る鎖であって、国が国民を縛る鎖ではないのです。これが他の普通の法律と違うところだと思います。他の法律は、日頃接する多くの法律は私たち国民を縛ります。やれ自動車は時速60km以上で走るな、やれ万引きするな、やれ路上喫煙するな、やれ未成年で飲酒やタバコするな、やれ消費税払え、やれ違法ダウンロードするな、と。でも憲法は違う。

そもそも、どうして法律が私たち国民を縛ることができるのかというと、それはその法律が憲法の枠組みの中に収まっているからに他ならないです。行政の行いもそう、憲法の枠内でのみ国は何かが行えるんです。

つまり、憲法とは国民が国を縛るための鎖だということ。

乗馬を想像してください。騎手が国民です。馬が国家です。鞍が法律です。そして、手綱が憲法です。騎手は馬に乗って楽できますし行きたいところに行けます。(鞍が法律だという意味は考えてみてください。鞍が騎手に及ぼすメリットとデメリットを。)しかし、馬だって突然暴れだすかもしれないし、自分が行きたいところと違う方に走りだすかも知れないので、手綱を持って馬をコントロールしなきゃダメなんです。主権者は国民で、主人は国民なのだから。

主権者である国民が選挙を通じて国に立法や行政、司法を預けるに於いて、最低限守らせるルールが「憲法」。だから国民に何かをさせようと「憲法」を位置づけるような議論があれば、まぁそれは憲法というものがどういうものだかわかってないんだろうなぁ、ということになります。

~追記~
ちなみに、政府の統治を憲法に基づき行う原理で、政府の権威や合法性が憲法の制限下に置かれていることに依拠するという考え方を「立憲主義」と言います。自民党の憲法起草委員会の事務局長だった礒崎陽輔議員はご存じなかった*1ようで、非常に心配しています。

*1:「(追加あり)立憲主義を知らない自民党「憲法起草」委、事務局長、「礒崎陽輔」議員に関する法律関係者のコメント」 2012年05月29日 『togetter』
http://togetter.com/li/311536

2.人権とは与えられるものではない

どっかの議員さんが「フルスペックの人権」なる意味不明の概念を出してきたり*2、どっかの芦部直弟子を自称する議員さん*3が権利を得るのは義務を果たしたものだけだと言い出したりしておりますが、人権はなにものかに与えられるものではないというのが近代以降に於ける”常識”です。

*2:「生活保護の給付水準下げ自立意欲高める、権利の制限は仕方ない–参議院議員・世耕弘成」 2012年07月12日 『東洋経済』
http://toyokeizai.net/articles/-/9611/

*3:「片山さつき議員「芦部先生の直弟子」発言まとめ」 2012年12月08日 『togetter』
http://togetter.com/li/419568

特に自然権などは前国家的権利とも言われたりするようで、国家がなくてもそもそも人間が人間として持っていると哲学する権利で、国家がなくても持っている権利を国家から与えられるというふうには考えられないですよね。自然権が国家から与えられるものではなく、そもそも国家という概念以前から存在している人間の権利だとしたら、それはどういうことか。これを有するのは”国民に限られない”ということです。

1で書いたことと併せると、国が国民に権利を与えているわけではなく、憲法は国民が有している人権を侵してはいけないということを「保障」しているわけです。(余談ですが、生活保護で取り沙汰される「生存権」は自由権的な側面と社会権的な側面の両方を併せ持つと言われています。生きる権利は国があろうがなかろうが人間が持つべき権利として前国家的ですが、一方で社会保障として国家を介してこれを実現するための生活保護は国家の存在を前提としている点で後国家的です。)

日本国憲法第11条

国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

※(11条や憲法第3章表題には「国民」とあるが、これが単に日本国民のみを指すのは不適切であり、日本国民のみを指すのではないという解釈は通説でありもはや常識と化しています。このような実際の運用と文言の齟齬を解消するために憲法改正は必要かなと私は思います。)

だから、人権にフルスペックもクソもないし、義務を果たしてこその人権なんてことも考えられないわけです。

~余談~
人権教育なんてものがある。私が小さい時は道徳の授業で人権について教わり、反差別や平等について扱った覚えがあります。自由だとか平等だとか、それは憲法に書いてますが表面的にはその人権と憲法の人権とは違うと思います。なぜなら、道徳が説く人権が私たちが誰かと接するときに現出ものであるのに対し、上に書いたとおり憲法は国家と国民との間での取り決めだからです。

世の中には人権教育に対して嫌悪感を持つ人もいるようですが、あなたが嫌悪している人権と憲法の人権を混同すると大変なことになりますよ?

3.国が憲法を変えたいと言い出している意味を考えるべき

憲法は国民が国を縛る鎖だという話をしました。手綱だと。縛られているのは国です。その国が自分を縛っている鎖を変えたいと言い出しているとすれば、それはどういう意味なのかよく考える必要があると思います。手綱を緩めると馬は暴れだすかもしれませんよね。じゃじゃ馬なら暴れるでしょう。従順でよく懐いた馬なら、もっと速くもっと快適に走ってくれるかもしれないです。

私は憲法改正には反対じゃないです。鎖が緩んでいる箇所もあるし、錆びてる箇所もある。嵌め直しが必要なところや擦れて馬体に無理を強いているところもあると思います。でも、私たちは私たちが主人であり、体を預けている馬が暴れ出さないように手綱を持っている張本人だという意識を持って上手く前に進まなきゃダメだろうと思っています。

鎖を取り替えるなら、それは縛られている方ではなく縛っている私たちがその仕事を担うべきです。

執筆: この記事はsophizmさんのブログ『sophizmの上から涙目線』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2013年05月10日時点のものです。

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