偏差値40で大学に入る君たちへ

今回は、『はてな匿名ダイアリー』から転載させていただきました。
偏差値40で大学に入る君たちへ
もう15年も昔に卒業した大学に卒業証書を貰う事になった。戯れに偏差値を調べてみたら40だった。
15年前の偏差値を知るよしも無いが、当時から3流大学だった事は間違い無いし、それでも大学は非常に楽しかった。
ふと、もしかしたら高校生や浪人生で偏差値40の大学に入学する事に不安を抱いている人もいるかもしれないと思い、ここに吐き出してみる事にした。
少し僕の話をする。
いい大学へ入りなさい。いい会社に入りなさい。安定した仕事をしなさい。親が公務員だった事から常日頃からそう言われて育てられた結果、小学校から成績は低空飛行を続け、高校では県下で下から数えた方がいい3流高校へ入学。そのまま推薦で3流大学へ入学という底辺コースをひた走った。
努力無く見栄えだけは整えようと、部活や生徒会の役職をこなしながら教科書の代わりに小説や漫画を読み、寝食を忘れてゲームにのめり込んだ。というのが僕の小中高だった。
当然学校の勉強なんてついて行けるわけが無く、中学時代は教科書が記号に見えたし、英語なんて未だに主語と動詞も理解していない。
それでも高校も3流だった事が功を奏し、比較優位の問題で成績は悪くなく、小論文と面接で大学は受かった。第二次ベビーブームの終焉による学生不足という学校側の都合もあったと思う。
もちろん、私立、文系、低偏差値、別居という4重苦に対して多大なる投資をしてもらった親があってこその入学だった。
大学の価値は偏差値で決まるのか。
■ 多様な価値観を得られる(flat)
入学して最初に感じた事は、大学は人種のるつぼだったという事だ。政令指定都市の3流私立なんて、政令指定都市のご子息が集まるはずもなく、僕の様な「はぐれ者」が全国から集まる事になる。
いきおい、出身もバラバラ、年齢もバラバラ、バックグラウンドとしての知識もバラバラなやつらに囲まれる事になる。それだけでも相当面白い。
また、皆一人暮らしな事から寄り集まる事も多く、各地の料理や故郷観とも言うべき価値観などもゆるやかに共有していくコミュニティが作られる事になる。
その政令指定都市の中でも15くらい偏差値の高い大学に在籍した妻の話を聞くと、周りは政令指定都市のご子息だらけで、実家または遠くても近県出身が多かったとの事なので、これは偏差値というより立地と偏差値がパラメーターになってバリエーションが変わってくる様だが、多様な価値観を知る事ができ、感じる事ができるというのはどこの大学にも共通した価値だと思う。
■ 社会に出てからの仲間作り(disadvantage)
当時、師事した教授の一言で心に残る名言がある。
曰く「社会に出てからの仲間には必ず損得勘定が働く。君たちは損得勘定抜きでつきあえる最後の仲間だ。大切にしろ。」
おぼろげながら社会の厳しさを想像していた僕には、目から鱗な一言だったが、今でも確かに一理ある。と思う。
低偏差値大学であればあるほど、なんというか社会に出てからのバリエーションが豊富(?)なため、価値観にも違いが出てきて、仕事の話や生活の話はしにくくなるが、今でも合えば当時に戻って文字通り損得抜きで話ができる大切な仲間ができたというのは財産だ。
逆に偏差値の高い大学に入るメリットも、まさにここだろう。低偏差値の場合は損得抜きの仲間を作れるが、偏差値が高いと損得有りな関係を構築する事が可能だ。
今後いつまでこの状況が続くかわからないが、就職というのが卒業生大多数の選択肢となる現代日本においては、偏差値の高い人達は価値観が似通う仕事をしている割合が多いようにみえる。
結果、社会に出てからも有用なお付き合いができる仲間が持てる。という事になる。正直これはうらやましい。
研究内容や就職しやすさなんてのは些細な話で、この一点においてのみ、僕は高偏差値大学がうらやましいなと思う。これが必要だと思う人は頑張って勉強して偏差値の高い大学に入って下さい。
ただし、これは低偏差値出身でも高偏差値の人達と付き合ってると、次第に増えてくるものなので、何が何でも学生時代に得なきゃいかん!というわけでは無い。ちょっと座布団ひいて社会人生活をスタートできる。という程度の話だ。
記者: 転載