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体罰考(12) 赤ちゃんになぜおしめが必要か?(中部大学教授 武田邦彦)

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今回は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。

体罰考(12) 赤ちゃんになぜおしめが必要か?(中部大学教授 武田邦彦)

テレビを見ていたら「教育に体罰はゼッタイにダメ!」と叫んでいる女性がいました。私は小さい声で「ウソつくな!」と叫びました。先日のブログに書いたように「お母さんが、言っても言っても聞かない子どもの手のひらをピシッとうつ」ことをその女性は「仕方が無い」と言うでしょう。ご自分でもその経験があるかも知れません。

座禅で「ビシッ」と肩を叩くのも同じです。「教育上の体罰」ですが、それは「ルール化」されています。なぜ座禅の時に体罰がルール化されているかというと、「体罰は必要だ」という合意があるからルールができます。ところが学校では教育をするのに体罰が認められていないので、ルール化できずに、行きすぎが生まれます。

それでは、家庭や座禅での教育は体罰が許されるけれど、学校では許されないということになると、学校での教育はもっぱら読み書きそろばんであって、イジメやそんなことが起こっても「知らない」ということになります。

学校やクラブ活動が「子どもの全人格的教育の一環」である以上、家庭や座禅などに体罰が必要なら学校教育にも同様に体罰が必要ということになります。もし家庭で礼儀や誠実さを十分に教育できるなら、学校は体罰はダメと言うことになります。

親ができないことを先生に求めるのは無理で、もし学校でイジメなどを無くす責任があるなら、体罰を認めて「体罰のルール」を作ることができます。

私の感じでは、現在の日本社会の常識や日本文化から言って、「教師が口で言っても子どもが聞かなければ、携帯電話で警備員を呼ぶ」とか、「学生が実験でこぼした薬品をそのままにしたら、掃除のおばさんに来てもらって薬品を拭く」ということは賛成が得られません。

まだ日本文化はそれほどドライでは無く、またそれが日本の良いところと思います。

つまり、教育は先生が行うというのは日本文化の一つであり、それなりに愛情も育ちますし、素晴らしいことです。そしてスポーツでも、「お金のためにスポーツをする」という外国なら、体罰も入りませんが、柔道、剣道の伝統からいえば、スポーツはお金では無く道を究めるのですから、やはり何らかの体罰が必要かも知れません。すべて外国流が正しいのでしょうか?

たとえば、次のようなルールはどうでしょうか?

1) 子ども同士がいじめたり、暴力を振るったりしていたら、「力」でその子どもを学校の外につまみ出す(学校は暴力を振るったり、いじめたりするところではないから)。

2) 学校の中で未成年がタバコを吸っていたら、先生は力で取り上げ(私の経験では注意しても10人に2人は聞かない)、外につまみ出す。

3) 授業中に携帯、雑談、ゲームなどをしている子どもはつまみ出す。

4) つまみ出しが3回続いたら、保護者に連絡して引き取りに来てもらう。

5) チームプレーのスポーツで、キチンとした態度で練習をしなければ、つまみ出す、クラブ活動では3回、つまみ出した時点で「レッドカード」となり、退部にする。

このような方法が良いように思いますが、疑問もあります。「つまみだし方式」は日本流に言えば「教育の放棄」になり、教師としては抵抗があります。日本は単一民族ですから、他の国のように「ダメな奴はどこかに行け」という文化は無いのです。教師が苦しむのは「何とかしてあげたい」と思うからです。

私も日本人の教師なので、一応はつまみ出しても、やはり教育を放棄する気にはならず、かならずその学生を立派にしたいと思います。それが日本の教育でした。これは病気の治療もそうで、日本はお金持ちも貧乏人もほぼ等しく治療を受けられるシステムですが、アメリカは貧乏なら治療は受けられないという制度です。

最近のテレビのコメントを聞いていると、まるで「アメリカは素晴らしい」と言っているように思いますが、世界で学校が成功しているといえば日本です。日本で失敗しているのは学校の教育では無く、家庭と社会の教育なのです。

だから、「日本の教育の良いところを残す」ということを前提として、「体罰」というのを「必要だ」としないとルールを決められないので、前進しません。一度、体罰を正面から考えた方が良いと思うのです。

そして、現在の学校では修身を教えることはできませんから、礼儀、目上の人への尊敬、誠意、ウソをつかないなどは家庭の教育とする必要もあります。この際、日本社会で「ウソをつかずに真面目に教育の体罰を考える」ことをしてはどうでしょうか?

赤ちゃんにおしめはなぜ必要なのでしょうか? もともとウンコはトイレでするものですが、それを口で言っても理解できないか、できないからです。これと同じように18才になるまでの子どもは「言ってもできないこと」があることを認めることが大切です。その時に、どのようにするか「おしめを着けさせるのか」、「高校生のおしめとは何か」を考えなければならないと私は思います。

執筆: この記事は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年02月18日時点のものです。

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