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自国民に空爆してよい理由~安田純平の戦場サバイバル

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フリージャーナリストの安田純平さんがシリア取材や戦地取材にまつわる話を伝える連載です。
冒頭写真はシリアの西隣トリポリ市内で緑、白、黒の反シリア政府側の旗を掲げる反シリア政府住民の地区。(2012年6月5日)

自国民に空爆してよい理由

居候先のいつもはやんちゃな子どもたちが、その時だけは神妙な顔をして直立していた。訪ねてきた男性が「いい子にしていたか?」というようなことを言って頭をなでると、7歳の少年ははにかんだ顔をして頷いた。
母親も奥の台所から挨拶に出てきた。
普段ならそこまではしないが、今回は特別なようだった。この男性がシリア中部ラスタンに広大な土地を持つ大地主の当主であり、シリア政府軍と戦っている反政府側武装組織の部隊の一つを率いる隊長だからだ。

私が20キロほど南の町の、ある部隊の拠点となっている民家に滞在していたとき、たまたまこの隊長が部下数人をつれて訪ねてきた。
まずは全員で大部屋に入ったが、隊長だけは奥に通じるドアをノックして家人に挨拶をし、女性らも当然のように出てきて応対していた。反政府側の移動の中継地となっているこの拠点は人の出入りが激しいが、女性ら家人の姿が見えたのはこの時だけである。

地域の名士らしい態度と扱われ方だったが、この隊長は実は次男である。
もともと部隊を率いていた長男は2012年1月の戦闘で倒れ、政府軍に拘束されたままとなっている。この男性が暫定的に当主となったのはそれからだが、名士としてのふるまい方は次男であっても身に着けているようだった。

彼らの活動が、地域社会の中に広がりを持ったものなのだろうということが、彼らの立ち居振る舞いを日々眺める中で感じられた。当然ながら彼らには彼らの社会があり、秩序があり、暮らしがあったということ、半ば廃墟と化した街で生きている今もそれがあるのだということを実感した。

平時に旅行で訪れても見ることができるだろうごくありふれた日常の一コマ一コマが、戦時下の無残な光景とのコントラストによって、私の目にはより美しいものとして映った。その向こう側に、本来そこにあったはずの平穏で豊かな暮らしの情景を思い描けたとき、それを破壊し、あるいは守ろうとする戦いの場面を、リスクを負ってでも見たいという意思が湧いてくる。いずれも現場にいるからこそ触れることのできる世界である。

2004年4月にイラクを取材中、スパイ容疑で武装組織に拘束された際のことが思い出される。農家の一室に監禁された私たちを見物しに集まってきた子どもたち。食事やお茶を運んでくれたその家の少年は、客人を迎える際には末席に加わり、大人として扱われていることへの喜びを顔に浮かべていた。

「テロリスト」として米軍側が抹殺しようとしていたのは、そうした人々だった。米軍の爆撃機が低空飛行しているような場所で、言葉ではなく目の前のちょっとした光景の中からこれを確認できたことは非常に有意義な体験だった。

イラクでは、米軍そのものへの攻撃だけでなく、市場の爆破や一般市民の誘拐などが多発した。外国勢力も流入して反米側に武器や資金を注ぎ込んだ。
米軍側はこれらを全て「テロリスト」とみなし、疑いがあれば周囲の人間も含めて無条件で殺害する「対テロ戦争」を展開した。何をもって「テロリスト」とみなすかは、米軍側次第である。どれほどの凶悪犯であっても死刑にするには裁判を経由する必要があるが、「テロリスト」ならばそのような手続きは必要ない。

「テロリスト」は事実上、人間とはみなされていない。

シリア政府も国内で「対テロ戦争」を行なっている。
病院や学校、パン工場をあえて狙い、戦闘員かそうでないかなどは関係なく殺害している。
政府軍から攻撃しやすいような、地形的に反政府側が拠点を設けているとは考えにくい場所にも容赦なく砲撃を加え、一般市民が犠牲になっている。私自身も、現地を取材した他の記者も目撃していることだ。

政府支持者側は「反政府側も市民を殺している」と反論する。
シリア政府は外国記者をほとんど受け入れないため事実関係の確認は困難だが、そうした事例があればイラクで行われてきたような「対テロ戦争」を進めることが妥当なのか。その国の軍なのか外国軍なのかという違いはあるが、国家が戦闘機や戦車を使ってまでそこにいる人間を殺す行為は、自国民に対してならば許されるのか。

シリアでの5週間の滞在中、中部からに北部にかけて10都市ほどを回る中で、政府軍からの離反兵や一般人戦闘員、メディア担当者や医師などの非戦闘員ら、かなりの人数の人々に会った。反政府デモが始まってから1年以上がたっていた2012年7月の段階では、彼らが反政府側に参加している理由は「自国民を殺す政府は許せないから」でほぼ共通していた。反政府側への参加者が増えたのは、政府による反政府側への攻撃と摘発が苛烈を極めたからだ。
以前の政治はどうだったのか、という話をする段階ではなくなっている。

一方で、政府支持者の多いイスラム教アラウィ派やキリスト教徒ら少数派に不安はあるだろう。サダム政権崩壊後のイラクでは、政府の庇護を受けていたパレスチナ人や、キリスト教徒ら少数派への襲撃が相次いだ。戦闘機や戦車を使って非戦闘員まで巻き込んでまでも武力で鎮圧すべきだと考えている人もいるかもしれない。イラクで人道支援活動をしてきたような日本人の中にも、そうした政府の対応を批判しない人は少なくない。

今、政府側支配地域にいる少数派の住民はどのような暮らしをして、何を思っているのだろうか。
政府軍が行なっているような軍事作戦をやむを得ないものと思うほどのことが起こっているのだろうか。
ネット情報や電話取材だけで結論をだしてしまってよいのだろうか。

シリア滞在中、山の斜面に光るアラウィ派集落の灯りを見ながら、すぐそこにあるにもかかわらず行く事すら出来ないことのもどかしさを感じた。
そこに行かなければ分からないものがあるのではないか。しかし、そこへたどり着く手段が今にいたっても自分には見つかっていない。

【写真説明】
(写真1)シリアの西隣トリポリ市内で緑、白、黒の反シリア政府側の旗を掲げる反シリア政府住民の地区。トリポリ市内でも反シリア、親シリア住民の武力衝突が起こっている=2012年6月5日
(写真2)トリポリ市内にあるイスラム教アラウィ派の住む地区。バッシャール・アサド大統領と父の故ハーフェズ元大統領、シリア政府を支援しているレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラのハッサン・ナスラッラ師の顔写真と、赤、白、黒のシリア政府の旗が掲げられている=2012年12月30日 6月10日

安田純平(やすだじゅんぺい) フリージャーナリスト

1974年生。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』
https://twitter.com/YASUDAjumpei [リンク]

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記者:

1974年生フリージャーナリスト。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』

ウェブサイト: http://jumpei.net/

TwitterID: YASUDAjumpei

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