東大大学院→任天堂→個人開発者兼シェアハウス管理人という生き方 ”無謀者”の本音を聞いてみた

「”Life is a series of choices(人生は選択の連続)”という英語のフレーズがあります。仮にあなたが任天堂に入社したとします。10年後、あなたは転職または起業しますか?」

参考までに、任天堂は”新入社員の定着率が高い会社”の第5位にランクインしています。

就活生注目!3年後離職率が低いトップ200社(東洋経済オンライン)
http://toyokeizai.net/articles/-/150991?page=3[リンク]

任天堂の離職率が低いとはいえ、冒頭の質問に対する答えは人それぞれでしょう。元任天堂社員の渡部健氏(以下、渡部氏)は、転職でも起業でもなく、スマホ向けゲームアプリの個人開発とシェアハウスの管理人という一風変わった選択肢を選びました。渡部氏は2005年に東京大学大学院を卒業後、任天堂に入社。10年間の任天堂勤務後、2015年に任天堂を退職しイギリスへと語学留学。語学留学終了後、世界半周旅行へと出発。2016年の日本帰国後、個人でゲームアプリ開発及びシェアハウスの管理人を開始、というのが略歴です。そんな”無謀者(自由人にも変換可能)”の匂いが漂う渡部氏の本音を探るべく、いろいろと話を聞いてみました。

―任天堂を退職してまで、個人でのゲームアプリ開発やシェアハウスの管理人を始めたきっかけについて教えてください。

渡部氏:色々と理由がありまして、何か1つ大きなきっかけがあったというわけではありません。1つには環境を変えたかったというのがあります。会社に10年務めるうちに、5年後はだいたいこんな事してるんだろうな、10年後はこんなだろうなとだいたい先が想像できるようになってしまいました。それに対して少し退屈に感じていたので辞めることにしました。

ゲーム開発に関しては会社にいると自分のアイディアだけで1本ゲームを作るのは難しいですし、開発の指揮をとれるようになる人はごく少数です。個人でゲーム開発をすれば、自分でやりたいようにできるというのが魅力で始めました。またコンソールゲームだと完成までに短くても1年、長いと数年は掛かってしまいます。物事を習得するのにはPDCAサイクルを繰り返していくことが重要だと思うのですが、開発期間が長くなるとPDCAサイクルを回せる回数が少なくなってしまいます。ゲーム開発者としてのスキルアップのためには、短いスパンでゲームをたくさん作ったほうが得だと思ったのも個人開発を始めた理由の1つです。

もちろん会社を辞めて個人でゲーム開発をすることに不安がなかったわけではありません。しかし、自分の友人達で会社を辞めて色んな事にチャレンジする人を見ていたら不安は薄らぎました。そういう人達って、金銭的収入が不安定でも人的資産が多くて、多くの人に助けられながら幸せに生きているんですね。人的資産さえあれば、金銭的に不安定でもなんとか生きていけるんだなぁと感じて、勇気づけられたというのがあります。

シェアハウスに関しては、もともと私は個人でゲーム開発をしていると人と会う機会が少なくて鬱になりそうだったのでシェアハウスに住んでいました。それが快適だったので自分でも始めてみようかなと思っていたところ、たまたま良い物件が見つかったので始めました。場所を京都にしたのは、京都で10年働いていたので京都に友人知人が多かったこと、その当時京都にはギークハウスがなかったからです。

―20~30代の人に「東大大学院から任天堂に入社したとします。10年後にあなたは転職しますか?」という質問を投げると大多数の人がノーと言うのではないかと思います。イエスと答える少数派に対してなにかアドバイスはありますか?

渡部氏:自分が何をするのが好きなのかということと、何をしているときが自分のポテンシャルを一番発揮できるのか? というのを考えるのが良いと思います。自分が楽しく簡単にできることで他人が幸せになってくれるのが一番幸せなことだと思うので。なんか楽しくないとか、もっと楽して他人を幸せにできる方法があるって感じたら会社を辞めるなり、何か変化を求めるのが良いと思います。けど、まあ、何が自分に向いているかって、色々経験しないと分からないので、ちょっと会社辞めてみて、駄目だったら頭下げて出戻りするってのもありなのかなぁって思います。

―任天堂退社後、イギリス留学や世界半周旅行にいかれていますが、海外へ飛びだしたきっかけと得たものは何だったのでしょうか?

渡部氏:もともとイギリスに行ったのはイギリスに憧れがあったからなんですが、行ってみた後は行く前よりもちょっとイギリス熱が下がりましたね。やっぱり日本って清潔だし、ご飯が美味しいし、良いなぁと。世界半周旅行に行った理由は3点。1つめは、今後、世界一周旅行したことのある人と話す機会が会った時にマウントを取られるのも嫌だったこと、2つめは何となく成長とかできそうと思ったこと、そして最後に会社を辞めて時間があったことです。実際、帰国してみてそれなりの成長はあったんだと思うんですけど、友人からは変わらないねって言われます(笑)。友人曰く、僕はミュージカルに参加していた時が一番成長があったらしいです。じゃあ、国内で良いじゃんと。ちょっと残念でしたね。

―「東大大学院→任天堂在籍10年」というキャリアがあればあちこちから引く手あまただと思います。任天堂退職時には他社へ転職するつもりはあったのでしょうか?

渡部氏:欧米のゲーム会社に行ってみたいなというのもあったんですけど、海外の会社に対してのアプローチの仕方がわからなかったのと、一度働き出すとある程度の長く勤務しないと申し訳ない、そうすると個人でゲーム開発をできるようになるのが遠くなってしまうということでやめておきました。

―任天堂の給与は高いと世間では思われていますが、ゲームアプリ開発とシェアハウスの運営で得ている月収は任天堂時代と比較するとどの程度になるのでしょうか?

渡部氏:ゲームアプリ開発の収入って変動が激しくて、なかなかどれくらいと言うのは難しいですね。『Solokus(以下、ソロックス)』を出すまでは、出すアプリ出すアプリ鳴かず飛ばずだし、シェアハウスの住人もいなくて赤字続きだったんですが、『ソロックス』を出してからは何とか暮らしていけてます。今はシェアハウスにも2人住人がいますし、『ソロックス』もまだまだ稼いでくれているので、任天堂で働いてた時の給与のボーナスなしバージョンぐらいですかねぇ。今のほうが会社員のときより税制面で有利な点が多いので、トータルの収入ではそんなに変わらないかもです。

Solokus – ソロックス AppStore
https://itunes.apple.com/jp/app/solokus-%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/id1180479583?mt=8[リンク]

Solokus – ソロックス Google Play
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.waken.Solokus&hl=ja[リンク]

―『ソロックス』や『エコノミシティ』は、そこはかとなく任天堂の香りが漂います。微香といった感じですが、やはりDNA的に任天堂で培われたものが自然とでてきてしまうものなのでしょうか?

渡部氏:そのように感じてもらえて凄く嬉しいです。会社を辞めてみて、他のクリエイターの方々と話をすると任天堂で学んだことは本当に多いのだなと感じます。私は任天堂ではプログラマーだったのですが、いちプログラマーでもゲームの作り方のDNAというのが気づかないうちに染み込んでいたのだなぁと感じます。辞めた今になって、こんなに多くの影響を受けていたのかと驚いています。「こうやってゲームを作るんだよ」と丁寧に教えてもらっていたわけではないんですが、日々の仕事や、社員同士の雑談の中で徐々にDNAが浸透していっていたんだなぁと感じます。

街づくりパズル エコノミシティ – Economicity – AppStore
https://itunes.apple.com/jp/app/%E8%A1%97%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%83%91%E3%82%BA%E3%83%AB-%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3-economicity/id1232222574?mt=8[リンク]

街づくりパズル エコノミシティ -Economicity- Google Play
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.waken.Economicity&hl=ja[リンク]

―シェアハウスを京都で始めた理由について詳しく教えていただけますか?

渡部氏:先ほどもちょっと触れましたが、京都にはゲーム会社を含めIT系の会社が多いわりに、ギークハウスがなかったので需要があるのではないかと始めました。あとは任天堂時代の友人も多く、一緒に遊んだり仕事したりできるというのもあります。

―『ギークハウス京都東福寺』は”ゲームクリエイターの集まるシェアハウス”ということですが、入居すると開発者にとってどんなメリットがあるのでしょうか?

渡部氏:”ゲームクリエイターの集まるシェアハウス”と銘打っているものの、なかなか集まらず苦労しています(笑)。先ほども述べたように任天堂で10年働いていたのでゲームづくりのノウハウはある程度お伝えすることができます。もちろんプログラマーなのでプログラムに関しても教えることができます。あとは、1年ぐらい個人でゲームを開発してきたので、リリース時に躓きやすい点を教えてあげたり、リリース後の宣伝方法、マネタイズのコツとかの情報をシェアすることができます。うちならテストプレイヤーにも困りません。あと一緒にゲームできる仲間がいるので、対戦ゲームなども遊んで研究しやすいですし、何より楽しいです。ゲームクリエイターが本職じゃなくてもゲームをつくってみたい社会人や学生が来てくれると凄くうれしいです。

『ギークハウス京都東福寺』
https://geektfkj.blogspot.jp/[リンク]

―現在の渡部さんを知っている任天堂在籍時の上司・同僚・先輩・後輩からはどういった言葉をかけられますか?

渡部氏:「頑張ってね!」「いくら儲かってんの?」「儲かったら飯奢って!」など、ありがたいお言葉を沢山もらいます(笑)。ビットサミットのときにも沢山の元同僚・先輩・後輩に来て頂き、本当に幸せでした。それ以外にも、一緒に温泉に行ったり、家に遊びに来てもらったり、今でも本当に良くしてもらってます。

―ビットサミットにはガジェット通信もアワードを設けていましたが、残念ながら『ソロックス』は選外でした。ガジェット通信に文句の一つでもありませんか?

渡部氏:ガジェット通信さん、いつも面白い記事を提供して頂きありがとうございます! ガジェット通信さんには感謝しかありません! そういうわけなので来年こそはよろしくお願いします(笑)。というのは冗談で、自分はゲームクリエイターとしてはまだまだひよっこなので、アワード受賞なんて恐れ多いです!受賞にふさわしいゲームが作れるよう精進していきます!

―ゲームアプリ開発者とシェアハウス管理人という二足のわらじを履かれていますが、三足目を履くご予定は?

渡部氏:特に今のところ予定は無いですが、社交ダンスとストリートダンスを長いことやっていて、最近練習できていないので、ダンスは何かしたいですね。あと、たこ焼きが好きなので、人生のどこかでたこ焼き屋のバイトをしたいです。

―任天堂を退社する際ご家族・恋人・ご両親などからの猛反対はありませんでしたか?

渡部氏:両親は「あぁ、そう、頑張ってね」的な感じでした。本当によくできた親で感謝しています!恋人は、そんなに強く反対ってわけではないですが「もしかして疲れてるんじゃない?考え直したほうが良いんじゃない?」と心配して言ってくれました。その直後に色々あって別れちゃったんですけど。

―任天堂を退社して個人ゲーム開発者兼シェアハウス管理人となった渡部さんは、世間的には”無謀者”に映るかもしれません。”無謀者”に後悔はありませんか?

渡部氏:自分では、そんなに無謀なことをしたつもりはないんですが(笑)。会社辞めてから今まで、楽しいこと、嬉しいことが、本当にいっぱいあったので後悔はないですね。けど、今でも数ヶ月に一度会社に行っている夢を見るので本能的には後悔しているのかも(笑)。

―”無謀者”の10年後の自分の未来予想図を教えていただけますか?

渡部氏:まず、お嫁さんと子どもがいて幸せな家庭を築いていたいです! 10人ぐらいの小さな会社を運営して、数人ごとにチームを組ませて4ラインぐらい同時にゲームを開発。そのなかから1年に1本ぐらい世界的なヒット作がでる、という状況になっていたいなと思います。あとガジェット通信のアワードを受賞していたいですね(笑)。けど、人生にランダム性があることが理想なので、この未来予想図に全然沿っていないことを期待しています(笑)。

―東大や任天堂在籍時の上司・同僚・先輩・後輩の中にも渡部さんのような”無謀者”は他にもいらっしゃいますか?

渡部氏:サラリーマンという道を途中で辞めた方はそれなりにいますね。任天堂時代の同期で仲の良かった人でも、数人は起業したりフリーランスでやってたりします。ソロックスやエコノミシティでデザインをお願いしたイラストレーターのことりさんや、音楽をお願いしたコンポーザーの椎葉さんもサラリーマンという安定した立場を捨てた方々です。最近も1人起業するために辞めた友達がいます。

―ありがとうございました。

(C) waken

※画像:渡部氏提供

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