人材開発の専門家が語る「人の器」の広げ方と「能力」の伸ばし方
能力開発や人材育成は、個人にとっても組織にとっても関心のあるテーマだろう。
自分の能力やスキルを伸ばせば人生の可能性は高まり、スタッフの育成は企業の業績に直結する。しかし、私たちはしばしば伸び悩み、企業は人材育成に失敗する。
この原因はどんなところにあるのか。『成人発達理論による能力の成長』(日本能率協会マネジメントセンター刊)の著者であり、オランダ・フローニンゲン大学で知性発達科学を研究する加藤洋平さんにお話をうかがった。
(新刊JP編集部)
■「人としての器」を大きくするための大切な取り組み
――『成人発達理論による能力の成長』についてお話をうかがいたいのですが、まずは加藤さんの普段の活動について教えていただきたいです。
加藤:基本的には二つのことに従事しています。一つは、オランダのフローニンゲン大学での研究者、学者としての仕事です。そこでは、この本で紹介しているような、人間の能力の発達に関する科学的な研究をしています。
もう一つは、日本の企業を相手にしたコンサルティングです。発達科学の知見に基づいた人材開発コンサルティングや成長支援コンサルティングを提供しており、これは前職の経営コンサルタント時代の経験が役立っています。
――元々は経営コンサルタントだったんですね。どうして能力開発の分野に進まれたんですか?
加藤:最初のキャリアは、国際税務コンサルタントでした。日々の仕事は、企業の財務諸表の分析と国際税務の調査が中心であり、数字と法律の観点から日本の多国籍企業に寄与する仕事を行なっていました。しかしある時、企業を見る目が数字と法律だけに偏っている自分に気づき、企業の中で働く人の心理や価値観を全くわかっていないことに気がついたんです。そこから、人間の心理をより深く理解したいと思うようになったというのがあります。
――能力の開発ということでいうと、同じだけのことをやっていても、伸びていく人とそうでない人がいます。両者の違いはどんなところにあるのでしょうか。
加藤:違いの一つは、自身の能力レベルと課題設定の見極めだと思います。私たちの能力と、自分が取り組む課題の難易度に乖離がありすぎると、成長に結びつきにくいんです。逆に、どんどん成長していける人というのは、自分の現状の能力の見極めが上手な人とも言えます。
そこを正確に把握した上で課題を設定することで、自分の能力と比べてあまりに課題の難易度が高すぎたり、低すぎたりといったミスマッチを防ぐことができます。能力を伸ばし続けられる人の特徴は、自身の能力レベルの見極めと課題設定が巧みなことにあるのではないかと思います。
――となると、どんな分野であれ、自分の能力を正確に把握することが成長へのカギになりそうですが、これはとても難しいことだと思います。
加藤:おっしゃる通りで、人間がどのように発達し、成長するのかという枠組みを学んでいないと、自分の能力を見極めるというのはなかなかできません。
能力の見極めに関して、感覚的なもの、本能的なものをあてにするのもあながち間違ってはいないんです。単純に「これは自分には手に負えないな」と思う課題もあるでしょうし、「ちょっとがんばればできそうだな」と思うものもあるはずです。そうした感覚に注意を払うというのも大事なことです。
そこから一歩進めて、この本で紹介しているような、能力の成長のプロセスやメカニズムをしっかりと学んでいくことが理想的です。感覚的な部分と原理的な部分の両面から、自分のレベルを測っていくのが望ましい方法だと思います。
――「器」と「能力」について書かれた箇所は思い当たるところが多かったです。この二つは成長のための両輪という印象を受けましたが、両者のバランスが悪いとどんなことが起こりますか?
加藤:どんなことについてであれ「器」と「能力」が成長のための両輪なのはまちがいありません。ただし、両者のバランスが悪いことそのものは、その人の個性とみなすこともでき、それほど問題ではないんです。人格や性格など「人間の器」には疑問符がつくけれど、芸術的な能力は傑出していて、そちらの方面で活躍されている人もいるわけですから。
問題は、「器」と「能力」のバランスが悪い人を、周りがどう見なすか、という点だと思います。例を出すなら、能力はさほどではなくても、器が成熟している人というのは、能力まで高く見積もられがちです。一方、個別具体的な能力が高い人というのは、器まで大きく見積もられやすいんです。
バランスの悪さそのものよりも、周囲の人のバイアスのせいで、その人の器や能力が正当に評価されないことのほうに問題があるように思います。
――「器」というのはどのように大きくしていけばいいのでしょうか。
加藤:これは本当に難しいことで、唯一の方法はありません。ただし、重要な点は、私たちは異質な存在と絶えず向き合うことによって成長する、ということです。異質な存在というのは、分野の異なる人であったり、これまで自分が取り組んだことのない課題やプロジェクトであったりします。私たちは、そうした異質な存在と出会う時に、自己の器を広げていきます。ですので、異質な存在を避けるのではなく、それらと積極的に向き合っていくような取り組みに従事することが大切です。
――また、人の能力というものが絶対的なものではなく、与えられた課題や環境に依存するという考え方は、納得する一方で斬新でした。
加藤:私たちの能力は、課題や環境に左右されるという特徴を持っているからこそ、能力をうまく発揮していくためには、いかに与えられた課題や置かれている環境に柔軟に対応していくかが大切になります。
では、柔軟に対応するにはどうすればいいかというと、一つは先ほど申し上げた、自分にはどんな能力が備わっており、それらはどのレベルにあるのかを知ることです。そして、自分に与えられた課題の種類とそのレベルを見極める眼を持つことが大事になります。
さらには、自分の置かれた環境の中で、そこにいる人たちと協働することも大切になります。一人で課題に立ち向かうのではなく、周りにいる他者と対話をしながら課題に取り組んでいくことで、柔軟性は養われていくと思います。
これは、マネジメント層の人にも実践していただきたいことですが、たとえば自分の職場に新しい人が入ってきたら、適切な課題や支援を与えるために、ゆくゆくはチームとしての成果をあげるために、対話を通じながら、その人の能力と個性を見極めることを行っていただければと思います。
――となると、社外でのコミュニケーションも必要なのでしょうか。
加藤:かならずしも飲みに誘って話せということではないですし、会議室で30分や1時間話せということでもありません。
人間は普遍的に承認欲求を持っていて、自分の仕事がどう評価されるか、自分が周囲からどう見られているかといったことは世代問わず誰もが気になるものです。
必要とされるのは、そうした承認欲求を満たす言葉がけであり、社内ですれ違った時にひと言二言声をかけてあげるだけでいいと思うんです。これも立派な成長支援のあり方です。
−−人材育成や能力開発は、企業の取り組みとして盛んに行われていますが、現状のそういった取り組みの問題点を挙げるとしたらどんな点でしょうか。
加藤:現在の教育にせよ、企業の人材育成・能力開発にせよ、それらが資本主義経済の発想の枠組みの中で行われているというのは、忘れてはいけない点です。
そうした発想の枠組みの中で行われる人材育成や能力開発は、成長を急がせることや、生産性向上の名の下に、量的な成長ばかりを求める傾向があります。よく見られるのは、2、3日の研修で人を成長させようとするようなプログラムです。
確かに、傾聴する姿勢を身につけることや、マネジメントのあり方への理解力を高めるといった、個別具体的な能力を伸ばす「ミクロな成長」であれば、2、3日の研修でそれなりの効果を得ることができます。しかし、それらの能力が真に獲得されるためには、つまり「マクロな成長」が起こるためには、それらの研修はより長期的な視野を持つプログラムに組み込まれる必要があります。
長期的な視野で人材育成に取り組むという発想が、多くの企業の人材開発に欠けていることは大きな問題点だと思っています。
――資本主義経済で活躍できる人間を育成するための教育ですから、やむを得ないことのような気もします。
加藤:確かにそうです。しかし、教育の目的に「資本主義経済で活躍できる人間を育成するための」という前提条件を設けることがそもそもおかしいのです。資本主義経済で活躍できることを前提とした教育には、「量的な拡大」や「効率性」を追求することを強く促す発想が支配的です。そもそも、私たちの成長は、単純な量的拡大ではなく、質的な深さを伴うという点を忘れてはいけません。そして、そうした質的成長というのは、効率的に実現されるようなものではないのです。そのため、そのような前提に立脚した教育では、真の成長、つまり質的な成長が実現されることは難しいでしょう。
――こうした傾向は日本に限らないのでしょうか。
加藤:今世界の主流になっている金融資本主義は、とても強力な価値観と仕組みを持っているため、日本に限らず欧米などでもこの傾向はみられます。
ただし、少しずつではあるのですが、この問題の本質をわかっている教育者や研究者が徐々に増えてきているように思います。
(後編に続く)
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