先の見込みがない日本と日本の電子書籍の未来を明るくする、たったひとつの方法

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今回は永江一石さんのブログ『More Access,More Fun!』からご寄稿いただきました。

先の見込みがない日本と日本の電子書籍の未来を明るくする、たったひとつの方法

「アマゾンが本格的に『Kindle』を日本語化して年内にも日本の電子書籍業界に参入」と聞いて、戦々恐々の出版業界人も多いことだろうが、安心していい。アマゾンが参入しようがどうしようが、日本の電子書籍はたいして盛り上がらない。長期的に見たらどうせ衰退するのは目に見えているからだ。アマゾンが本格参入して一時的にビジネス本の電子書籍は売れるようになるだろうが、10年、20年の長いスパンでは必ず日本の書籍出版(印刷と電子含めて)のマーケットはどんどん小さくなると断言する。

インプレスはこのグラフのように[リンク]日本の電子書籍のマーケットが大きくなっていくと予想しているが、非常に脳天気ではないか。電子書籍のマーケットは多少拡大しても、印刷物の書籍のマーケットがこれ以上に小さくなって、全体としては出版業界はけっして上向きにならないだろう。日本で電子書籍が売れてないのはもちろん規格の統一が進んでなかったり、端末がバラバラだったりすることもあるが、そんなことより書籍マーケット全体が急激に縮小していることにもっと気づけといいたい。出版界は現実から目をそらしすぎだ!

先の見込みがない日本と日本の電子書籍の未来を明るくする、たったひとつの方法

それはなぜかっていうと、文化の衰退期に入っている日本では、子どもの頃から“本を読む”という習慣がほとんど消失しかかっているからだ。現在日本で電子書籍は500億円くらいしか売れていないのだが、その90%が携帯経由。そして80%はコミックで、その80%がボーイズラブやティーンズラブ……(呆)。
つまり、日本で売れてる電子書籍はバカ系ばっかりなのだ……
※いい方がきつかったらごめんなさいとはあえて書かない

日本はいま、一億総バカ体制に向かって突き進んでいる。テレビではバカドルが“限界を超えた無知”ということを全く恥ずかしく思わず、それを見ている視聴者も“可愛い”というおかしな感覚を持つ。前にも書いたが“無知は罪”だと自分は思っている。無知故に強者にカモられ、偽情報に振り回されてヒステリーになっている人は、いまや日本に大勢いる。

ゆとり教育がいけないとか、日教組のせいだとか、国家の絶頂期から衰退期に向かうときにはみんなこうとか、ほかに楽しいことがあるとか、いろいろな見方があるだろうが、その大きな原因に学童期(小~高校生まで)の読書比率が大きく下がっていることが絶対にあると思う。我々の子供の時代には教育熱心な家の子ども部屋には本棚があり、文学全集や百科事典が入っていた。「勉強しなさい」って言われて部屋に入って勉強しないで本を読む。うちにも少年少女文学全集と岩波の世界文学全集で合計数百冊あり、高校時代にほとんど読破した。モーパッサンやモーム、トマス・ハーディやトルストイ、ほとんど読んだ。浪人している時も勉強しているふりして本ばかり読んでいた。おかげで大学受験で現国なんて全く勉強しなかったが、理科系なのに現国だけはずっと偏差値70くらい……。駿台模試で現国のみ一桁順位になったことが数回ある(ただし肝心の受験勉強はほとんどせずに本ばかり読んで、あとは名画座で1年で50本も映画見ていたので成績は全然上がらず)。

もちろん漫画も読んだ。小学校の時の手塚治虫の『火の鳥』から始まり、社会人になってもほとんどの有名なのは読み尽くしている。ライブドア時代の同僚(後輩の若手)には、「漫画配給マシン」と言われていた。毎日通勤時に二冊のコミック誌を買ってみんなにあげていたから。とにかく速読なので片道1時間だと漫画×2冊+週刊誌1冊が必要なのだ。すごい出費だった。
しかし、個人的な意見かもしれないが、漫画はいくら読んでも想像力が付かない。アニメもそう。映画もそうだ。テキストで読んで頭の中で情景を想像することで想像力が付くのだ。言葉の端々で登場者の表情も想像する。しかしそもそも絵になってしまっているのであれば、怒っているのか困っているのか、見るだけで分かる。つまり全く想像しなくても読むことができる。これでは想像力は付かない。最近の若者がよく言われる「想像力がない」っていうのはこれが原因じゃないかと自分は思っている。

※漫画でも想像力が付くといってる人は多いが、この“想像力”っていうのは、テキストから情景を考える想像力のことだ。たとえばこの発言をしたってことは彼は怒っているのだろうか、と考えるが、漫画なら怒っているのか困っているのか絵を見たら分かるでしょう? たとえばそういうことです。また、漫画は語彙が少なく中学生以下でもわかるような言葉しか使わないから、漢字や熟語にはほとんど出会えないで日本人としての語彙が減っていく。そして“超巨大戦艦”が文中に出たときは子どもながらに必死に考えたり絵を描いたりしたモノだが……漫画だとまんま出てくるから想像もいらないでしょう? 漫画を読むなと言ってるんじゃない。漫画だって映画だって文化です。漫画だけ読むなと言ってるわけです。

よく、「ネットで検索できるから本は読まなくていい」という人もいるが、ネットで調べ物を検索しても想像力は付かないですよ!?
商品開発力=消費者が何を求めているかを想像する力
なわけで、このままではどんどん日本の競争力は落ちていくこと間違いなし。

で、子どもができたり、知り合いに子どもが生まれたりしたときに、「そうだ、絵本をプレゼントしよう」と考えてそこそこ大きな本屋(紀伊國屋とかじゃなくて駅前のテナントとかTSUTAYAね)にいったあなたは、たぶんびっくりするはずだ。かなり大きな本屋でも、児童書のコーナーに本がほとんどない!! 幼稚園の時に読んだ『いやいやえん』も、小学校1年の時にあれほどはまって親に泣きついて13巻買ってもらった『ドリトル先生』もないからロンドン雀のチープサイドにも出会えない。自分が小学校低学年の頃、新潟の地方都市にいたのであるが、近所の小さな本屋に通って立ち読みばかりしていた。漫画はガロしか置いてなくてあとは本。店主が親切で椅子を出してくれたりおやつを出してくれた。小さな本屋だったが、本屋さんだって生活があるから、必然的にいまなら漫画だけで本は置いてるスペースがないと思う。特に子どもの居住地域の近くにある小さめの本屋さんの本棚は漫画ばっかりだ。

データによると児童書マーケットは1998年までにがっぽり落ち込んで底を打ち、それからはずっとかわらず安定だそうです。

聞けばそもそも1983年から『世界文学全集』っていうもの自体が出版されてないのだそうだ。家にあったものは原訳に近かったので小学生の時はほぼ無理で、読み出したのは高校生の時。全百数十巻あった記憶があり、部屋の壁はこれで埋まっていた。うちだけが特殊なわけではなく、昔の家にはこの“全集”っていうのが結構あった。まとめて買うのじゃなくて一冊ずつ毎月本屋が届けてくる。

現在の日本の状況……
売れないから本屋は児童書を置かない。漫画ばかり置く

子どもに本を買いたくても本がないから図書館で借りる。子ども部屋に本がなくなる

中学生になると図書館なんて恥ずかしいから行かなくなる。部屋には本がないので本を読む習慣がなくなる。

年齢を重ねると本がある生活から極端に遠のく

※Twitterみてると「そんなことはない、いまの子どもはとても本を読む」っていうレスがけっこうある。たぶんこういうこと考えてる人って30年、40年前の子供がどれくらい本を読んでいたか知らないに違いない。または小学生しか見ていないかだ。文部科学省*1 によると、平成14年5月に行われた調査(社団法人全国学校図書館協議会*2 による)によれば、児童生徒の1か月の平均読書冊数は、小学生が7.5冊、中学生が2.5冊、高校生が1.5冊、また、1冊も読まなかった子どもたちの割合は小学生9%、中学生33%、高校生56%となっており、中学校以降極端に読書量が減少しています。(小学校のときは図書館があってまだ読むが、中学以降はそもそも部屋に本がないから読む機会を消失する)
また、平成12年に行われた経済協力開発機構(OECD)生徒の学習到達度調査によれば、「趣味としての読書をしない」と答えた生徒は、OECD平均では31.7%ですが、日本では55%となっており、「どうしても読まなければならないときしか、本は読まない」と答えた生徒は、OECD平均では12.6%であるが、日本では22%となっています。

*1:「子どもの読書活動推進ホームページ」『文部科学省』
http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/dokusyo/suisin/index.htm

*2:『社団法人 全国学校図書館協議会』
http://www.j-sla.or.jp/


読書の習慣がないから、大人になっても本も雑誌も新聞も売れない
読書習慣がいったん消失した人間が、電子化されたからって本を買うか?
自信を持って断言するけど、絶対買わない!!

いま電子書籍(漫画やレディースコミックを除く)を買っている人というのは、少なくとも既存の読書習慣が少なからずある人だと思う。年齢層もそこそこ高いだろう。しかしいまの子どもたちがどんどん年齢が上がってくる数年後、数十年後には、日本には読書の習慣さえなくなる。電子書籍もへったくれもない。日本人総バカ時代が確実にやってきているのである。

ではどうするか。

コストをほとんどかけずにすぐできることがひとつだけある。
『青空文庫』*3 というのをご存じだろうか。 著作権の消失した明治から昭和初期の作品と、作家が「自由に読んでもらってもいいよ」という作品をボランティアの手によってデータ化し、誰でも無料で読むことができるサービスである。まったく本当にこういう活動をされている方には頭が下がる。自分がiPhoneを買ったとき、真っ先に活用したのがこのデータが読める『i文庫』というアプリで、こどもの頃に読んだ宝島やオー・ヘンリー、ディケンズ、ドストエフスキーなど大量にダウンロードして利用させていただいている。テキストデータなので非常に軽い。すでに掲載作品数は1万点を超えている

*3:『青空文庫』
http://www.aozora.gr.jp/

これを積極的に活用させていただけばいいのだ。ただ、旧仮名遣いのものは子ども用には編集し直す必要があると思うが……。

文部科学省はちゃんと補助金を付ける。『青空文庫』を敵視している出版業界だって、日本人の魂があるならお金を払うべきだ。自分たちの文庫本が売れなくなるとかセコイこと考えている場合ではない。日本から読書の習慣がなくなくなろうとしているときに既得権得もへったくれもないですよ。どうせ『青空文庫』にはいってるような昔の硬い本は全く売れてないだろうし、畑は耕して種まいてはじめて収穫できるものです。田んぼが日照りでひび割れてるのに種籾確保したってしかたないでしょう。10年のサイクルで考えれば作家だって出版社だって十分メリットあります。

『青空文庫』のサイトによると、現在はバナー広告による収入、取材謝礼、個人からの寄付に加えて、以下から財政支援を受けているそうだ。アスキー、トヨタ財団、日立製作所サービス事業部、マイクロソフト調布技術センターIMEチームだけ……。日本の文化を支えようとしているのにこのわずかな資金だけでやっているのだ。寄付金をカードやPaypalで支払えるようにしてもらえれば自分もわずかながら寄付できるのだが、記載がなくてさっぱりわからないのも何とかしてもらえれば……。

で、ここからが本題です。

『コドモダケ』、ガラケー、スマートフォン、タブレット、プレイステーション、『ニンテンドー3DS』、らくらくホンすべてのモバイル端末やゲーム機に、この蔵書をプリインストールさせる。行政指導でいいからさせる。別に入ってる分には読みたくなければ読まなきゃいいだけなので誰も反対しないはず。当然、メーカーさんは寄付金を青空文庫に支払っていただきますが、TVCFに比べたら鼻くそである。このお金があれば児童書向きに旧仮名遣いの名作を書き換えてもらえるかもしれないじゃないか。そうしたら『3DS』片手にゲームばっかりやってるクソガキだって、本を読み始めるかもしれないじゃないか。こういうブログ書くと必ず「自分は読まないな」なんてことを言う人がいると思うが、あなたには期待してませんので別にいいです。全員は読まないだろうが、読める環境が必要なのです。本が手元にある環境ですよ。

『コドモダケ』には中学生までが対象の全巻。たぶん3000冊くらいだろうが、これくらいなら楽勝ではいる。専用のブラウザも開発する。本が身近にある環境であれば、10人に数人くらいなら携帯ゲームで暇つぶしするのに飽きたら、本を読んでみようと思う人も出始める。もちろん全員じゃなくていい。10人のうち、数人でいいのだ。読んでみたら意外と面白い、と読み進む人も絶対でる。読書の習慣さえつけば、電子書籍も“お金を払って”買うようになるし、なにより日本の国力が上がる。

著作権が切れていなくたって、心ある作家は自分の作品を無償で公開してほしい。作家である以上、読んでもらうために作品を記したわけで、読んでもらえなければ意味がない。片岡義男氏はじめ、何人かの方は無償で公開してらっしゃるが、自炊反対運動されているなら賞味期限が切れた自分の作品を提供する運動があってもいいんじゃないかと思う。

だれかこの運動、やっていただけないものでしょうかね?
その前に心あるWEBデザイナーさんに、『青空文庫』のサイトのデザインと視認性をなんとかしていただけたらとは思いますが……。

執筆: この記事は永江一石さんのブログ『More Access,More Fun!』からご寄稿いただきました。

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