『帰ってきたヒトラー』を“職業ドイツ人”マライ・メントラインさんはどう見た? 「ホンモノな問題提起」

マライ・メントライン

アドルフ・ヒトラー本人が現代によみがえったらどうなるか? そんな奇想天外な小説、ティムール・ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー』(河出文庫)は全世界で大ベストセラーになり、ついに映画化され、日本でも現在公開中です。笑っていいのか怖がるべきなのか、ある意味禁断の問題作ともいえる『帰ってきたヒトラー』。原作と映画両方について、NHKドイツ語講座でもおなじみの、“職業ドイツ人”マライ・メントラインさんにお話を伺いました。

【あらすじ】
1945年に自殺したはずのアドルフ・ヒトラーがよみがえった。しかも2011年のベルリン郊外に! 彼をそっくりさんのコメディアンだと思い込んだ周囲の人々が、TV番組に出演させたところ、思わぬ反響でたちまち大人気を博すが……。

帰ってきたヒトラー

―2012年に原作が出版された時、ドイツ国内ではどういう反応だったのでしょうか?

マライ・メントラインさん(以下マライ):全ドイツ人、当初、ちゃんと中身を確認する前に「えらいネタを投下したものだ!」という、いわば入り口の手前で大騒ぎしていた印象があります。その後次第に、「いやこれは単なるコメディではない!」「実際読んでみるとなかなかイケてるぞ!」という意見が出てくる一方、「そうは言っても根本的に不謹慎だろ……」という守旧的な立場から冷や水を浴びせられる、という循環パターンが生じました。それがどんどん拡大し、おもいっきり社会現象化して、マスコミで討論特集が組まれるまでに至ったのです。

―フィクションでそこまで大きな反響を呼ぶというのはすごいですね。

マライ:ナチス問題の中でもヒトラーはやはり別格の存在で、要するに、最大のホンモノのカリスマでした。だからこそ「お行儀よく」「政治的に正しく」糾弾される機会は多くても、「ヒトラーの本質とは結局なんだったのか?」という命題の中で自由に想像力を機能させることは、なんだか社会的リスクが高そうなのでみんな避けていました。それで自動的にタブー化していたところに、この本が「隕石のように落ちてきた」わけです。
で、「そうか、やればできるんだ!」という衝撃がドイツ人を震撼させた。それを前向きに受け止めるか否かは個人によって異なりますが、隕石のインパクト自体は全ドイツ人にとって等しいものだったはずです。一番重要なのはまさにその点でしょう。

―読み終わった時の率直な感想を聞かせて下さい。

マライ:「成功しかかった」ヒトラーが勧善懲悪的に潰されることで、無難にメデタシメデタシ……というラストかと思いきや、実際ぜんっぜん違ったので衝撃を受けました。というか、ホンモノな「問題提起」としてよくやってくれた! と思いましたね。もう、そろそろこのように危険地帯に踏み込んで思考を促すような作品が出てこないと、「戦後ドイツの倫理」を今後もちゃんと維持するのは難しいだろうと感じていたところなので……まあ実際、同様な問題意識を潜在的に抱えていたドイツ人は決して少なくないでしょう。そのニーズに深く適合した作品だから、一時的なブームではなく継続して社会的反響を呼んでいるんだろうな、という気がします。

あと直観的に感じたのが、この小説が、ドイツ社会の「内部視点」と客観的な「外部視点」の双方の絶妙なバランスに立脚していること。ひょっとして著者は……と見てみると、このティムール・ヴェルメシュ氏、やはりハンガリー出身の移民系ジャーナリストなんですね。それも、タブロイド紙の記者をやったりゴーストライターをやったり、ドイツの「知的業界」の裏表を知り尽くしている凄腕なわけで。だからこそここまで書けるんだな、と納得しました。そして単に知的に器用というのではなく、歴史や心理の本質についての知的洞察に優れている点がポイント。これが効いている。だからこそ、石頭なインテリ業界も本書の存在を無視できなくなったんだろうと思います。現代ドイツのディープな内政ネタが連発で登場するので、以前日本の雑誌で原書を紹介した時、そのまま翻訳すると日本の読者には厳しいかもしれないと書いたのですが、結果的には杞憂でした(笑)。

―映画化されると聞いた時はどう思われましたか?

マライ:映像作品としてイイカンジになるのかなぁ? 主演の人はヒトラー「らしさ」を上手く醸し出せるのかなぁ? 上手く醸し出せたら出せたで、それまた物議を醸して大変だろうなぁ…と、リスク面ばかり考えていました。あまり詳細な情報が公開されなかったんですよね確か。そして、いつのまにか出来ていたという感じで(笑)。

―映画は原作からかなり脚色されていますが、中でも主役にヒトラーの格好をさせてドイツ各地でゲリラ撮影を行ったのはすごいですね。

マライ:そうなんです。「なんと意外にも、現代ドイツ人は眼前のヒトラーをアイドル視してしまう!」というシーンはもちろん原作にもありますけど、あれはあくまで仮説です。「作者の主張を効果的に強調するための仮説」というべきでしょうか。映画では、それをガチで実地で、素人さんを相手にリアル検証してしまったんですね。この決断が凄い。で、原作で打ち出された仮説は完全に当たってました、という結論です。ヴェルメシュ氏の予見が凄いというべきかドイツ国民ヤバイというべきか……まあ、そのへんを通じてこの作品の存在意義がさらに大きくなったのは事実ですね。

―他にも、実在の政治家に対する言及や、有名なコメンテーターをそのまま出演させたりと、移民問題を始め、現実とフィクションが大胆に混ぜられた演出に驚きました。

マライ:2012年の初刊行から数年経ちましたが、この作品の中身は陳腐化して過去のものになるどころか、ますます現実味が濃厚になってきています。移民流入問題に対し、ドイツだけでなくヨーロッパ全体の反応に倫理的な抑制がなくなってきたことや、旧東独エリアを中心に蓄積してきた政治・社会的怨念の噴出でもある反イスラム主義市民団体ペギーダの盛り上がりとか、原作小説で提示された社会心理的なネガティブ予見どおりに世界は進行してきている感があるのです。
だからこそ、「今」つくられるこの映画版は、見終わって簡単に気分を切り替えられるような絵空事ではなく、「現実の延長なんだ!」という認識のもとに観るほうがいいのだ……という作り手側の問題意識がある。敢えて現実世界の人物をそのまま出演させている主眼は、そのへんにあると思います。私もその方針に賛成です。

―原作はじわじわと怖さを感じさせるラストでしたが、映画ではかなり変わりましたね。映画だと、劇場を出て日常生活に戻ると印象が薄れてしまいがちなので、あの大胆でショッキングな脚色は効果的だと思いました。マライさんはいかがでした?

マライ:原作小説に比べて映画版は、社会が「集合的要求の依代」としてのヒトラーの価値を「再発見」して利用する、という側面の不気味さが強調されている感じでした。前項で挙げたように社会的危機感・閉塞感がここ数年で増大していることの反映ともいえますが、SF性やサイコサスペンス性と親和度の高い「今様」な映像表現を効果的に活かした結果であるようにも思います。まあ、そもそもヒトラーの一人称描写で完結する原作と、周囲を含めた客観的状況を描写する映画版とでは、「内と外」という大きな観点の相違があり、それが相互補完関係を形成している点も見のがせません。いずれにせよ、この映画は原作の単なるビジュアル版ではなく、原作の根源的スピリットをみごとな形で再構築した作品です。ゆえに、おそろしく見ごたえがあって必見なのだと思います。

―原作を読んだ方には映画を、映画をご覧になった方にはぜひ原作を読んでいただきたいですね。今日はありがとうございました!

マライ・メントラインさんTwitter
https://mobile.twitter.com/marei_de_pon

執筆:♪akira
WEBマガジン「柳下毅一郎の皆殺し映画通信」(http://www.targma.jp/yanashita/)内、“♪akiraのスットコ映画の夕べ”で映画レビューを、「翻訳ミステリー大賞シンジケート」HP(http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/)では、腐女子にオススメのミステリレビュー“読んで、腐って、萌えつきて”を連載中。AXNミステリー『SHERLOCK シャーロック』特集サイトのロケ地ガイド(http://mystery.co.jp/program/sherlock/map/)も執筆しています。

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