インターネットでは、自分自身が足かせになって視野狭窄に陥っていく

シロクマの屑籠

今回はp_shirokumaさんのブログ『シロクマの屑籠 』からご寄稿いただきました。

インターネットでは、自分自身が足かせになって視野狭窄に陥っていく

「ウェブ時代のクレーマーの群集化、その心理」2011年8月29日『やまもといちろうBLOG(ブログ)』
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2011/08/post-9f7c.html

上記のブログエントリでは、クレーマー的な意見がネット上で集団化しやすい理由について説明してます。インターネットの特質として、そういった極端な意見が集まりやすくカルト化しやすい、というのは納得できるお話でした。

では、そうやってクレーマー群衆化していく時、その一人一人は何をディスプレイ越しに見ているのか? ここでは、そのあたりの個人レベルの問題について考え直してみます。

誰からも制限されないネットだからこそ、自分自身の心が足かせとなる

原則として、インターネットの閲覧や検索は個人の自由に委ねられていますし、どのような意見に耳を傾ける/傾けないかも本人任せです。もしネット上で誰かに「お前は偏り過ぎている」と指摘されたとしても、相手が全面的におかしいと決めつけ、二度とそのような意見を読まないという選択もその気になれば可能です。最近は閲覧対象や閲覧範囲をコントロールしやすいネットツール*1が人気を博していることもあって、“自分の賛同者しか視界に映らないインターネット”を実現するのが簡単な時代になりました。

*1:『Twitter』やSNSのような

この、“「視界に入れるか否か」「ダメ出しして耳を傾けないことにする」判断までが個人に委ねられている”っていうのが、ネット利用のアキレス腱(のひとつ)じゃないかと思うんです。

情報収集やコミュニケーションが自由選択というのは確かにネットのいいところです。けれども、それがために「ネットは自分自身の内面によって視野の広さが規定される」とも言えるんじゃないでしょうか。

これがオフラインの日常生活なら、他人や環境に由来した制限や圧力のほうが視野の広さを左右するのかもしれませんが、一人でインターネットを閲覧している時にはそういったものはありません。すると、誰の制限からも自由なインターネットだからこそ、自分自身の執着やコンプレックスがストレートに反映される、というわけです。誰にも邪魔されないぶん、プレーンにその人自身の執着・心の足かせ・度量といったものが現れるとも言えます。

「ネットは自由だ」と多くの人は言います。しかしあくまで“他人の制限から自由”なのであって、“自分自身からは全くと言って良いほど不自由”だったんです。見ていて気持ちの良いものだけを繰り返し眺めて、気に入らない意見を片っ端からダメ出しやブロックで心から追い出してしまう人は、自分自身の心の足かせやコンプレックスがそのまま反映された、狭い心象風景を毎日ネットブラウズすることになるわけです。考えようによってはそれはそれで幸せな白昼夢かもしれませんが……。

ネットで視野狭窄(きょうさく)に陥らないための工夫

自分自身の内面の足かせに囚われないネットライフを過ごすには、どうすればいいんでしょうか。

まず、“ネットに頼りすぎないこと”だと思います。

例えば新聞や雑誌や書籍といった既存のメディアは、インターネットに比べれば視界を自分自身ではコントロールできないぶん、“自分の見たいものしか見えない”に陥るリスクが少ないと言えます。ネット以外のメディアにも目を通しておいたほうが、インターネット上の意見やデマを相対化しやすいでしょう。

とはいえ、そういったメディア自体も個人的な選好を受けますから、できればメディアを介さない意見交換――つまり face to face な意見交換――もあったほうがいいように思います。もちろん face to face なコミュニケーションには特有の摩擦もありますが、自分とは異なった考え方を導入し尊重する経路の一つとして、あったほうが良さそうです。そういう意味でも、日常の知己や交遊関係は大切です。

それと、“ネットで耳を傾ける範囲に、自分とは異なった価値観・信条・趣味の人間を含んでおく”のもいいかもしれません。

例えば『Twitter』で言うなら、自分の価値観や趣味がぴったり一致する人だけをfollowするのではなく、部分的に価値観や趣味を共有している人・自分の価値観や趣味とは一致しない人を一定数混ぜておくわけです。意見の異なる人が多すぎたり口汚い人が混じっていたりするとストレスになるので、一定の調節は不可欠ですが、「見たいものしか見たくない」を回避する一助としては必要だと思います*2。

*2:blogやwebsiteの巡回に関しても、概ね同じことが言えます。

特に、
・価値観や意見の違いがあっても建設的な意見交換ができる人
・「この人なら耳の痛い話でも聞ける」という人
・ある分野で見解の相違がはっきりしても、気持ち良く付き合える人

は、たぶん非常に重要で、見つけたら是非とも長いお付き合いをしていきたいところです。こういう人物をどれだけ視界に入れ、自分と異なったいっぱしの意見として耳を傾けているかによって、インターネットにおける視野の広さはかなり違ってくると思います。そして、新しい興味や発見をもたらしてくれるのも、えてしてこういう人です。

こういった工夫を自覚的にやるかどうかだけでも、“自分自身の心の足かせによる視野狭窄(きょさく)”の程度はかなり違ってくる、と私は思います。もっとも“自分と異なった意見の人に対する許容度”自体、当人の心の足かせ次第という気もしなくもないですが……それでもほとんどの人の場合、無自覚のまま過ごすよりはずっとマシでしょう。

自由なインターネットで視野狭窄(きょうさく)のリスクを最小化するには、自分とは違った人の存在と、そういう人と自分自身との間で生じる齟齬(そご)や摩擦が必要なのかもしれません。

執筆: この記事はp_shirokumaさんのブログ『シロクマの屑籠 』からご寄稿いただきました。

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