原発「安全厨」と「危険厨」の論争に見る「想像力」の限界

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 個人と国家、市民と社会、日常と非日常、安全と危険…。物事を理解する上で二項対立的な図式は非常に分かりやすい。だが、その分かりやすさが我々の「想像力」を奪っているのかもしれない――2011年4月27日放送の「ニコ生PLANETS 5月号『震災後の想像力―3.11と日本社会』」では、原発「安全厨」と「危険厨」の論争が話題になる一幕があった。(「~厨」は、ある事象や考えを信奉する人を指す際などに用いられる言葉)。

 環境情報研究者の濱野智史氏は、2ちゃんねる以外の「真面目」なメディアでも、とにかく原発は危険だといういわゆる「危険厨」と、そんなデマに踊らされるなといういわゆる「安全厨」とが、対立に終始していると指摘。

「例えばゲームで言うと、任天堂信者は『ソニーは糞だ』と思っているし、ソニー信者は任天堂を糞だと思っている。原発問題でも初めから立場が決まっていて、皆、(なんらかの)『信者』になっている。日本社会全体として、どう向かうべきか議論できていない」

 と語った。

 これを受けて、評論家の宇野常寛氏は、

「社会には0か1かに割り切れない、わけのわからないものが常にあって、それと付き合っていかなければならないことに対する耐性が、まるでなかったことが露呈した」

 と分析。自身の立場に固執し、相手にレッテル貼りをするだけのいわゆる「厨」を評して、「『結論を出して安心したい』という焦りみたいなものが、今の日本の言論空間を一番混乱させているんじゃないのかな」と語った。

 宇野氏はまた、

「今回の震災で明らかになったのは、こういう事態が起きたときには、今あるリソースをどう活用するかが問われるということ。そういうときには、原理論ばかりをふりかざして、テンプレ的な批判を繰り返しても話はまったく進まない。中間的なものを考える想像力の不足を感じる」

 とも述べ、相反する2つの物をつなぐ「中くらいのもの」への想像力が必要ではないかと語った。

◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]「危険厨」「安全厨」部分から視聴 – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv41240102?ref=news#0:31:20

(野吟りん)

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