福島の原発周辺地域は「”オラが街”が東京を支えているという感覚だった」
社会学者の開沼博氏は、2011年4月5日のニコ生トークセッション「『原子力村』とは何か? ゲンパツ行政を考える」に出演し、原子力発電所を受け入れ、共存してきた地域としての「原子力”ムラ”」の現実について語った。開沼氏は、2006年から故郷・福島県の原発をテーマに研究を続けており、これまで原発立地を支えてきたのは「オラが街が東京(の電力消費)を支えているんだ、という感覚だった」と語った。
漢字の「村」を用いる「原子力村」は、現在、環境エネルギー政策研究所(ISEP)の所長を務める飯田哲也氏が、1997年に雑誌のなかで初めて用いた。番組に出演した飯田氏によれば、原発行政に関わる「大学、産業界、国、電力(会社)という4つの立場」を合わせて「原子力村」と名付けたという。司会の武田徹氏はこれを、「硬直的、閉鎖的な原発行政を揶揄する言葉」であると説明する。
一方で開沼氏が原子力「ムラ」と表現するのは、自身の故郷でもある福島県の、まさに原発の立地地域のことだ。開沼氏は、「原子力 明るい未来のエネルギー」「正しい理解で豊かなくらし」などのスローガンが書かれた街中の看板や、「アトム」という名前の付く店舗などを紹介。原発付近の駅では、原発の鉄塔の絵柄をあしらった「原子力もなか」が販売されているという。開沼氏は「これを作っていたから原子力を愛していたのかというと、わからない。ただ、事実としてこういう物が並んでいた」と話し、「原子力がブランドになっていた」とした。武田氏も「これらが原発立地の在り方を象徴している」と応じた。
さらに開沼氏は「1960年頃、貧しい農村地帯に原発建設計画がもたらされた」という経緯を語り、原発立地を支えたのは「『オラが街』が東京(の電力消費)を支えているんだ、最先端の科学技術を行う場なんだ、という感覚だった」と説明した。当然、原発建設のリスクは認知されていたが、一方で雇用創出などの経済効果もあるため、「原発はムラに『都会』をもたらす媒介」として計画段階からすでに「ブランド」化していたと強調した。
ニコ生トークセッション 「原子力村」とは何か? ゲンパツ行政を考える
http://live.nicovideo.jp/watch/lv45223746
(番組はタイムシフト機能でいつでも視聴できる)
(丸山紀一朗)
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