クビーンの宇宙論、あらかじめ破滅を胚胎した夢の国

クビーンの宇宙論、あらかじめ破滅を胚胎した夢の国

 幻想都市文学の傑作。新訳ではなく復刊だが、これを取りあげないわけにはいかない。一種のユートピア/ディストピア小説としても読めるが、舞台となっている「夢の国」は政治的背景や社会学的リアリティによって特徴づけられてはおらず、そこに住む/訪れる者を包みこむ領域として—-粘度と匂いのある空気のように—-存在している。

 奇妙なことに、この国は新しく建造されたものなのに最初から古びている。数年前に前代未聞の富を手にしたクラウス・パテラが自らの理想(イデー)を実現させようと、中央アジアの三千平方キロメートルの土地を購入し、すべてをお膳立てしたうえで住民を呼びよせた。首都ペルレ市の建物はすべてヨーロッパのあらゆる地方から古い家屋をわざわざ移築し、この土地に調和する町並がつくられている。建物だけでなく、この国では新しいものは何ひとつ用いられない。価値のある骨董もあれば色あせた古道具もあるが、パテラの趣味に合うものだけが選ばれている。ヨーロッパでは美術品とされるものでも、この国ではすべて普段使いが前提だ。

 住民もパテラが選んでおり、その招聘がなければ入国ができない。語り手の「私」はクビーン自身を思わせる三十代の画家で、パテラとはギムナジウム時代の知り合いだ。彼が妻ともども夢の国に招かれたとき、この国はすでに6万5000の人口を抱えていた。靄のベールのなかに佇む巨大な壁、そこに穿たれた暗いトンネルが夢の国の入口だ。そこを通り抜けるとき、私の妻は死の不安を浮かべながら、震え声でこうささやく。「もう二度と、ここからは出られないのね」。

 この言葉は印象的だが、これに限らずこの物語は序盤から破滅の予感を色濃く示している。しかし、その破滅が何に由来するのか、どのように起こるのかはわからない。国の創始者パテラが大きな力を持っているのは確かだが、彼が敷いているのは軍事支配でも思想統制でも経済的掌握でもない。この国には税金はなく、市民はパテラのために何ひとつ創りだしてもいない。この国には市場競争もなく計画経済もなく、ひとびとは自分の仕事に専念することでそれなりの楽しみを得ており、階級間のそねみが増大することもない。その一方で、品物を誤魔化したり他人を騙すことは日常的におこなわれ、前ぶれもなく財産を失うことも珍しくない。しかし、結局のところ、金がなくてもこの国ではなんとかやっていける。まるで、外の世界から孤絶し(故国に出した手紙は配達されず戻ってくる)、よどんだ時間にひたっているかのようだ。それを象徴するように空はいつも曇っている。

 私はこの国にはフリーメーソンのような結社、あるいは密かな信仰の絆があるのではないかと感じ、それを突きとめようとするのだが、ひとびとに正面切って尋ねるとぎくしゃくするし遠回しに探ればはぐらかされてしまう。ほかにも腑に落ちないことや、理性で割り切れないことが多い。私の妻は、街灯の点火夫とすれ違いざま振り返ったところ、その顔が肖像画で見たパテラだったと言う。多忙なパテラがそんな仕事をするわけがない。私は夕闇のなかの思い違いだと一笑に付すが、妻はこのころから心身が衰えはじめる。

 また、私自身も非日常的な経験をする。妻の深刻な病状に心を痛めた私は、憑かれたように町を駆けずり、気づくと宮殿の前にいた。なんと、その大黒柱に「一般のためのパテラの謁見時間」が明示されているではないか。この国に到着してからしばらくパテラに面会しようと試みたが、煩雑な許可申請手続きに阻まれて実現しなかったのに。居城には人の気配はなく、おびただしい部屋を通りすぎた最奥の空間で私は眠っているパテラを見つける。ゆっくり開かれた眼は小さな月のように輝き、見据えられた私は身動きがとれなくなってしまう。パテラは言う。「私はいつでも君のそばにいたのだ」。

 はたして夢の国はパテラの精神のうちにあるのか? しかし、この世界は個人の妄想に帰着するような単純な構造ではない。やがて、私はこの国の先住民が暮らす地域に入りこみ、そこで神秘的な洞察を得る。想像力は無から世界を戦い取るが、そうして存在した世界はやがて疲れて、色を失い、生命は錆びつき、また無へ帰していく。そうしてまた最初からはじめられる。ここに示されているのは、ひとつの宇宙論である。この部分だけはなく、物語のところどころに「星の世界」など天文的な表現が仕掛けられている。

 その一方で、この作品は文化論的な読みかたもできる。もともと破滅を孕んでいたかのような夢の国だが、そのプロセスを加速させたのは、アメリカから来た百万長者ハーキュリーズ・ベルだ。この男は進歩主義や自由主義を掲げ、これまで民衆はパテラの集団催眠に掛かっていたのだと主張し、外国との交流をもたらそうとする。しかし、マスコミと金の力にものを言わせるベルのやりかたは独善的というしかない。パテラがよどんだまどろみであればベルは強引な流れであり、パテラがこの国に遍在する無意識なのに対してベルは肥大した自意識だ。

 もっとも、こうした構図を読みとることよりも、この作品はディテールに価値がある。まず、夢の国に到着した私が町中で何度となく既視感を覚えるくだり。これは家屋がヨーロッパ由来というだけではなく、古い記憶につながっているゆえだろう。あるいは、夢の国の奇矯な住民のふるまい。たとえば、私の住居の一階に入っている床屋では働き者の猿が仕事をし、主人は哲学にうつつを抜かしている。パテラが選んだ住民は、多かれ少なかれアンバランスな精神の持ち主なのだ(病的気質や犯罪者さえ含まれている)。また、私が先住民の地域で洞察を得たあとの眠りで見る、シュルレアルな光景。さらに、ベルの反パテラ活動ときびすを接して(因果関係は明らかではない)蔓延した眠り病と、さまざまな生物が町に蔓延ることでもたらされた荒廃。こうしたディテールの積み重ねによって夢の国の異様なリアリティが構成されており、雪崩れのごとき破局がなおいっそう凄みを増す。

(牧眞司)

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