あの日の白いモビルスーツ 1977年からのオタク回想録その2
オタクという名が生まれる前の記憶
オタクという言葉が生まれる以前、1978年。テレビの構成作家、京都精華大学非常勤講師となった自分の土台にもなったのはアニメと特撮だった。これはその回想録の2回目になる。
1978 「アニメ」という言葉すら初耳だった
年が明けてすぐ、またもや自分の常識を覆し、夢中にさせてくれる本が登場しました。朝日ソノラマのムック、『空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマン/ウルトラセブン/ウルトラQ』です。
その中では、子供のもの、と切って捨てたはずの怪獣番組が、どうやら『宇宙戦艦ヤマト』や『スター・ウォーズ』と同様に、大人たちの目線で評価され、何やら立派なものとして紹介されているのです。
怪獣図鑑や、テレビマガジンといった子供向け媒体とは明らかに違った切り口に、またもや衝撃を受けました。
「これからは『ウルトラマン』というジャンルではなく『特撮』と呼べばいいんだ!!」
小学生の頃に覚えた怪獣知識が、今になって活用できるとは! この一冊を繰り返し読み漁り、あいまいだった記憶を再確認することで、いっぱしの研究者にでもなったかのような満足を得ることができたんです。
その頃、創刊された、読者投稿だけでつくられた野心的な情報誌に『ポンプ』がありました。現在で言えば、Twitterのつぶやきをひたすら集めて、本にしてるっていうイメージです。情報がぶつ切りに、編集もされずにひたすら並んでいるという一冊です。
岡崎京子(常連の投稿者だった)という名前を知ったのも『ポンプ』だったし、そこで得られる知識は、他では知り得ないような刺激にあふれていました。そこでは、ニューミュージックやロックに加えて、スターウォーズやヤマト、さらには少女まんがの話題も並んでいました。それらを合わせて「サブカルチャー」というのだ、ということも知ったのです(大きな誤解があったように思うけど)。そんなわけで、もはや「まんが」は子供のもの、恥ずかしいものじゃないんだ、という確信も持てました。知識人としての義務であるかのように、オレは少女まんがも熱心に読むようになっていったのです。
そして、春にテレビ放送がスタートしたのがアニメ『宇宙海賊キャプテンハーロック』でした。これには驚きました。ヤマトのブームをうけて、早速テレビが松本零士を売り出しにかかったのだと想像しました。
「時代が、サブカルチャーに追いついてきている!」
田舎の中学生が、自分の趣味に絶大な自信を持つのに、十分な根拠でした。『月刊OUT』で話題になっている『闘将ダイモス』も、当然のように視聴するようになります。『闘将ダイモス』は、当時増え続けていたハイティーンのアニメファンを意識したと思われる、ロミオとジュリエット的なストーリーで、これまでのテレビまんが以上に恋愛要素をメインに押し出した作品でした。テレビまんがにカルチャーを見出そうとしていた自分にとっては(似たような世代のアニメファンにとっては)「テレビまんがが変わった」ことを体感できる、最高のタイミングだったのではないかと思います。
そんな新学期。中学2年になったオレの前に同士が現れました。クラスでスターウォーズのことを話すオレに、彼はこう言ったんです。「アニメは好きなの?」。
「アニメ好きなの?」テレビまんがのことを、アニメと呼ぶことのカッコよさ!それが何よりも衝撃だった
その一言の衝撃といったら! 「アニメってなんだよ?」です。「アニメファン」! 今では珍しくもない言葉ですが、その時はしびれたんです。本当です。なんてかっこいいネーミング! 今を生きる人からすれば信じられないかもしれませんが、それまで、テレビアニメは、「テレビまんが」と言われていたし、会話の中でも、アニメは、単に「まんが」と呼ばれていたんです。
そんな彼の情報源は、女子高に通い漫研に所属する「アニメファン」の姉でした。お姉ちゃんからの受け売りで、とにかく彼はいろいろな「アニメ情報」を知っていたのです。テレビまんが(『サイボーグ009』とか『海のトリトン』とか)を作品として研究、評価するというファングループがあるということ。そして、それをまとめた「同人誌」というものが一部で流通しているということ。セル画の書き方や、その道具。監督が誰か? 脚本が誰か? 声優が誰か? 作画が誰か? など、これまで考えもしなかった情報の渦にクラクラしました。
1978-2 漫研のお姉ちゃんはなんでも知っていた
また、高校生だけあって、そのお姉ちゃんはいろいろなものを持っていました。『宇宙戦艦ヤマトサウンドトラック』(テレビのドラマをダイジェストで収録したもの)というLPレコードも、うやうやしく聴かせてくれました。帯には「
君は覚えているか! ヤマトのあの熱き血潮を!!
」って書いていました!! 映画館で観た宇宙戦艦ヤマトを追体験できちゃうのです。ああ羨ましい。
さらには、もうすぐ公開されるスターウォーズの日本語ドラマ版LP「THE STORY OF THE STAR WARS」も持っていました。元はオールナイトニッポン特別番組として放送されたもので、ルークを神谷明。ハン・ソロを羽佐間道夫。レイア姫を潘恵子という、あれです。おおまかなストーリーは、事前に雑誌などでさんざん紹介されていたんですが、あの魅力的なSE(R2の声!)やテーマ音楽といった、LPレコードならではの発見がありました。
毎日のように彼の家に通いつめ、お姉ちゃんの話をむさぼるように聞きました。お姉ちゃんの言葉は、もはや啓示のようでした。「ザンボット3観てなかった? それはダメだね。あれは傑作」「だから、ダイモスもいいけど、実は6月から始まる富野監督の『無敵鋼人ダイターン3』に注目すべき」「『季刊ファントーシュ』って知ってる? アニメの専門誌があるんだよ」いま思えば、お姉ちゃんだって地方都市在住の高校生ですよ。それほど中身ある話ではなかったんだと思います。それでも、十分にワクワクさせてくれたんですよ。
また、お姉ちゃんからイベントの誘いを受けることもありました。「トリトンもいいけど、おすすめは『サイボーグ009』(白黒)。今度、ファン主催の上映会あるけど行く?」自分の知らない場所で、アニメファンたちが集い、日夜研究にいそしんでいる、というイメージに天啓を受けたのです。「自分も、この道を進むべきだ!」そして、上映会に同行! 完全に洗脳状態となっていったのでした。
その年の5月、ついに『月刊アニメージュ』が創刊(すでに『月刊OUT』、『ランデヴー』を読んでいた自分にはずいぶんと初心者向けに思えたけど)。そして、『スター・ウォーズ』の公開(いうまでもなく最高の体験でした)を挟んで8月にはSF雑誌『スターログ日本版』が創刊。そして、そして同月には、待ちに待った新作劇場版『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』全国ロードショー!! 盛り上がるアニメ、映画の情報の渦。お姉ちゃんという宣教師。それに呼応するかのような世間の波。これで、アニメファンにならないわけがないじゃないですか!!
8月5日『さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち』全国ロードショー。前日の夜には劇場版『宇宙戦艦ヤマト』テレビ放送もあり。また、9月14日にはテレビ『銀河鉄道999』放映開始という、怒涛のムーブメントだった
すっかり、お姉ちゃん目当てで友人の家にいりびたる毎日。しまいには、友人の家族旅行に同行して仙台まで遊びに行く始末。その仙台のデパートで偶然にも開催されていたのが、ブーム需要を見込んだ「アニメフェア」なるグッズの即売会でした。
今思えば、東映がのちにオープンするアニメショップ「アニメポリス・ペロ」のテストパターンだったのではないかとも思います。古い東映作品のセル画や、シナリオ、ポスターが販売されていました。オレはお姉ちゃんおすすめの『サイボーグ009』「Xの挑戦」のシナリオを購入して大興奮でした。
さらに、即売会で配布されていたのが、「この冬アニメファンのための雑誌『マニフィック』が創刊します! 予約受け付け中!」というチラシです。創刊号は、キャプテンフューチャーとガッチャマンの特集に加え、特撮映画史とやらもラインナップされているようでした。書店流通はなく、通販頼みの雑誌だったんですが、マニア志向だった自分はハートをわしづかみにされました。「渋いチョイスだ!! 買うしかない」そう決意し、旅行先にもかかわらず、その場で予約したのです。
「知らない価値」が続々発見できる面白さ。それが、当時の自分がアニメに夢中になった理由です。それは、当時の若者雑誌が掲げていた「サブカルチャー」全般に感じていたことと等価でした。「ロック」や「ポップアート」や「ニューシネマ」に並びうるジャンルとして確立した(そう感じていた)「アニメ」や「SF映画」。少なくとも自分はそう認識していたのです。
引用元
あの日の白いモビルスーツ 1977年からのオタク回想録その2
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