ソフトウェアの仕様書は料理のレシピに似ている
今回は中島聡さんのブログ『Life is beautiful』からご寄稿いただきました。
ソフトウェアの仕様書は料理のレシピに似ている
先日、経済産業省向けの仕事をしている知り合いと食事をしたのだが、彼によると経済産業省の今の悩みは、「IT産業の階層化の弊害によっておこる下流のプログラマーの収入の低下」だそうである。“プライムベンダー”と呼ばれる“上流コンサルタント”たちがインドや中国にも仕事を発注できることを理由に、激しく値切り始めたために、今やわずか一人月30万円というケースもあるという。
こんな話を聞くと本当に悲しくなる。まず第一に“プログラムを書く”という仕事は簡単な仕事ではない。数学的な頭を持っていないとかなりつらいし、基礎がしっかりとできていないとろくなソフトウェアは作れない。物価の安いインドや中国なら許せるが、米国よりも生活費の高い日本で一人月30万円とはあまりにも低すぎる。
「彼らは下流のエンジニアで、詳細仕様書に従った通りのプログラムを書くだけの簡単な仕事をしているから給料が安い」という説明を聞いたことがあるが、それにも全く賛成できない。私はこの業界で多くのエンジニアも使ってきたが、優秀なエンジニアとそうでないエンジニアの生産性は(誇張抜きで)20対1ぐらいである。そんな簡単な作業しか出来ないエンジニアとも呼べないようなエンジニアが沢山いてもマネージメントが大変なだけである。そもそも、就職した段階で詳細仕様書に従ってしかプログラムを書けないような人が、ソフトウェアエンジニアになっても幸せになれるとは思えない。
そしてもっとも許せないのが、そういった上流→下流という階層構造でプログラムを作る工程そのものだ。
これに関しては、自信を持って言えるのだが、「どんなに優秀なエンジニアでも、決してプログラムを自分自身で書かずに良い詳細仕様を作ることはできない」という絶対的な法則があるのだ。私の知っている優秀なエンジニアは、皆それを知っており自ら実行している。もちろん、彼らはプログラムを書き始める前に大まかな設計をするのだが、十分な経験を積んだエンジニアは、その段階でのものが“仮設計”でしかないことを良く知っている。だから、その段階で詳細設計書を書くような時間の無駄使いはせず、すぐにプログラム(もしくはプロトタイプ)の作成にかかるのである。
実際にプログラムを書き始めて初めて見えてくること、思いつくことが沢山あるので、それを元に柔軟に設計を変更しながらプログラムを書き進めるのである。作っているプログラムが予定通りに動き始めてやっと、設計も完成に近づくのである(ただし、そんな作り方で作ったプログラムはソースコードが汚くなってしまうケースが多いので、この段階からできあがったプログラムを、読みやすさ・メンテナンスの高さを重視して大幅に書き直すことを強く薦める。エンジニアによっては、ここで一度作ったプログラムを全部捨ててしまってもう一度全部作り直す人もいるぐらい、この作業は重要だ)。
世界を又にかけてソフトウェア・ビジネスをしている米国の会社は、MicrosoftにしてもGoogleにしても、この法則にのっとって、アーキテクト自らがプログラムを書いている。
しかし、私が一度働いたことのあるNTTの研究所では、ほどんど自らソフトウェアの開発をしたことのない人たちが詳細資料書を書き、それを外注に発注してプログラムを書かせる、というソフトウェアの作り方をしていた。学生時代からプロとしてソフトウェアを作っていた私は、新入社員にもかかわらず「こんなやりかたじゃ良いソフトは作れません」と上司たちにくってかかったのだが、だれ一人として理解してくれなかった。
私には、この“自分でプログラムを書かない上流のエンジニアが詳細設計書を作り、下流のエンジニアがコーディングをする”という工程そのものが、根本的に間違っているとしか思えないのだ。“下請け”という弱い立場にあり、経験も少ない下流のエンジニアが、“仕事を発注してくれる大切なお客様”である上流のエンジニアに対して、「この部分は、設計を少し変更をした方がプログラムがシンプルに書けるし実行効率もあがると思うんですが、変えちゃっていいでしょうか」などと言うことができるとは思えない。下流のソフトウェアハウスの経営者にとっても、そんな余計なことを言うエンジニアよりも、仕様書通りのプログラムを納期以内に黙って作るエンジニアの方が使いやすいのではないだろうか。
日本のエンタープライズ系のソフトウェア業界は、そんな根本的に間違ったソフトウェアの作り方を長年してきたために、まるで建築業界のような下請け・孫請け構造ができてしまい、下流のエンジニア達が十分な経験も得ることが出来ずに低賃金でこき使われ、業界全体として国際競争力をなくしてしまう、という状況に陥ってしまったのではないか、というのが今回の私の仮説である。
もちろん、米国に住む私が得られる限られた情報だけから立てた仮説でしかないので、何か大きな勘違いをしているのかも知れないが、少なくとも今の日本を見ると、階層構造化されたエンタープライズ系のエンジニアたちよりは、オープンソース系の“設計からコーディングまで全部自分でやる”エンジニアたちの方がずっと元気があるし幸せそうだ、ということだけははっきりと言える。
ちなみに、この話を書いていて思ったのだが、プログラムの仕様書は料理のレシピに似ている。ソフトウェアのアーキテクトが自らプログラムを書いたり、下っ端のエンジニアの書いたコードをレビューするのは、レストランのシェフが自ら料理をしたり、下っ端の料理人の作ったスープの味見をするとの同じである。もちろん、レストランに行く側の立場になってみれば、そんなレストランで食事をしたいのは当然である。シェフがレシピだけ書いてキッチンにも立たないレストランには行きたくないし、ましてや自分で料理したこともないシェフが書いたレシピを元に作った料理がおいしいわけがない。
執筆: この記事は中島聡さんのブログ『Life is beautiful』からご寄稿いただきました。
文責: ガジェット通信
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