【全文掲載】ホドロフスキー監督が語る新作「なぜ86歳にもなって映画を作るために闘っているのか?」
『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』のアレハンドロ・ホドロフスキー監督が、自伝を元に2013年に製作した『リアリティのダンス』の続編ともいえる『エンドレス・ポエトリー』の製作をこの夏開始。その製作発表と資料の一部をキックスターターで募る事が、監督自らインターネットを通じライブで全世界に向けて発信されました。
今回ガジェット通信では、特別にホドロフスキー監督がお話した内容の全文を掲載! 映画への想い、ひいては生きるという事は何なのかという監督らしいお言葉をぜひご覧ください。
『エンドレス・ポエトリー』はホドロフスキー監督の自叙伝『リアリティのダンス』の続編となるもので、 舞台は故郷トコピージャから首都サンティアゴへ移ります。様々な悩みや葛藤を抱 えた青年時代のホドロフスキーが当時チリで出会った詩人、アーティスト、パフォ ーマーなど、アヴァンギャルドなカルチャー・シーンの人々との交流を、虚実入り 交じったマジック・リアリズムの手法で描くものです。
【ホドロフスキーが語る『エンドレス・ポエトリー』全文掲載】
何も準備しないようにしていた。あなたたちに話すことをあらかじめ準備したくなかったんだ。なぜか?それは心の奥の真実を探していたからだ。自分が何を言うか知りたかった。
あと2日で86歳になる。かなりの歳だ。なぜ86歳にもなって、映画を作るために闘っているのか? これ以上に重要なものは何もないからだ。明日にでも死んでしまうかもしれない人間にとって、なぜ映画を作ることが、それほど重要なことなのか? なぜなら86歳にもなると、毎朝起きてこう思うのだ。「まだ生きてるぞ」と。生きていることに満足するのだが、もしかすると最後の日かもしれないとも思う。
なぜ映画を作るのか? 映画とは何なのか? ただ面白おかしい見世物のような映画がある。もちろん、そういうものも必要だ。だって、この世界では誰もが皆、身の回りで起こるすべてのことにイライラしているだろう? 地球を破壊しているのは私たちだとさえ言う人もいる。そうすると、自分を忘れるために映画を見に行く必要がある。おそらくそれも必要なのだろうが、私にとって映画とはそういうものではない。私にとって映画とは自分を忘れるためではなく、自分を思い出すためのものだ。だが自分を思い出すとはどういうことだろうか? 何を思い出せるのか? 私にとって映画こそが本物のアートである。アートとは何か? 自分の内側にある美を探すこと。それこそがアートだ。私は金儲けのために映画を作りたくない。もし金がやってきたら、もっと映画が撮れるようにポケットを広げて受け取るが、それは目的ではない。他人からの賞賛を集めるのが目的でもない。観客が今まで体験したことのない出来事を作り話ででっち上げるのが目的でもない。
何かを伝えるためには、自分が話していることを知っている必要がある。スクリーンの中で見せるものが、ひとつの体験になる必要がある。私はこの映画で何を見せるつもりだろうか? 人間、アート、美術館や映画館が私たちに教えてくれるものは何なのか? 私たちはアンチヒーローなのか? 尊厳のない人々なのか? 私たちは奴隷なのか? 嘘つきなのか? 泥棒なのか? 今の私たちは何なのだ? 私は映画の中でそんな人を見せたくない。私はお金を得るために、お金を奪うために、みんなが闘っているような映画は作りたくない。なぜか? それから“愛”についても語りたくない。その種の“愛”は現実とは程遠く、おとぎ話だ。愛とは偉大なもので、とてつもなく崇高なものだ。そしてもっとも美しいものだ。
チベットの聖人マルパはこう言った。「人生、すべてのものは幻影である」と。あるとき、彼の息子が若くして亡くなった。彼は悲しくて涙にくれた。すると弟子が彼に言った。
「どうして泣いていらっしゃるのですか。息子さんも幻影でしょう?」
「そうとも、私の息子は幻影だ。だが、今もなお最も美しい幻影なのだ」
映画は幻影である。だが、最も美しい幻影でなければならない。私は泣き叫びたい気持ちがどういうものかを知っている。私も息子を一人亡くしたからだ。本当にひどいことだ。そういう時、人はこう自分に問いかける。「なぜ、私はアートなんかやっているのか、映画なんか作っているのか?」
そしてこう答える。「自分の魂を癒すために、映画をアートを作っているのだ」 私は自身を大きく開いていく必要がある。自分自身を見つけ、人間とは何かを思い出すため、人間の美しさを、あなたの美しさを思い出すために。私は人間がどれほど美しいかを見せる必要がある。まさに今。
1940年代、私が24歳だった頃のチリは素晴らしかった。戦争が世界中で起きていたが、チリには戦争がなかった。というのも世界から遠く切り離されていたからだ。テレビはなく、山があり、海があり、平和があった。平和に溢れ、美しかった。そこで奇跡が起こった。詩がこの国にやってきたのだ。偉大な詩人たちが最高の詩を書き始めた。そのうち二人はノーベル賞を獲った。パブロ・ネルーダとガブリエラ・ミストラルである。二人は国の父であり母であった。
そしてすべてが詩の世界になった。そこいら中に詩が溢れている状況で思春期を迎えた。そこで何が詩的行為なのかを探し始めた。美と共に生きることがどんなものか知るために。思考の中で生きるとは、自由だ。心の中に生きるとは、世界とのつながり。性の中に生きるとは、創造性にあふれること。
いかにして詩的活動を起こすかは、人生の美しさを発見するためだった。その当時、確かにそれはあった。詩がそこにあった。人間がそこにいた。本当の愛があり、アーティストがいた。私たちはあらゆる種類のアートを見つけた。
それが突然、消えてしまった。私は24歳でこの楽園を去り、ヨーロッパへ向かった。そこでは世界が幻影なのか幻滅なのか分からない。今私は精神的な楽園とは何かを見せたい。詩の美しさを探っている一人の若者の話だ。それが私のやりたいことだ。私はこの過去に感謝している。詩の中で生きるとは、どういうことなのか知っているのだから。それが可能な世界を人々に知らしめたい。それはできるんだ。自分を思い出せるし、思考を開くこともできる。心を開き、創造性を開花させることもできる。わずかな持ち物で暮らしながら、豊かに生きる。そう、これが私のやりたいこと。終わりのない詩、エンドレス・ポエトリーだ。これが私のやろうとしていることなのだ。
日本版キックスターター:3月22日までの35日間行われ、目標額は35万ドル
http://www.poesiasinfin.com/kickstarter/ja.php
ホドロフスキー監督の“世の中のすべてのお金は詩に換えられるべきだ”という考えから、本プロジェクトではその交換を行ないます。寄与していただく金額を、それと同額のホドロフスキーの「ポエティックマネー」(DINERO POÉTICO)と両替し、お返しするという奇想天外な方法で資金を集めます。
ポエティックマネーは【1】【10】【100】の3種類が存在し、絵柄もそれぞれ2種類。お札にはホドロフスキーのお金に関する詩が、一種類につき 1 つ記載されています。さらに 1000 ドル以上を寄付していただきますと、ホドロフスキーの「ポエティックチェック」が発行されるという仕組みになっています。
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。