LGBT当事者による一考察 渋谷区「同性パートナー証明書」条例案の必然性とは?
誤解されやすいことだが、性的指向とは、異性愛者にも同性愛者にも両性愛者にも等しくついてまわる言葉だ。異性を愛するなら、その人は異性愛という性的指向をもつ人ということになる。その性的指向は彼や彼女にとって恋情だけの問題だろうか? 結婚式やベッドの上の一瞬の出来事ではない。そのことは異性愛の指向を有する人にも理解されるだろう。相手とつながりを保つということは、それそのものが生活だ。その指向を以って生きるということだ。
筆者は大雑把に言えば同性愛者に属する。
中学校の時だ。ある友人に恋情を覚えたとき、同時に以下のような障害を感じた。
・結婚できない
・子が為せないから相手の親に申し訳がない
・彼女と最期まで添い遂げることは非常に困難だ
差別や偏見を恐れたわけではない。家庭が築けないことが何より問題だった。そのために相手を苦しめることになるだろうと考えた。思春期だ。当時それは絶望的な願望に思われた。しかし、この条例案のニュースをリアルタイムで目にしている同性愛の気質を自覚しつつある少年少女はそう思うだろうか? 少なくとも筆者よりは希望的観測が抱けるのではないか?
性的マイノリティの抱える問題は偏見や差別だけではない。そして、恋情だけが少数派の根幹をなすものではない。生活全体が問題だ。これを踏まえ、この度の渋谷区の条例案について考察したい。
東京都渋谷区の3月区議会において同性カップルを「結婚に相当する関係」とし証明書を発行する条例案の提出が決められた。可決されれば4月1日に施行される。
条例案のポイントは以下の通りだ。
・男女および性的少数者の人権の尊重
・同性パートナーシップ証明書の発行
・条例の趣旨に反する事業者名を公表
・男女平等・多様性社会推進会議の設置
・条例は4月1日施行、パートナーシップ証明は別途定める
住居確保や入院時の面会を同性同士では断られるケースがある。その生活を手助けするしくみだ。可決されれば、日本で同性パートナー間の関係が公的に証明を得る初の試みとなる。ただし、あくまでもパートナー関係にあることを証明する条例であり、法的効力はもたない。
日本の法律は同性婚を認めていない。日本国憲法第24条がその項目に当たる。1項には「 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とあり、2項「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」とある。この「両性の」という三文字が性的マイノリティの結婚を妨げる。
一方で、諸外国や日本でのLGBTの存在感は増している。諸外国では既に結婚やそれに準ずるパートナーシップ制度が施行されている国も多い。最近ではイギリス、フランスで同性婚が合法化された。国内でも同性間の結婚式を認めるブライダル事業は既に定着しつつある。もしも4月を以って渋谷区で条例案が施行されれば、4/25(土)・26(日)に代々木で開催される性的マイノリティによるイベント『東京レインボープライド』は祝福の場となるだろう。
LGBTフレンドリーな渋谷区、というイメージ向上のねらいがあると指摘する向きもある。
例えばある一定層必ず存在する人々に対する施策を行えば、必ずその層からは何がしかの反応が得られる。賛否両論あろうが、日本のクールジャパン構想はオタク層という必ず存在する人々に訴えかけた。それと同じ原理が働く。LGBTに関する条例も、必ずある一定の層から反応が得られる。その点で政治的効果は確かにあるだろう。日本では、人口の約5%=約600万人がLGBT当事者だと言われている。無視するには大きすぎる、少数派と言われるには多すぎる、確実に一定の割合を占めている層だ。渋谷区の取り組みに批判的な見解を示す当事者がいるのもそのためだろう。
渋谷区には世田谷区や中野区のように性的マイノリティ当事者として働きかける議員は属していない。何故、突然、渋谷区が先陣を切ったのかという疑問は生じる。渋谷区といえば、東急東横線駅の地下への移転が記憶に新しい。地下鉄化は渋谷区における計画的な大規模再開発工事の序章だった。そのため、東京オリンピックを前提とした金策の一環という指摘もあるようだ。
だが、オリンピックは起爆剤にすぎないのではないだろうか。今や日本が抱えている問題といえば、高齢化と少子化問題。性的マイノリティに関する条例案はこの深刻な問題が後押ししているように思われる。成熟しきった文明国であればその発展に従い、いずれLGBTに向きあうことになる。もはや日本でも、同性だ異性だといった区別で、結婚を、家同士のつながりを躊躇する猶予もないほどの状況に直面しているのではないか。性別や性的指向の別を問う暇もないのではないか。今回の条例案を、逼迫した事情が手伝っていないとは言い切れない。立場や性的指向を問わず、家庭をなせ、子供を育てよという意図がないとは言い切れない。だからこそ、同性愛者であっても警戒をする人がいる。異性愛者でも歓迎すべきだと論じる人がいる。
例え政治的思惑があろうとも大きな前進だと言えよう。現在、性的マイノリティやそのカップルは国勢調査でもその存在を認められていない。しかし、この条例案が提出された時点で、同性愛者の存在が公示されたという点が重要だ。この条例案を受けてネット上のLGBT当事者からはさまざまな声があがっている。
『引っ越ししなきゃ。可決前だし彼氏いないしダブルでフライング。』
『可決されてほしいな。家族として認められなければその人の大事な場面にそばにいられない。少しでも小さな声が届きますように』
『もっとはやくこういう方向に流れが進んでいたら
僕達カップルも身寄りのない子どもたちを引き取ったりできたかも
あまりにも遅かった……』
『渋谷区が同性婚カップルに結婚相当証明書を出すという話だけど、これは町おこしにも使えるんじゃないかな。
同性カップルの皆さん引っ越してきませんかという。
その結果、全国に普及してしまえばもっといい。』
『直接の復活要因は、渋谷が同性婚に理解を示したというニュースです』
このようにアニメへの逆輸入リソースとして叩かれていた艦隊これくしょんのガチレズ大井botがめでたく復活するほどの事態なのだ。
閑話休題。警戒する声、歓声、独り身であることを悔やむ声、もう遅いという嘆きもある。全国の当事者が声をあげている。その反響が注目を浴びている。それこそが当事者にとって既に前進だ。
背景事情が、金策であれ、東京五輪であれ、高齢化社会であれ、条例が可決されれば、当事者の「最後までその人と添い遂げたい」「子供を育てたい」という願いをかなえる手助けにもなるだろう。
余談だが、年明けに高校時代の親友から年賀状が届いた。メッセージのない白紙の印刷物だった。何の間違いかと考えてみたが、年の瀬にLINEでカムアウトしたことを思い出した。その反響が白紙の年賀状だろうと気付いた。こういうリアクションの裏にある感情は軽蔑よりも警戒心か怯えだろうと感じる。学生時代に仲が良かった分、『私はあなたに関心がない』と示さずにいられなかったのだろう。
堂々と自らを明かせば少しずつ蝋燭から蝋がたれていくように周囲からエネルギーを奪われていく。差別が理由で職を変えたこともある。けれど、例えどのような反応を受けようとも黙っているよりはましだ。自分が何者かを黙っているよりは、明かして非難を受けた方がずっと自分の人生だ。例え法整備が人生に間に合わなかったとしても、生涯通じて性的指向は変わらない。
性的マイノリティはどこにでも存在する。この条例案によって、まず、存在そのものが是認された。少年少女にとっては希望となるだろう、『証明書』の行方を見守っていきたい。
日本経済新聞 渋谷区、同性カップルに証明書 条例案「結婚に相当」
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG11H1C_R10C15A2CR8000/ 【リンク】
東京新聞 同性カップルに結婚並み証明書 渋谷区、来月に条例案
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015021202000140.html 【リンク】
中日新聞 性的少数者への意識変化 渋谷区条例案
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015021202000090.html 【リンク】
LivedoorNEWS
渋谷区が同性カップルを「結婚に相当する」とする証明書発行へ 条例案提出
http://news.livedoor.com/topics/detail/9775209/ 【リンク】
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