『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』橘玲

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金融日記

今回は藤沢数希さんのブログ『金融日記』からご寄稿いただきました。

『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』橘玲
僕の好きな作家である橘玲の新刊『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』*1 がでていたので、今日さっそく買って、さっそく全部読んだ。結論からいうと大変面白い本だった。おそらく橘玲の社会論、あるいは人間論の中では最高のできばえではないだろうか。橘玲の現代社会論の集大成のようで、それでいて最近のホットな話題を網羅(もうら)している。

*1:『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』橘玲
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4344018850?ie=UTF8&tag=quants-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4344018850

勝間和代現象を代表とする最近ずっと続いた自己啓発ブームとその底流に流れる社会の変化、『Linux』のようなオープン・ソースに関わる優秀なハッカーたちとそのコミュニティーのルール、日本の終身雇用と世界的に高い自殺率、『Twitter』のような新しいコミュニケーション・ツール、オウム真理教のようなカルト教団や円天のような詐欺商法……。話題は非常に多岐にわたる。

それでいて全体としての統一感があり、とても読みやすい。様々な社会現象をもっとも根源的な人間原理、つまり人間という動物の生物学的な性質を通して深く読み解こうとしているので、豊富なトピックを扱いながら首尾一貫した主張――主張というにはあまりにも静かで消極的ものだが――となっているのだろう。

そして最後にこの奇妙な現代社会で生きるためのヒントみたいなものを提案する。

1. 伽藍(がらん)を捨ててバザールに向かえ。
2. 恐竜の尻尾(しっぽ)のなかに頭を探せ。

実は僕も学生の多感な時期に進化生物学*2 や動物行動学*3 の本をむさぼるように読んでいたことがあって、大いに影響を受けた。だからそういう生物学の原理原則で現代社会のいろいろな現象を読み解く本をいつかは書きたいと思っていたのだが、どうやら橘玲に先を越されてしまったようである。僕はサラリーマンとして会社で働いており、そうすることによって十分すぎるほどの報酬を得ているのだから、本を書く時間が十分にないことくらいは我慢しなければいけないのだろう。

*2:『利己的な遺伝子<増補新装版>』リチャード・ドーキンス
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*3:『女は男の指を見る(新潮新書)』竹内久美子
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さて、この本の最初の章は“自己啓発”についてだった。自己啓発本やセミナーに関しての著者のスタンスは実に明快だ。「やってもできない」が答えだ。人はなんらかの努力により自分を変えることができ、より高い能力を身につけて、高い報酬を得ることができるようになるという前提で様々な自己啓発本が書かれている。しかし僕自身、そういった自己啓発本や自己啓発セミナーで本当にそのように成功した人物を全くといっていいほど知らない。

なぜだろうか?

答えは「人間の能力というのは遺伝的に大方決まっている」だ。橘玲は一卵性双生児の研究や、様々な教育実験の研究を持ち出し、人間の能力のどれだけ多くの部分が遺伝子で決まってしまい、環境要因のほとんども思春期までの間の子ども同士の人間関係でほとんど決まってしまうことを説明する。これは僕の経験とも一致するし、周りを見渡してみても非常に説得力がある。

僕はたまたま非常に給料が高く、また学生の間でとても人気がある職場で働いている。多くの親が自分の子供にそういう会社で働き、高い給料を稼いでほしいと願い、教育に多大な労力とお金をかける。そんなに教育のような環境要因が重要なら、僕の周りの同僚はみんなそういう教育熱心な親に育てられた人間ばかりになりそうだが、そんなことは全くない。貧乏な家で育ったもの、金持ちの家で育ったもの、放任家庭で育ったもの、過保護に育ったもの、本当にバラバラだ。

おそらく能力のほとんどは遺伝的に大方決まってしまうのだろう。実際に学術研究の世界では「犯罪者の子供は統計的に犯罪者になりやすい」とか「殺人犯のような精神異常の人間は脳の一部に障害を持っている」だとか普通に語られている。最近は親の収入によって子供の学力が決まってくるというような研究がマスコミで話題になったが、実際のところは収入の低い親は能力が低く、それゆえに低い能力が子どもに遺伝する確率が高いかもしれないのだ。要するにばかな親からはおおむねばかな子供が生まれてくるというわけだ。

それに日本やアメリカのような先進国では、それなりに機会の平等が保証されているので、貧乏な家に生まれたたまたま能力が高い子どもはそのまま成功することがよくある。子どもが優秀かどうかは、親の収入が決めるのではなく、親の遺伝的資質が決めることが多いのだろう。親の収入とある程度の相関関係があるかもしれないけど、相関関係と因果関係は似て非なるものだ。

しかしこういった本当のことはマスコミからは決して聞こえてくることはない。

なぜならそれは“政治的”に正しくないからだ。テレビでだれかが「犯罪者の子供は犯罪者になる確率が高い」なんていったら、それこそ犯罪者のごとく大バッシングされるだろう。また能力の多くが遺伝的に決まるし、環境要因とて幼年期の子ども同士の人間関係が大部分だとしたら、それは美しい教育の理念を全面否定してしまうことになりかねない。多くの人はみにくい真実よりも、美しいうその方を好むし、それで何の問題もない。

この本の幸福論もまた面白い。

人間の心というのは長い進化の過程で、それが生存上有利だからという理由で獲得されたものだ。つまり人間の心は個体の生存と繁殖に有利な行いをすると快楽や幸福を感じるようデザインされており、不利な行いをすると不快や不幸を感じるようになっている。食べ物にどん欲でない個体は飢え死に、性愛を激しく求めなかった個体も子孫を残せなかったのだ。

しかしこうした人間の進化というのは何十万年という途方もない時間の中で起こるものであって、人間の心の大部分は狩猟採集時代に最適化されたままだ。それがこの50年ぐらいの間に科学技術が爆発的に発展してしまったために多くの奇妙なことを起こるようになってしまった。

世界中に食料があふれ返るようになると、他人から承認されたり、社会に貢献したりというより高次元の快楽の実現が困難になったアメリカの貧困層は、非常に安価で簡単に手に入る快楽、つまり高カロリーのジャンク・フードを食べ続け、飢餓ではなく肥満に苦しむようになった。貧困層が肥満に苦しむのは今や途上国でも同じだ。世界的に安価な食料があふれ返っているのだ。

子孫を多く残すためのセックスへの衝動も、セックスの快楽だけが分離され、ポルノをはじめとするヴァーチャルなセックスがあふれ返っているし、セックスだけが目的ならそれを提供する性産業がいくらでもあるのが現状だ。そして生身の人間との恋愛はずっと面倒で、子育ては経済的に大きな負担だ。こうして先進国ではどこも少子化が進んだ。

またこういった人間の“心”を誤作動させることは簡単で、ドラッグなどがそのいい例だ。脳のある部分に電気刺激を加えると1000回のオーガズムが同時に襲ってくるほどの快楽を感じることが大脳生理学の研究からわかっている。ボタンを押すとそこに刺激が行く装置を作り、それをサルに与えると、エサも食べずに餓死するまでひたすらボタンを押し続けることが実験により確かめられている。そういえばそんな感じで自分は死ななかったけれども、運悪く相手が死んでしまって、塀の向こうに落っこちてしまった芸能人が最近いたような気がする。

ここに書いたことは一例で、その他にも公立学校の先生まで簡単に首になる“市場原理主義”のアメリカで自殺率が低い一方で、なぜ終身雇用で会社が社員を首にすることが絶望的に難しい日本で自殺率がこんなに高いのかについての考察など、面白い話題がいろいろ読める。

久しぶりにとても面白い本だった。本というよりは「読み物」なのだけれど。

執筆: この記事は藤沢数希さんのブログ『金融日記』からご寄稿いただきました。

文責: ガジェット通信

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