イエスの母が語るわが子の姿『マリアが語り遺したこと』
この原稿の掲載予定日は12月24日、いわゆるクリスマス・イブだ。彼氏彼女と寄り添って過ごそうと意気込む妙齢の男女や、サンタクロースが希望通りのプレゼントを届けてくれるだろうかと気もそぞろな子どもたちが、今年も大量発生することだろう。しかしこの本は、そんなクリスマス気分に浮かれる人々に猛省を促す一冊である。
タイトルの『マリアが語り遺したこと』のマリアとは、イエス・キリストの母親のことだ。本書は、全編を通じマリアの独白として綴られている。息子が磔刑に処された後、マリアもまた偉大なるイエスの母という十字架を背負うことになった。彼女のもとにはひんぱんにふたりの男がやって来る。彼らは母親の口から語られるイエス像を記録しようとしているのだ。しかし、マリアが語るイエスの姿やその死にまつわる記憶は、しばしば彼らの期待するものとは異なっている。それはそうだろう、彼らが追い求めているのは神の子としてのイエスだが、マリアの目から見れば彼は自分の血を分けた息子であるに過ぎない。
自分の息子が教祖になる。想像するだけで落ち着かない気分だ。これが例えば、「息子が人を殺めてしまう」「息子が会社を潰して従業員を路頭に迷わせてしまう」などだったら文句なしのNGで、万難を排して避けなければならない事態である。とはいえ、「息子が大統領になる」「息子が世界平和を実現する」なども喜ばしいことではあるものの、そんな立派な子の親であるというプレッシャーにはとても耐えられないだろうとも思う。そして「息子が教祖になる」、これって考えようによっては最も恐るべきシチュエーションではないだろうか。自分の息子が万能であると、教祖なら何とかしてくれると盲信して多くの信者が群がってくる。息子は万能感を身につけ人々を自分の思い通り動かすようになり、もはや親の手など届かない存在となる…。
著者のコルム・トビーンはアイルランド出身の作家。この作品はブッカー賞の最終候補となり高い評価を得たが、一方でマリアの描き方が冒涜的だという批判もあったという。確かに敬虔なキリスト教信者にとっては受け入れがたい側面のある物語だろうと思われる。が、あくまでも一組の母親と息子という関係性として捉えるならば、「昔は私がいなければ何もできなかったのに」「人様を導こうとするなんて畏れ多い」「なんでこんな形で息子を失わなければならないの」と、マリアの心の中でさまざまな感情が渦巻くのも至極当然と思えるのだ。ブッカー賞について何を知っているというわけでもないのだが、シニカルでありつつ美しさも兼ね備えた作品が選ばれるという印象がある。本書は(受賞こそ逃したものの)まさにそのイメージ通りの作品。「うちの息子ったらすっかり一人前の口をきくようになっちゃって、自分ひとりで大きくなったような顔してるけど、あぶなっかしいったらありゃしない!」と、息子さんとの関係にお悩みのおかあさまには特にお薦め(もちろんおとうさまにも。この作品において、マリアの夫でありイエスの父(養父)であるヨセフの影は、薄いことこの上ない。が、いきなり婚約者が自分の与り知らぬところで身ごもってしまったり、その赤子が神の子だったりと、ヨセフはヨセフで波瀾万丈である。興味深い人物)。今年のクリスマスには、誕生日が信者以外の全世界の人々にも祝われるほどの影響力を持ったひとりの偉人とその母親の生涯を、ほんのちょっとでも思い出してみてください。
(松井ゆかり)
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